私なりのじゅじゅ(2人体制時代)備忘録
3月は、長らく推しているアイドル・ねうちゃん(ネ兎ねう)としらいちゃんのお誕生日がある月であり、また、私がこの2人を好きになるきっかけとなったアイドルユニットじゅじゅのデビューも、しらいちゃんのじゅじゅ卒業も、その後じゅじゅの全メンバー卒業・現体制終了となったのも、全部3の月の出来事であり、この月は色々なことを思い出します。
今年はしらいちゃんとねうちゃん、2人のお誕生日当日の生誕イベントに参加することができたのもあり、様々な思いが胸を去来し…と思いきや、自身の加齢による記憶の忘却や混濁、都合のいい改ざん、ウソ・大げさ・紛らわしい、などの兆候が見られそうなため、手遅れになる前に一回備忘録的にまとめてみようかと思い立ちました。
初めてのじゅじゅ
じゅじゅのデビュー日は2014年3月29日。私が初めてじゅじゅを認識したのは、そこから約1ヶ月後の4月25日の「BiSなりの甲子園 新宿編」at新宿BLAZE。ラインナップにあったじゅじゅの名前が気になって、見てみたいな〜と思うも平日早めの時間に登場だったので見れなかった。
このイベントだったか、その後の別のイベントだったか思い出せないけど、やっぱりじゅじゅの出番が早くてそれには間に合わなかったものの、最後の全員集合でステージに出てきた2人を見て、黒い衣装に黒髮前髪ぱっつんで好み〜❤︎と感じたのを覚えてる。
じゅじゅのステージをちゃんとみたのは2014年11月1日の「アイドル甲子園FESTIVAL」at新木場COASTまで時は進む。
この時、2人は会場でビラ配りをしていた。当時のアイドル甲子園くらいのアイドル現場には、中年女というジャンルの人間はあまり数が多くなく、保護者的な関係者と思われるせいか私はビラが貰えないがちだし、あまり自分から貰いにいけないタイプなんだけど、この時は積極的に貰いにいった。というか私と同じく「じゅじゅ可愛い」になっていた夫に行け行けとけしかけられた節はある。
2人とも近くでみるとさらに可愛いし、なんか挙動もおどおどしてて、全然うまい具合にビラ配りできてないとことか好感しかなくて俄然好きになった。
ステージ自体は短い時間だったし、後方からみてただけだし、あんま印象無いので、今思えば推すきっかけとしてはこの時のビラ配りだったかもしれん。
初めてのお目当て
上記アイ甲でビラをもらうまでは、名前を目にしつつもじゅじゅを目当てに現場に赴くということは無かったわけだけど、そんな折にちょうど良い無銭イベントが行われた。2014年12月15日「じゅじゅ&ライムベリー アイドル横丁×JOL原宿ライブ」だ。
1部は女限イベだったので、2部のじゅじゅ&ライムベリーから夫と2人で見に行くことに。我らはいつも後方観覧スタイルなので、この日も後ろの方でたまたまこの現場に居合わせた人が見るような場所で眺めていた。といっても、このJOL原宿というのは竹下通りにある10代女性むけの施設のため、どう見てもたまたま居合わせた感じにはなっていなかったが。
そしてこういう若い女性向け施設内のイベントということで、じゅじゅの2人がMCで「今日は険しい現場になると思ってた」としきりに険しさを心配する発言をしていて、そのコンセプトイメージ通りのネガティブさ、そしてそれに反してオタク達の挙動のおかしい熱狂度が大変面白く、じゅじゅ現場に対して興味を持つことになった。あと2人の区別がつくようになった。
初めてのふぁぼ
この頃、われら夫婦がたまに行くアイドルオタクが集まるBarにてたまたま隣り合ったとある地方在住オタクが、推しのツイートやふぁぼ、リプ返などに対してちょっと異様ともいえる情緒の揺れ動きを見せ、私たちはその反応の凄味に目を奪われた。アイドルは実際のライブではなく、スマホ上だけでこんなにも人の感情を高ぶらせることができるのか…!
