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第二言語に触れるということ

(写真お借りしました。いつもお世話になっています)

○「英語」に触れる日々

大学院に進学して、私も一介の修士課程学生となってそろそろ2月になります。多くの修士課程学生に対して推奨される行為の中に「先行研究の論文を読む」というものがあるかと思います。
私が専攻している分野は、応用経済学という、世界的には英語圏の国がイニシアチブを取っていることような分野です。それに触れいていく中で、先輩方・先生方にこれを読んでみるといいよ、と教えてもらえる論文はそのほとんどが英語で書かれた論文となっています。(これには、正直所謂論文の雑誌の質なども考えると、英語で書かれた論文を世界中から選りすぐった権威のある雑誌から論文を探す、というのもありますが)
これに加え、私自身が理論など自分で勉強するときに使う書籍や、授業で教授陣が繰り出してくる教科書・テキストはそのほとんどが英語となっています。(例外としてあげられるものとして、日本特有の事象などを取り上げている授業くらいでしょうか)
果たして、なぜ私はこんなにも悪戦苦闘しながら英語を道具のように使うのか。今回はそんな点からキーボードを叩いてみようと思います。

○なぜ「英語」を使わないといけないのか

ここには、いろいろな理由があると思います。例えば、実験に用いるある機械が日本で作られておらず、説明書が英語しかなければ、英語が読めなきゃお話にならないでしょうし、そもそも教授陣が外国人であったり、留学生が多いなどの理由から日々のやり取りで英語を使わざるを得ない、といった事情もあるでしょう。
私自身、日本語の本とか論文で私が知りたいことを書いているものが見つからず、唯一見つけたものが英語で書かれていたから、英語を嫌嫌ながらやっていますし。
現実的に諦めざるを得ない、と言ったところがかなり大きいんじゃないかなと思ったりしています。というか、国際的にいろんな国の人と関わるような人にとっては、使えて当たり前のものになると思いますし・・・
極論生活に必要だから、英語を学んだり使っているのでしょうね。

○外国語に対する苦手意識

そうは言っても、どうしても「日本語で書かれてりゃ、こんなん30分ありゃ読みきれんのに、もう大分時間とってしまった」となり、歯痒い思いをしたこともしばしばあります。ですが、そもそも何故時間がかかってしまうのでしょうか。文法だの、単語だの、わからないことが多いからでしょうか?正直、この理由に私は懐疑的です。何故なら、私はライブ会場などボルテージの高まる場所で一緒になって、相手の国の言語も知らないような人と盛り上がれるはずですし、何より歴史の中で我々はお互いに敵意を持って戦争をしたという点で、相手がどう思っているかと言ったことをそれとなく理解できているはずです。

私は、このことの理由として「考え方に馴染むのに時間がかかるから」と言ったものがあると思います。
これを「お湯」の例で説明してみます。

○「お湯」

日本語で「お湯」という言葉があると思います。これを英訳してください。
この問いに対して、恐らく、ほとんどの人が「hot water」と回答してくださると思います。
では、「hot water」を和訳してください、と言われたらどうでしょう?
ある程度、英語に馴染みがない人は直訳としてそのまま「熱い水」と答えるでしょう。
このように我々にとっての「お湯」は英語圏の人にとっては「hot」な「water」であり、「water」の一種でしか無いわけです。言ってしまうと、水やお湯を巡って我々日本語話者と英語話者の中では、「物事の捉え方」がそもそも異なっているのです。
これは「お湯」の例に限らずです。捉え方として存在しているものが最初から異なっているのです。

○「第二言語を使う」ということ

さて、先に挙げた例をもとに、「第二言語を使うということ」の難しさについて改めて論じようと思います。
私自身言語学に精通しているわけではないので、あくまでも私の肌感覚になってしまいますが、違う言語を使うということは、違う考え方をする練習になると私は考えます。
しかも困ったことに、考え方、と一口に言ってしまっていますが、世界の捉え方すら変わってしまっているのです。自分とは違った捉え方で世界を捉え考える術を身につける、ここに私は第二言語の習得の難しさがあると確信しています。
そんな側面があるんだから、正直難しいと思うのも無理はねえだろ、とも言いたくなってしまいますね。
一方で、私はここにこそ、第二言語を習得することの面白さがあると思っています。RPGみたいで面白いな、と個人的には思っています。まあ、私は英語苦手ですが・・・

○まとめ

・第二言語が難しいのは、考え方すら変えることが根底で求められるから

○終わりに

はっきり言って私は、勉強が得意ではないし、もしかしたら好きではないのかもしれません。最近も、論文読んでたりしても、論文の内容そのものではなく、「こう言ったことを考える人間がいるんだな」と言う見方で、面白さを感じてしまっています。
ある意味で、そう言う私だからこそまだ第二言語やるモチベが湧くのかもしれませんね。

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