薬は自分のボタンの1つ
「薬をやめなさい」
こうして経験を書くようになって、共感してくれる方々からも経験が寄せられるようになった。
その中で多い「身近な人に言われた言葉」の1つがこれ。
「薬をやめなさい」
それは精神病薬にしか言われないのはなぜ??
私も実母にも義母にも、夫にも言われた。
私も最初は偏見を持っていたし、1度、離脱症状に苦しんだ経験から、
「飲みたくない」
という気持ちを強く持っていた時期はあった。
でも、薬で救われた今は必要性、重要性を伝えたいし、身近な人にも受け入れて欲しいと思っている。
薬があるから生きている
大袈裟に聞こえるかもしれない。
でも、その薬があるから今日も飲食や睡眠といった生き物としての機能維持活動を行える。
何かしら行動ができて、何かしらの感情を持てる。
精神病なんて嘘だろうと言われるくらい、普通に行動が出来る。
もちろん、その個人差は大きい。
寝たきりから、やっと起きあげる程度かもしれない。
いきなり飛び上がって普通に暮らせるかもしれない。
でも、それは
「完全に治らないから効いていない」
でも
「元気すぎるから完全に治った」
でもない
「薬があるから少し動けた、今日も元気でいられた。」
なんだ。
薬は失ったボタンの代わり
正常な状態なら、「何かをするためのボタン」は常に押せる状態
でも、正常でない状態になるとそのボタン部分がなくなってしまう…
そんな感じ。
機械系でも、指で押せる部分がなくなったら、その内側にあるスイッチを反応させるために、細いものを使って押したりするでしょう??
(なかなかないけどね、実際にそんなことは…)
人の行動や停止にもそのスイッチがあるとしたら、ボタンがなければ自分も他の誰かも、押すことができないんだよ。
失ってしまったボタンの代わりになるのが薬ってこと。
唯一無二なものに完治はない
壊れたもの、失ったものを同じ状態に戻すことはできない。
機械のように部品を変えて元通りに動いても、部品が変わった時点で、元通り同じものではない。
何となく色が違う…。
新しいものと古いもので微妙に動きが合わなくて、気づかないくらいでもズレや不具合が出ていることも…。
そんなもの。
人間だって同じでしょう。
無くしたら他のもので埋めればいいなんて簡単に言えない。
失ったボタンに予備はない。
薬という代替品を使って動かすけど、元々持っていたボタンに比べたら、遥かに脆いもの。
無理矢理違う方法を使って動かして、スイッチの周りや、そのものを壊してしまったら??
無理のない無難なものを選んで、常に常に補充・交換して、これは長持ちしてるな~に辿り着けたら御の字。
でもあくまで「長持ち」
一生補充・交換不要なんて保証はないんだ。
将来、元々持っているボタンと上手くくっつけて、使えるようにする術が見つかるまで…
その術が見つかるとも限らない。
見つけても、くっつけた反動で一緒に壊れて失う可能性だってある…。
「薬をやめる」は「補充・交換をしない」と同じこと。
「補充・交換をしない」は「当たり前や自分らしさ」を失うこと。
補充・交換頻度はそれぞれ
ボタンの補充は一日に何度も必要な人もいる。
でもそれで動けるなら、止まれるならいいじゃない??
相性の良い代替品が見つかって、その回数が1日1回、数日に1回、突発的に1回…
そうなることもあれば、使っているうちに違う部分の不具合でまた上手くつかえなくなって何度も交換に戻るかもしれない。
それを責めるなら、使用不能となることを受け入れる覚悟は絶対。
でも、薬をやめろ、しっかりしろという人は
「部品の補充・交換はしないけど、動け!止まれ!」
と言っているって事だよね。
それって都合良くはないだろうか??
少なくとも本人が
「薬のお陰で…」
を感じているのなら、まだそのスイッチはボタンを押す必要があるってことなんだから…。
「薬はボタンの1つ」