私はそもそも、アイドルの楽曲やライブパフォーマンス、フロアのオタクの生態観察、ライブハウスという空間が好きであって、いわゆる接触という行為にはとんと興味がなかった。twitterにおいても、そこでリプだけおじさんになって認知を得ようなんていう考えは毛頭なく、情報収拾にしか使ってなかった。
しかし、この地方オタクが得ている興奮を我も味わってみたい…と感じたのをきっかけに、私はアイドル用のtwitterアカウントをつくることにした。それが今も使っているものになる。
ツイッターアカウントを作ってほどなく、JOL原宿のイベントについてのツイートで首尾よくふぁぼを得た。彼女達はエゴサ力が高い。
ちなみに、当時あまり深く考えず子供の頃好きだったウイングマンの桜瀬りろちゃんというアイドルをしているキャラクターをアイコンに使い名前もそのままりろを使っていた。あと、私はとにかく認知されたくなくて性別も特定されないように無駄に努力してた。
じゅじゅは2015年1月14日 1stシングル「idoll」をリリース。それにともなって1月15日新宿タワーレコードにてリリイベ開催。
前述したよう接触にあまり興味がなかった(というか緊張するし、帰る時間遅くなるし、ライブは好きだけどライブ終わったあとのフロアの空気は嫌いだったので)が、音源は買いたい勢なので、ようやっとじゅじゅ初チェキチャンスだったので行こうとしてたがこの日は仕事で行けず。
その後も対バンライブでよく見るようになって、新宿MARZの上の階から見て「じゅじゅちゃんあんなキャラだけど結構激しく動くよね〜」なんて会話を夫としたり、家でも疑問に思うことがあったら「なんで?なんで?なんでなんなんで?」と飛び跳ねたりと、日常にじゅじゅが混じるようになってきて、3月29日の1st ワンマンライブat渋谷duo MUSIC EXCHANGE にも赴くことになる。
1stライブは大盛況で、例のごとく後方観覧スタイルの私は配置どりがうまくいかずduoの柱に阻まれほとんどステージが見えなかった記憶…。例のごとく特典会にも参加せず帰った。
初めてのチェキ
あれ、私じゅじゅちゃんたちとの初チェキいつなんだろう…。
1月15日の新宿タワレコは行けなかったが、idollのCDは手元に何枚もあるのでどこかのリリイベが初だったのか。
でもどうやら手元にあるチェキ帳を紐解くと、2015年8月2日の2ndシングル「零」リリースでのリリイベが初だったぽい。
アイドルライブに行っても終わったらいち早く会場を出て特典会には行かないという非接触派だった時期、かなり長い。
それまでもそれなりに回数行っていた他のアイドルもリリイベとか特殊なイベント以外でチェキ撮ったことはほとんどありません。
しかし、このリリイベでのじゅじゅちゃんたち2人と初チェキ以降、この非接触派主義が変わっていくことになる。なぜかというと、しらいちゃんとねうちゃんがめちゃくちゃ好みで可愛いから。接してみてさらにそれを感じました。
それまで地下アイドルでは箱推しではあったけど、個人単位で好みの顔とキャラって子がいなかったんで…。
あと、この頃から夫が生ハムと焼うどん現場に通うようになり、生ハム現場をきっかけに特典会まで楽しむ姿勢が我らのスタンダードになってきたというのもあった気がする。
2015年10月31日の3rdシングル「月光ピエロ」の頃には、すっかりじゅじゅもよく行く現場の一つになっていた。
初めての遠征
2016年1月末、関西方面に予定がありそのタイミングでじゅじゅの大阪遠征があったので、ライブに行くことに。(厳密にいうとじゅじゅのための遠征というわけではないのだが)これが初めてのじゅじゅ目当ての遠征経験となった。
初めての卒業発表&卒業
すっかりじゅじゅのライブに行ったら特典会に行ってチェキを撮るようになってたけど、とにかく2人が好きで2人に囲まれたい欲が高かったので囲み以外は撮ったことなかった。あと接触時に話すのが苦手なので囲みはさっさと終わるので気が楽でいいし。
そんな折、しらいちゃんの卒業が発表され卒業となる。
じゅじゅの2人時代、いつも囲みで撮ってたチェキだけど唯一各々で撮ってるのが2016年2月28日の「宴」渋谷Wombの時だ。
しらいちゃん卒業前の2016年3月21日の「アイドル甲子園」新木場コーストでは、夫と2人で囲まれる4人でのチェキも撮った。じゅじゅ以前も2人で一緒に現場には行ってたけど、夫婦2人で同じメンバー(じゅじゅ の場合2人とも)を推したのはじゅじゅが初めてだったかと思う。
2016年3月29日の 「しらい×ねう 合同生誕ライブ」目黒鹿鳴館にてしらいちゃん卒業。この日のチェキも囲みで、2人に両側からほっぺをちょんとされてるポーズで非常に気に入っている。
そして、その後もねうちゃんとしらいちゃんは会えるような活動を続けてくれてて、元気で可愛くますます素敵になっていく姿を見せてくれている。これは本当に嬉しい限り。
現場に足繁く通ったりCD積んだりグッズ大量購入したりチェキもループして何枚も撮ったりするタイプではないし、オタクの中ではかなり熱量低めではあるのだろうが、結果的に今でも頻繁ではないながらも2人には会いに行っているし、私なりに大きい存在であることは間違いない。
備忘録なので、ここでとくにエモい思い入れを語るでもなく、読んだ人になにかを訴えかけるつもりもなく、本人たちへ特別伝えたいメッセージも無いのだが、一度こうやってまとめておきたくなったぐらいには、これからも大切な存在だし、出会えてよかったなと思っている。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?