夕暮れの伊勢神宮・内宮参り
有名なお寺や神社はだいたい夕方の5時で拝観時間が終わってしまいますが、伊勢神社は今の夏の時期、午後7時まで参拝することができます。参拝客でごった返す昼間の喧騒とは別世界の、静寂に包まれた境内で心静かに参拝できるのでおすすめです。
午後5時。日は傾いてきたとはいえ、まだまだ明るく、暑いのですが、内宮の宇治橋に続く参道では早くも店じまいの作業が始まっています。ほとんどの店は5時で終了で、観光客もまばらになっています。
初夏らしく、たくさんの燕が飛び交っており、時おりぶつかりそうになってビックリします。もちろん燕はさっと避けていきますが。
軒下に巣を作っている店も多く、「フンに注意」などの張り紙があるのも季節を感じさせます。ただ、観光地によくある花壇とかフラワーポットのお花畑なんかは不思議とこのおはらい町ではあまり見かけません。
宇治橋前も人はまばらです。記念撮影の人がちらほらいくるくらい。
境内もこんな感じで、青空や新緑と相まって、突き抜けるような開放感があります。自分が踏みしめる砂利の音しか聞こえません。
途中で手水を使い、歩き続けること約10分で、正宮前に到着です。
天照大神の神威、神徳は計り知れません。なので、正宮で一度に何百人、何千人がお参りしようとも、神様はその声を一つ一つ聞き届けてくれるのだ、とはよく言われます。その通りでしょうが、しかし、ほとんど人がいない拝殿で参拝していると、神様とじかに向き合っているような気がして、いっそう心が鎮まる気がします。
次に、天照大神の荒御魂を祀る、荒祭宮へ。
こちらはまったく無人でした。薄暗い木立の中で、神様と向き合える喜びを感じます。神道は理論的な教義のない「感じる」宗教である、と言われる本質なのでしょう。
参拝を終えて、御池に。
水面に森の緑が鏡のように映り込んでいました。流水の音が涼しげです。
ますます日が傾いて、ほとんど真横から光線が照らしているので、境内沿いの木々が逆光で見えます。大変神秘的な光景でした。もうほとんど人はおらず、時々すれ違う衛視や神職の方々と会釈しながら帰りました。
せっかく伊勢に来られたのなら、時間を変えて、人がまばらな早朝や夕方の参拝もぜひおすすめします。神様と向き合える気がします。
また、歴史的な事実として、長らく日本人の心の底にある信仰形態は、神様は如来や菩薩といった仏様と同体であると考える神仏習合でした。伊勢神宮も例外ではなく、お参りを終えた後の清々しさはまた、仏性の表れでもあるとかつての多くの日本人は感じたことでしょう。