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平野耕太先生と社会学者の銀英伝問題は、老舗料理屋の悩み

最初に言っておくが、自分は銀英伝を1ミリも知らない。申し訳ない。
平野耕太先生は割と好きである。社会学者の人の方は存じ上げない。
しかしこういう話は興味がある。銀英伝は今回のをきっかけに履修するつもり。

で、なんか燃えてる平野耕太先生VS社会学者。
まず発端のツイートがコレ。

で、平野先生の反応がコレ。

平野先生の場合は、社会風俗として「あの世界はそう言うもの」として認識している。平野先生は漫画家だ。それこそ心血を注いで血の通ったキャラクターを、世界を作り上げている。

ヘルシングという作品がある。ナチやキリスト教など、やや扱いが難しい設定を作品に取り込んでいる。それがTVアニメ化された。出来は酷いものだった。何故か?いわゆるポリコレに配慮して、全然別物の作品になったから。そういう事もあって、平野先生がこの手の話に噛み付くのは良く解る。自分が必死に作った作品をポリコレに滅茶苦茶にされて、好きな作品までそうなったらもう目も当てられないのは想像に難くない。

最初に書いた通り自分も銀英伝エアプなのだが、いろいろな人のツイートをみるに、ヤンというキャラクターが社会不適合者で、フレデリカというキャラクターが世話焼きなのは分かった。

つまり、「ヤンとフレデリカがあぁいう状況なのは、各人の性格によるところであり、その性格を捻じ曲げてまで現代のポリコレに当てはめるのはどうか。」という事である。ポリコレを守ると、性格の多様性が無くなるのはコレクトネスなのか、という事である。

少し話がそれるが、自分もある意味似た状況である。以前は家事を分担していたが、コロナで妻が職を失い専業主婦状態である。たまにサボっているので、自分が家事をしようとすると働いていない後ろめたさからか「私の仕事だから」と怒られる。我々二人はこういう性格なのである。コレを自分が家事しないだのなんだの外野から言われたらたまった物ではない。

さて、社会学者さんの方の言い分は簡単にいうと「現代社会のポリコレからいうと、女性ばかりが家事をするのはおかしい」という事だろう。

このツイートも一理あると思う。以前からのファンであれば、性格の変更に違和感を覚えるかもしれないが、新規の視聴者が見たときに、時代の古さを感じてしまいそれがマイナスになるのであれば、やはり現代の価値観に合わせていった方がいいだろうとおもう。

原作者はなんと言っているかというとこうである。

私のキャラクター造形では、登場人物に「笑える欠点を作る」というのがありますが、フレデリカの場合はこれだったと言うことです。14歳の頃から軍人を志して、それを第一に生活していたので、こっちの方は後回しになったということでしょう。これも30年以上前だから許された表現なわけで、今の時代にはそぐわないと思います。ヤンが料理や家事をしても良いわけですから。

作者自体は、時代によって変えても良いと言っている。これは作者だから許される事だとは思う。しかし、従来のファンはその笑える欠点を、フレデリカはそう言うキャラクターだと愛してしまっている。社会学者さんの方が、一歩引いた冷静な視点で見ているな、とは思う。

結局の所、作品をどこへ向けたいのか違いだと思う。
平野先生や従来のファンは、もう出来上がったキャラクター、ひいてはそのキャラクターが動かすストーリーや世界観をできる限りそのまま楽しみたいのだろうし、社会学者さんの方は古参ファン以外も楽しめる可能性を増やすためにそのキャラクターの性格を変えられる範囲で現代に合わせた方がいいのでは?と言っているだけの事だ。どっちが間違ってるとかじゃないと思う。作品をどちらに向けたいのかの違いで。

伝統の味を守るか、新メニューで勝負するか、みたいな老舗料理屋さんの悩みと同じなのかも知れない。だから、どっちが正しいとか、そういうんじゃないんじゃないって思うし、社会学者の首置いてけってヒステリー起こすのも、作者がこう言っててハシゴ外されてるじゃんって冷笑するのも何か違うと思うんだよね。

で、リメイクするならどうすればと思った時、多少従来のファンから違和感を覚えられてもキャラクターの性格を変えるのであれば、しっかりとストーリーや世界観、そして何よりキャラクター自体が破綻しないように脚本を配慮すべきだと思うし、変えないのであれば、この人はこういう人なんですというキャラクターの説得力さえしっかりしていれば、問題ないんじゃないかなーと思うんだよね。言うは易く行うは難しって感じだけどさ。

おわり。


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