見出し画像

外宮を歩いて考える 伊勢神宮は説明が少ないのか?

外宮外苑の勾玉池の花菖蒲がきれいな季節です。
梅雨入りも近いであろう6月の晴れた夕刻、外宮をお参りしました。
午後5時を回ると急速に参拝者は少なくなるので、ゆっくり落ち着いて参拝できるのはありがたいです。

先日、奈良に行ったのですが、つくづく思ったのは、東大寺や春日大社、元興寺といった世界遺産の寺社、さらには隠れた名刹のイメージが強い、西大寺や般若寺などでも、参拝者向けの説明書きや案内表示が多くあって、煩わしささえ感じてしまうことでした。
外宮を歩いていると、その逆で、案内版のようなものはほとんどありません。

SNS時代になって、地元住民ですら知らない伊勢神宮の習慣だの、しきたりだのが、もっともらしく流布され、新たに創造されるようになりました。
 伊勢神宮を参るときは、必ず外宮から先に参らなくてはいけない。
 伊勢神宮の正宮でのお祈りは個人的な願い事をするのでなく、感謝を捧げなくてはいけない。
 神前では二礼、二拍、一礼で祈るのが正しい作法である。
 このとき、最後の一礼は90度まで頭を下げるのが正しい。
 外宮の三ツ石は最強のパワースポットである。
 伊勢(宇治山田)では毎月一日(朔日)参りが昔からの習慣であった。

これらがすべて正しくないのは、伊勢神宮のホームページなどを見ても明らかです。私が子供のころ、大人たちは様々なスタイルで拝んでいましたし、鳥居をくぐるたびにいちいち頭を下げる今のような姿は、全く見たこともありませんでした。


このような、「間違った」とまでは言い過ぎかもしれませんが、必ずしも正しくない作法とかしきたりを排する意味でも、内宮でも外宮でも、奈良のように境内のあちこちに案内板を設置することはアイデアとしてはどうなのだろう、と考えました。

しかし、やはり頭の中でうまく想像ができません。
御手洗場で、柄杓は右手で持ってまず左手を洗い・・・とか、荒魂(あらみたま)とは何か、とか、和魂(にぎみたま)とは、とか、伊勢神宮の本殿は唯一神明造という様式である、とか。
一般の観光客が知らないであろう知識をいちいち書き上げて行ったら、すぐに至る処が看板と貼り紙だらけになってしまうでしょう。それに数か国語の翻訳もつけるなら、もうQRコードにしないと追いつかないでしょう。
やはり、そのような伊勢神宮の光景は想像できないのです。

しかし一方で、御祭神も知らない、式年遷宮も知らない、古殿地に見える心御柱のことも知らない、そのような参拝者が多いのは事実だと思います。
現にこのnoteで、皆さんが書かれている伊勢神宮の参詣記を拝見しても、予備知識不足というと大変失礼ですが、ああ、この知識があったらもっともっとこの方の参宮が有意義になっただろうになあ、と思うことはしばしばです。

確か、福井県の永平寺とか、京都市の苔寺(西芳寺)なんかは、拝観の前に、僧から禅の教えや修行について説明を受けたり、まず最初に写経をしなければならない、というシステムだっとと思います。観光モードから参拝モードに切り替えるプロセスが準備されています。
以前にお参りした京都の上賀茂神社の特別拝観でも、まず神職からおはらいを受け、10分ほどの遷宮についての説明を受けてから本殿と権殿をまじかにお参りできるシステムでした。非常にわかりやすく、ためになって、このやり方はいいなあ、と強く思いました。

参拝者全員でなくとも、希望者が別に初穂料を納めたら、神職から伊勢神宮の由来やお参りの作法を直接教えていただけるような機会が作れればいいのになあ、と思った次第です。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?