2024/7/1
起きる。月曜はギリギリまで起きれない。
起きてしまえばあとは自動で終わる。
所属が不明確だ。ずっと少し居心地が悪い。
給与明細を見ると、去年の同時期と比べ、労働時間が半分近いのにほとんど手取りが一緒だ。(定額減税分もあるが)これもひとつのあり方。退屈でも肉体的にキツくはない。どちらが本源的にキツいのだろうか。
帰りに本屋に寄った。
「ゆるい職場」…若い世代はゆるい環境にいる、らしい。しごきもなければ、フィードバックもない。自分の過去ばかりしゃべるオヤジ世代。
一度任せるのに最後までやらせないのが一番気持ちを挫くらしい。
すぐに辞めると思っているし、実際そう思う。
会社が仮住まいになってしまっているのに、持ち家のようなコミットを求められても辛い。
卵が先か鶏が先か。
肉体的には楽だけど、精神的には辛い。
アノミーは、得られると思っていたものが得られないことに起因する。
今の世代は、知恵の実を食べた、と著者は表現していた。
ひとつの会社で完結する時代は終わったのだと。そこでの閉鎖的なコミニティはある種の居心地の良さを生んだ。けれどそれが傷の舐め合いと言われるようになる。醒めたやつしかいなくなる。
醒めつつ興ずる、ことが生きる術。
本屋に寄れる生活を愛している。この世にある本をすべて読み尽くしたい。
暗くして風呂に入る。
晩ご飯を食べる。協力したらすぐにできる。トマトとハムのサラダ。ホッケ。だし巻き卵。
タンブラータイプの折りたたみ傘、タンブレラ。ビアードパパのシュークリーム。
研究は、自己実現なのか。社会の隙間を埋める作業なのか。自己実現で完結できたらいいだろう。けれど、組織にいる以上、そんなにうまい話ばかりではない。
会社に人望がある先輩社員がいる。彼は子供を育て、遅くまで仕事をし、機嫌が悪いところを見せない。けれど彼はこんな話をする。実家からの帰り道、自動車のナンバープレートが落下した。ナンバープレートなしで走ることになると、警察に捕まるリスクが出てくる。彼は奥さんに運転してもらいたいと思う。もしくは、その時相談した保険会社の対応が至らなかったとする。彼はコールセンターの窓口でひと通り文句を言う。相手に文句を言っても仕方がないのはわかっているが、こう思っている。
ーーー「文句を言われるのが仕事なのだから仕方ない」と。
ぼくが考えたいのは、きっとこういう類のことだ。
自己啓発書を読むと一瞬元気が出る。そして、自分に戻る。その繰り返し。それでも少しずつフォームが改善される。それを信じるしかない。自分の思考の癖は簡単には抜けない。自分の欲動は簡単には直せない。それはレンガの家を作る方が、簡単なことかもしれない。
幸福の時間
投資の時間
役割の時間
浪費の時間
前向きにいこう!どっちが前かな?きみのいる方向がきっと前。
能力主義の生きづらさをほぐしたい。
それは好きなこと?自分のやりたいこと?
やらなければいけないことは、辛さを生む。
やらなければいけないことは、きっと自身の心の隙間、動くと音が鳴るような部分にあって、それが世界と繋がっている。
フィクションは読めなくなった。読めるのは、現実と繋がったフィクションだけだ。
作家が自分のために書いていなければ読む気にならない。読者のために書かれるのは余計なお世話だ。それならばノンフィクションのほうがためになる。
ブルシットジョブとユートピア。
本立てと砂時計を買った。