中島岳志『テロルの原点』を読む〜日本におけるJOKERを復活させぬために〜
以下、中島岳志『テロルの原点』の読書感想文です。
凄い本を読んでしまった。少なくとも2023年では暫定1位である。
個人的に、今年の年始にタモリが番組内で「2023年はどのような年になるのでしょうか」と聴かれた際に、「新しい戦前になるのではないでしょうか」と発言したことが、ずっと印象に残っている。
そうした中で、今年に入ってから同じく中島岳志氏の『血盟団事件』、小島俊樹氏の『五・一五事件』、そして本書を手に取った。なぜなら、新しい戦前の起点をどこにするかということの参照点は、やはり私自身も安倍首相の銃撃事件にあり、1930年代のテロリズムの脅威と、この事件に重なりを見出さざるを得ない。
私自身、これらの3冊を読んだ感想としては、現在27歳の私と同年代もしくはそれより若い人々が、貧富の差に喘ぎ、社会の在り方を希求するがゆえに暴走してしまった結果として1930年代のテロリズムがあるというものである。
本書の「おわりに」には、私も共有する中島氏の確かな危機感を表した以下の文章がある。
私は、無論テロを賛美しないし、暴力に断固として反対する。しかしながら、本書で描かれ、苦悩し続ける朝日平吾や、血盟団事件の井上日召や小沼正が苦しんだ社会像もまた、凄惨なるものであり、中島氏の言うようなむき出しの資本主義によって、自らの実存の感覚をも持てない状況を現代に再現してはならない。
サルトルによれば、我々人間は何をなすべきかの目的を持たずに生まれてくる。実存が本質に先立つのである。自分の本質はわからないが、近代では完全なる自由の下、あらゆる行動が自己責任として自分の前に降りかかる。そんな自由の刑の下で、私たちは葛藤しながらコミュニティや活動に心血を注ぐことで、自分自身の自由の刑を縮小しつつ、自身の本質を見出していく。
朝日平吾は、その性格も理由ではあるが、徹底的に家族やコミュニティから拒絶され続けてきた。また、労働者のための、世直しのための事業に関しても渋沢栄一を除き、多くの富裕層から拒絶された。逆恨みでこそあれ、朝日の実存を承認し、自己の本質を見出すプロセスが悉く頓挫している。拒絶され続けた結果、彼の計画は誇大的となり、虚しい妄想と化していく。映画でホアキン・フェニックスが演じたJOKERそのものであろう。彼の象徴的なテロ事件と共に、戦前と言う社会は社会はますます混迷を深め、未曽有の戦争に突入していった。
朝日とJOKERは自分の周囲から徹底的に見放され、凶行に走った。そのプロセスを再現させてしまうのでは、私たちが歴史を学ぶ意味がない。
これは三島が『文化防衛論』でもは話していることだが、人間は徹底的に怖いものである。自分自身への恐怖、他者に内在するどう猛さへの恐怖、これらが社会を成り立たせる。社会に総取りはない。社会は人間に内在する凶暴性にもっと関心を向けるべきであろう。
そんなことを学んだ本である。