戦力外家族

今日は、仕事はじめ。なのでワンルームの一人暮らし住まいに朝から籠もる。
朝の支度を手伝っているはずの時間、日中こまめに水を飲ませること、夕飯の支度をはじめる時間。
介護していると、1日は本当にあっという間に過ぎていく。
保育園の代わりが、デイケア。デイサービス。意識のある大人、これまでの関係性のある大人をデイサービスに入れることは難しい。
本人が行きたいと言えば楽だけれど、嫌だと意思表示された場合。その配偶者がどう考えるか。本人の意思を尊重するのか、それとも合理的な方策を取るのか。
子どもである私には、助言することはできても、決定することはできない。下された判断と方針にそって、手伝うのみ。
親の介護が始まって離婚したという話を最近よく聞く。わかる。
介護は、本当の意味で家族観が浮き彫りになる。自分自身が介護を少し手伝うようになって、もしもう一度パートナーを得るならば、真剣に、その相手がどう家族とかかわり介護するのか、はすごく大きな判断基準になるなと。
ただ難しいのは、介護は、実際に始まらないと誰もがきれいごとを言うこと。
老人ホームへ入る、ヘルパーを頼む、自力でやる、どれにも痛みが伴うわけで。痛みすら想像できないまま、介護を語る人もいて。
世の中には、育児より介護している人の数の方が多いはずなのに、なぜこんなに声の数や大きさが小さいのだろうか。

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