伊勢神宮で個人的なお祈りをしてはいけない?(まさか!笑)
最近、「伊勢神宮(内宮、外宮)の正宮(しょうぐう。本殿のこと。)をお参りするときには、個人的なお願いをしてはいけないのですよね?」と尋ねられることが本当に多くなりました。SNSで見た、ガイドブックにそう書いてあった、と言うのです。
さらには「個人的な願い事は、内宮なら別宮の荒祭宮(あらまつりのみや)で、外宮なら多賀宮(たがのみや)でお祈りしなくてはならない!」と信じている方も多く、ひどい場合はガイドと称する人々の中にもそうした説明する方がいるようです。
信仰は個人の自由だし、祈りには様々な形があってよいと思います。しかし、疑わしい情報に従う必要はないし、それによって伊勢神宮とのご縁を損なっては元も子もないので、「正宮で個人的なお願いをお祈りしてもかまわない」ことをご説明しましょう。
<伊勢神宮の公式見解は?>
伊勢神宮の公式ホームページには、参拝者向けの「はじめての神宮」というコーナーがあります。その中の伊勢神宮の「ギモン」と「ふしぎ」の6問めに「正宮では個人的なお願いごとをしてはいけないのですか?」というドンピシャな質問があります。
答えはこうです。
正宮は公の祈願をお祭りという形で行う場所ですので、感謝の気持ちを天照大御神に伝えるのが古くからの風習です。
ですが、決して個人的なことを祈ってはいけないところではありません。
個人的なお願いごとは荒祭宮と多賀宮でする、というような地元の風習としての信仰もありますが、どの宮社でもまず感謝をし、次にお願いごとをすれば良いかと思われます。
きちんとお願いごとをしたい場合は、神楽殿でご祈祷をあげると良いでしょう。
とあって、真に簡潔です。
ちなみに、回答の中に「荒祭宮と多賀宮でお願いするという地元の風習」とありますが、地元の伊勢市民に聞いたとしても、年配の人ほど「そんな風習は知らんだなあ。最近、そんなこと言う人が増えたなあ。」とおっしゃると思います。
以上で「正宮で個人的なお願いをお祈りしてもかまわない」ことは明確ですが、以下で少し補足しておきます。
<そもそも荒祭宮、多賀宮って何?>
荒祭宮、多賀宮は、それぞれ内宮と外宮の別宮です。別宮とは天照大神(あまてらすおおみかみ)や豊受大神(とようけおおみかみ)をお祀りする正宮の次に準じる、位の高いお宮という意味です。内宮の別宮である荒祭宮には「天照大神の荒御魂(あらみたま)」が、外宮の別宮である多賀宮には「豊受大神の荒御魂」がお祀りされています。
この「荒御魂(あらみたま)」とは聞きなれませんが、内宮外宮の正宮には「天照大神の和御魂(にぎみたま)」、「豊受大神の和御魂」がお祀りされているのとは対照的な、神様の魂の働きとされているようです。
もともと、日本の神々は優しく、正しく、行いが常に美しいとは限りませんでした。時には嘆き、怒り、祟る存在でもありました。神道も元をたどれば、神々が怒り、祟ることがないようにお祀りして、常に気分良くいていただくことが始まりだったことは明らかです。
天照大神、豊受大神とも尊貴、偉大な神であり、しかも魂の作用には平和な心の「和御魂」と荒々しい心の「荒御魂」があるのですから、荒御魂についてはわざわざ別に神社を作って、特別にお祀りをし、魂をお鎮めしたということなのではないかと思います。
こう考えられる根拠は、荒御魂が「祟った」ことは、過去にたびたび起こったからです。
有名なのは兵庫県西宮市にある広田神社でしょう。創建の由来は、自分の託宣に従わず新羅を征伐しなかった仲哀天皇に死を賜った天照大神が、その妻である神功皇后に「自分の荒御魂をここに祀りなさい」とふたたびご託宣したからです。この話は日本書紀に出てきます。
平安時代の長元4年(1031年)には、伊勢神宮での6月月次祭のさなか、臨席していた斎王の嫥子女王(せんしじょうおう)が突如神がかって「われは荒祭宮(つまり、天照大神荒御魂)なり」と叫び、斎宮の役人の不正などを暴いた「長元の託宣事件」が起こります。これは朝廷を震撼させ、藤原実資が小右記に伝聞を記していたほどです。
<荒御魂は荒々しくない?>
こうした祟る魂の荒御魂ですが、江戸時代も後期の19世紀になると、儒家神道や国学の影響を受けて、荒御魂にも新たな解釈が起こるようになります。
アラミタマとは荒々しい魂ではなくして、神霊がその神意をあらわして発動する、という意味の、アレミタマ=顕れ御魂である、という説明です。(日本の神々 神社と聖地6 谷川健一編)
現在の神道界ではこの解釈が妥当とされているようで、一般庶民が伊勢神宮に参拝するに際しても、個人的なお願い事は、神の能動的な作用の魂を祀る荒祭宮や多賀宮で行うほうが御心に沿いやすい、との俗説が生まれるきっかけになったのではないかと思われます。これが今のように広まる原因になったのは間違いなくSNSで、おそらくここ20年くらいのことです。したがって、特に年配の地元市民には物珍しい話に思えるのでしょう。