日蓮と伊勢神宮(廃寺を行く1)
日蓮宗の開祖である日蓮上人は、言わずと知れた日本仏教界の偉人ですが、伊勢神宮とも深い関係があります。
鎌倉や比叡山などで修業した日蓮は、法華経の教えこそ釈迦の教えの神髄であることを悟り、建長2年(1250年)に伊勢神宮を訪れ、外宮の度会神官の氏寺であり法楽寺院でもあった常明寺に100日間参籠しました。
このとき、
我 日本の柱とならん
我 日本の眼目とならん
我 日本の大船とならん
という三つの誓いを立て、それを内宮に誓願しました。
日蓮宗の「本化別頭高祖伝」という記録によると、4月28日黎明の結願の際、妙見大菩薩が日蓮の前に姿を現し、それをその場にいた多くの人が目撃したとのことです。
その妙見菩薩が祀られていたのが、平安時代の初めに度会一族が崇敬していた「岡崎宮」というお堂にある、妙見菩薩立像だったことから、岡崎宮の妙見堂は日蓮大聖人立教開宗三大誓願伝説の聖地としても全国の崇敬を集めるようになりました。
妙見堂がある場所は、外宮(山田)と内宮(宇治)を結ぶ旧伊勢街道(古市街道)の入り口にあたる、勢田川の「小田の橋」を越した、すぐの高台にあり、高いビルもなかった昔には、あたり一帯から見上げることができた場所だったでしょう。古市街道を行く多くの参宮客も必ず立ち寄りお参りすべき場所として知られており、賑わったそうです。
しかし、明治になって廃仏毀釈が起こり常明寺が廃寺に追い込まれると、管理者のいなくなった妙見堂も荒廃が進みます。いつしかお堂や妙見菩薩像も個人所有となり、いずれも山田の地を離れてしまうことになります。
重要文化財でもあった妙見菩薩立像は、昭和31年に読売新聞社主・正力松太郎氏の手にわたり、現在は東京都稲城市にある「よみうりランド」の聖地公園の中に安置されています。
5年ほど前に、三重県博物館で仏像の企画展があった際に、60年ぶりに三重県に里帰りしたとしてちょっとした話題にもなりました。
高さ約150センチ、少年のような若々しいお姿です。北斗七星が神格化され、それが仏教でいう菩薩となって人々の願いをかなえてくれる尊い存在となったそうです。(この像が岡崎宮に祀られるようになった伝説もあるのですが、それはまたの機会とします。)
妙見堂の建物のほうは、過去から何度か火災を起こし、明治時代に再建されたものが平成3年、長野県の不動産会社に譲渡されました。
この会社の諏訪市のゴルフ場に移築されたものの、その後に経営破綻により閉鎖されたため、現状がどうなっているのかはわかりません。
現在の妙見堂跡地には、四日市市にある本覚寺が事務局の「伊勢妙見顕彰会」というところが建物を建て、由来の看板を設置しています。境内には入れませんが、丘の上からは山田の街が一望できます。
せっかく伊勢に来られたら、ぜひこうしたあまり有名ではないけど歴史のある場所にも訪れていただければと思います。
場所は伊勢神宮外宮から徒歩で30分ほど、近鉄宇治山田駅からも20分ほどだと思いますが、周辺は住宅地のため駐車場は全くないのでご注意ください。
グーグルマップ
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