りろー

色んなことを忘れていくので書き留めていこうかなと思います。

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色んなことを忘れていくので書き留めていこうかなと思います。

最近の記事

サブカルが一軍だった平成初期の話④〜ヤンキーとギャルの間で〜

小中学生の時に女子大生ブーム、高校卒業したら空前の女子高生ブームという狭間の時代を生きたポスト団塊ジュニア世代の中高生時代の様子を伝えるために書き始めたnoteももう4回目!毎度文字数が5000オーバーで長い。 自分自身は書いてて楽しいし、今まで読みたかったのに世の中にあまりなかった内容なので自分で何度読み返しても楽しい。人に読んでもらえるともっと嬉しい。 引き続きおもむくままにしたためていくぞ。 中学2〜3年生時代(1991年~1992年・平成3年〜4年)の文化先輩の圧

    • サブカルが一軍だった平成初期の話③〜ヤンキーとギャルの間で〜

      1989年〜90年、私が中1だった時の中3の様子を中心に書いた①はこちら。1年間で急激にヤンキーファッションが廃れていった時期だ。 1989年〜90年、私が中1〜2年くらいの時に触れた文化(TV/雑誌)を中心に書いた②はこちら。 引き続き、1989年〜(平成元年〜)に触れた文化とそれが女子中学生に与えた影響について書いていきたい。 中学1〜2年生時代(1989年~1990年・平成元年〜2年)の文化・アイドル バンドブームに伴い「アイドル」はダサくかっこ悪いものになって

      • サブカルが一軍だった平成初期の話②〜ヤンキーとギャルの間で〜

        前回までの、1989年に中1だった私の見た3年生の様子を中心としたお話はこちらで↓ 3年のヤンキーだった人たちのヤンキー色はどんどん薄れ1990年3月に卒業していった。 1学年上の2年女は、やはり時代の変化か、怖いヤンキー世代の3年が卒業したからといってヤンキーファッションになることはなかった。スカートを標準より短くしたり、化粧・茶髪・ピアスという校則違反行為の要素はあったと思うが、特別オシャレだったり華やかだったりなわかりやすい一軍グループがいた覚えがない。記憶にある目立

        • サブカルが一軍だった平成初期の話①〜ヤンキーとギャルの間で〜

          はじめに 以前noteに書いた「90年代後半のサブカル(チャー)漫画界隈の話」でも触れたよう、「サブカル」とは時代によっても異なるし、各々が持つ価値観や基準によりカテゴライズされることもあり、さらに同じ人間でもその対象に触れる時の年齢だったりタイミングによって変わってくるような、非常に流動的で曖昧模糊としたものだと思っている。 これから書いていくことは私自身が当時経験した記憶にあることをベースにまとめていく。ただし当時の自分の確かな記録(日記等)ばかりを参照しているわけで

        • サブカルが一軍だった平成初期の話④〜ヤンキーとギャルの間で〜

        • サブカルが一軍だった平成初期の話③〜ヤンキーとギャルの間で〜

        • サブカルが一軍だった平成初期の話②〜ヤンキーとギャルの間で〜

        • サブカルが一軍だった平成初期の話①〜ヤンキーとギャルの間で〜

          山手線全駅降りたことがあるか思い出してみる

          東京に住んで30年近く経つが、私は山手線の駅全部に降り立ったことがあるだろうか?あるはずだと思うが乗り換えや通過のみで駅周辺を歩いてなかったりするのではないか? JRのスタンプラリーに参加したことはあるが、気まぐれ程度に用事があった駅で押してみるくらいであり意識的に全駅制覇した記憶はない。 突如気になったので、書きながら思い出していこうという至極個人的なnoteになるので、有益な情報はなにもありません。 東京駅 もちろんある。普通にある。駅周りの諸々の商業施設や美術館

          山手線全駅降りたことがあるか思い出してみる

          旧奈良監獄を見学してきた

          明治五大監獄(千葉、金沢、奈良、長崎、鹿児島)の一つである「旧奈良監獄」。耐震性等の問題から2017年に廃庁しその役割を終え、2026年春に「星のや奈良監獄」として開業予定となっている。 2022年秋、これが一般開放最後かもというタイミングの時に見学してきた時の写真をまとめておこうと思います。 廃庁後、『これが最後の見学会!』というのを何年もやっていたが、実際ホテル運営会社が途中で変わったりして、なかなか工事着工できない理由があったみたい。 また、見学はできるもののコスプ

          旧奈良監獄を見学してきた

          藤子・F・不二雄先生 生誕90年記念の21エモン・モジャ公・ウメ星デンカのグッズについて

          2023年12月1日に生誕90年を迎えた藤子・F・不二雄先生。 ということで色々と記念企画が催され、2023年末から2024年3月末現在にかけても様々な企業からグッズが続々発売。 90周年記念特設サイトでは、グッズ展開用のFキャラ大集合デザインが3種類紹介されている。 セレブレーションデザイン…ドラえもん・パーマン・キテレツ大百科(コロ助)・エスパー魔美・ポコニャン・チンプイ・21エモン・モジャ公・ウメ星デンカ ヒストリーデザイン…上記+F先生 ダンスデザイン…ドラえもん・

          藤子・F・不二雄先生 生誕90年記念の21エモン・モジャ公・ウメ星デンカのグッズについて

          1970年代半ば生まれが語る90年代後半のサブカル(チャー)漫画界隈の話。

          家にある90年代末頃のおしゃれコミック雑誌についてまとめていたところ、90年代後半あたりからいわゆる「サブカル」とジャンルわけされることになるコミックがでてきている気がしてきて、具体的にはどういうものだったのかが気になり始めた。 前回のおしゃコミ雑まとめはこちら ここでも書いたが、私は90年代末頃のヤングレディース向けでおしゃれさを全面に出したコミック群のことは「サブカル」的とは捉えていない。 はじめに 「サブカルチャー」ではなく、「サブカル」がどういうものなのかは時

          1970年代半ば生まれが語る90年代後半のサブカル(チャー)漫画界隈の話。

          あまり語られない90年代末頃のおしゃれコミックを雑に語る

          90年代末から2000年頭にかけて、若い女性向けのコミックが活況だった。レディコミとも少女漫画ともちょっと違う。ジャンルではヤングレディースになるのだろうが、それよりもう少し尖った印象のものだ。 漫画雑誌はキリがないのでガンガン捨てるのだが、当時からなんとなく時代の徒花感あって捨てずにとっておいたものが出てきたのでこれを機にインターネット上に情報を残したいと思う。 FEEL YOUNG 増刊 SingSingSing 【1998.9.2発行】 ヒット曲をマンガで読もう!

          あまり語られない90年代末頃のおしゃれコミックを雑に語る

          自意識とバンドTと私③2000年〜現在

          バンドTを着る/着ない/着れないにまつわる自意識回顧録。 ガンズTシャツに始まる①はこちら 考えすぎてバンドT着れなかった90年代後半の話はこちら ②の最後にも書いたが、音楽フェス文化が活況を呈していくにしたがって、手に入るバンドTの種類も、着ていく場(フェス会場)も増えていく。 …と書き出してみたものの、2000~10年代末までバンドTを着ることもなく、フジロックやその他フェスに行ってもグッズ買ったことないんよな。いつ頃からそうなったのか、当初からそうだったのかはわ

          自意識とバンドTと私③2000年〜現在

          自意識とバンドTと私②90年代半ば〜後半

          自身のバンドTシャツとの向き合い方を思い出しながら書いて行く。 前回の①、中高生の頃の話はコチラ バンドT着れない期 90年代半ばに上京。制服を着ることもなくなり、着る服=自己表現の意味合いが強くなってくる。上京後、自分は比較的周りに音楽好きが多い環境下にいた。 90年代半ば〜後半ごろの自分に関しては、サブスクもYouTubeもない時代なりにジャンルに偏りはあれど新旧洋邦熱心に音楽を聴いてたしライブも行っていたが、バンドTを着てた記憶も記録(写真)もない。 トラットリ

          自意識とバンドTと私②90年代半ば〜後半

          自意識とバンドTと私①1989〜90年代前半、中高生時代編

          バンドTシャツとの向き合い方には人それぞれ異なったスタンスがあるだろう。そしてそれは状況や時間の経過によっても変化していく。 ライブに行く時用ではなく「普段着としてのバンドT」。 自分自身はバンドTにどのように接してきたか、過去を思い出しながら書き記していきたい。 初めてのバンドT 1989年〜90年頃、ガンズ・アンド・ローゼズのアペタイト・フォー・ディストラクションのジャケがプリントされた長袖Tシャツを買った。 実際ガンズは聴いてたけど、どうしてもガンズTシャツが着た

          自意識とバンドTと私①1989〜90年代前半、中高生時代編

          私なりのじゅじゅ(2人体制時代)備忘録

          3月は、長らく推しているアイドル・ねうちゃん(ネ兎ねう)としらいちゃんのお誕生日がある月であり、また、私がこの2人を好きになるきっかけとなったアイドルユニットじゅじゅのデビューも、しらいちゃんのじゅじゅ卒業も、その後じゅじゅの全メンバー卒業・現体制終了となったのも、全部3の月の出来事であり、この月は色々なことを思い出します。 今年はしらいちゃんとねうちゃん、2人のお誕生日当日の生誕イベントに参加することができたのもあり、様々な思いが胸を去来し…と思いきや、自身の加齢による記

          私なりのじゅじゅ(2人体制時代)備忘録

          綿業会館の喫茶付き見学会に参加してきた

          大正後期から昭和初期にかけて、大阪が東京を凌ぐ世界有数の大都市だった「大大阪時代(だいおおさかじだい)」。その時代の大阪の栄華をよく物語るのがこの船場に建つ綿業会館です。 こちらは紡績・繊維業界関係者たちの会員制倶楽部である日本綿業倶楽部の建物であり、会員たちの交流のためのサロンなので普段は一般の人は入れませんが、見学会というのを月イチで開いてくれてます。 コロナで見学会も中止になってましたが復活し、さらに今年TVドラマで取り上げられ認知度が上がったことで見学会の回数も増

          綿業会館の喫茶付き見学会に参加してきた

          旅館のアメニティ巾着袋が有能可愛い

          物を捨てない夫は、使いもしないものを溜め込んでおく習性がある。 捨てもしないが整頓もしないし、コレクト欲があるわけでもない。 という私も整理整頓が得意な方ではないし、夫が自分の領地に溜め込んでいるものは気にしないのだが、共有地にあるもので「さすがにもうコレはいらんだろ」と私が判断したものは勝手に捨てることがある。 乾いた紙おしぼりや予備がありすぎるコンビニスプーンやいつのかわからない醤油の小袋や汚れたショッパーなど、こんまりに言われるまでもなくトキメかない品々だ。風水的にも

          旅館のアメニティ巾着袋が有能可愛い

          橋本遊郭を見学してきた②「美香茶楼」(旧:第二友栄楼)

          前回の京都府八幡市の橋本遊郭見学、「旅館 橋本の香」(旧:三枡楼)編はこちらを。 つづいては、現在は中国茶カフェとして営業中の「美香茶楼」(旧:第二友栄楼)の見学へとやってまいりました。 「美香茶楼」(旧:第二友栄楼) 玄関のドア、表からだとそんなにわからんかったが、色ガラスがとても可愛い。 玄関ホール 入り口入って右側は、遊女が並んで客に選んでもらう陰見世という場所だとか。当時にはまだパネマジという概念は無い。 目立つ日の丸国旗に違和感を覚え聞いてみると、戦地に

          橋本遊郭を見学してきた②「美香茶楼」(旧:第二友栄楼)