接待ゴルフ
私の記事をよく見てくださる方が、昔のお話も記事にしてみてと言われるので、書いてみました。
大学を出た後、サラリーマンをしていました。
お医者さん向けの医薬品メーカーの営業の仕事でした。
たまに、接待ゴルフがあります。
私は、ゴルフが好きではありませんでした。
でも、その仕事に、ゴルフは必須でした。
何せ、入社してから数ヶ月の研修を経て、配属された仙台の営業所につくやいなや、所長に連れて行かれたのがゴルフショップだったのですから。
無理やりゴルフセットを買わされ、所長は「さあ、これでよし!」みたいな顔をしていました。
ゴルフコンペがあるのは、当然、お医者さんがお休みの日曜日。お医者さんも休みだけど、私だってお休みです。
朝早く、住んでいた仙台から、重いバックを抱えて、担当地の福島県へ新幹線で移動し、そこから営業車でカントリー倶楽部へ向かいます。
いくつかの製薬メーカーが協賛の形をとっていて、受付には大手メーカーのいかにもこんなん慣れてますと、いう感じのセールスマンがにこにこ顔で坐っています。
ゴルフはたいてい4人でコースをまわります。お医者さん2人と製薬メーカー2人の組み合わせが多かったです。
普段白衣の姿しか見たことがないお医者さんが、ゴルフウェアを着ていると、いつもと違って見えました。
中には、白衣だとあんなにかっこいいのに、という感じのお医者さんもいらっしゃって、意外な感じがしました。
大抵、どのコンペに行っても、私が一番下手でした。
ゴルフが好きではなかったので、普段からほとんど練習をしていなかったからです。
なので、4人揃ってフェアウェイを歩くことはまずなく、林の中に打ち込んで、キャディさんとボールを探したり、池に入れて再スタート地点に行ったり、とにかく、いつも、通常の人の何倍も歩いていました。
バンカーというのをご存知でしょうか。私はあれにもよく捕まりました。
特に、グリーンまわりのバンカーは、たいてい、進行方向に向かって高い壁が作られています。
サンドウェッジというクラブでそこからボールを出すのですが、何故かバンカー内では打つ前に砂の上にクラブを置くことが出来ません。(こんなルール誰が考えたのか)それで余計にやりづらく、一回ではボールが出ないことが多かったです。
3回くらいやってようやくボールが出る頃には、一緒に回っているメーカーもお医者さんも手持ち無沙汰でうんざりしてるのが分かりました。
何とかカップにボールを入れ、もう何回打ったかも分からないけど、大体の数字をスコアカードに書いて、とぼとぼと次のコースに向かいました。(スコアカードは、正確に書かないとペナルティが課されるのですが、私の場合…)
ゴルフというのは初め9ホールをoutと呼び、残り9ホールをinといいます。
ようやくoutが終わりクラブハウスに戻ると昼食です。
メニューを見せてもらうと、カレー1400円、〇〇弁当2500円なんて書いてあって、このレストランだけインフレ。
適当に頼んで食べるのですが、とにかくみんな飲む。当然のようにビールをジョッキで飲む。冬でもお構いなしに飲みます。
仕方ないので、付き合いで飲みましたが、アルコールに弱い私は、昼食が終わる頃には、ふわふわした感じになっていて、ボールへの執着心と集中力を著しく欠いていることが多かったです。
そんな状態ですので午後になりinが始まっても、状況は午前よりも当然悪く、「ナイスショッ」という以外、接待らしいこともしてないなぁと思いながらコースを回っていました。
ところでゴルフには変な慣習がありました。コースの途中には、東屋みたいな休憩所があり、そこで飲み物を買ったりするのですが、その時、必ずキャディーさんに心づけとしてお菓子をいくつか渡すのです。
それをキャディーさんが持ち帰って子どもさんにあげるのかというとそうではなく、後で倶楽部側に買い取ってもらって現金化するのだそうです。
それはそうでしょう、ポテチばかりもらっても、年中、お供えの最中に手を焼いているお寺さんみたいになってしまいます。
それなら最初から、ポチ袋にいくらかの心づけを入れて渡せばいいのに。大変不可解な慣習でした。
そうこうしてるうちに、inの9ホールも終わり、表彰式となります。
若かったし、とにかくゴルフが嫌いで下手でしたので、楽しく今日のプレイを振り返るということもなく、ニコニコしながら、拍手をしているしかありませんでした。
その後は、お風呂でした。
ゴルフ倶楽部には、たいてい大きなお風呂がありました。
肉体的な疲れより、精神的な疲れがどっと出ました。
行きより重く感じるゴルフバッグと、帰ると下宿のおばさんのお土産になる、表彰式でもらった日用品を持って帰りました。
書いてみた下書きを女房に見てもらうと「辛かったんやね」と言われました。
それを聞いて、そうだっんだなぁと、改めて思いました。
営業職が向いてないことは、分かっていました。でも、薬は、人のためになるから、やりがいもあるだろうと思いましたが、そうではありませんでした。
よく似た薬があるので、別に自分の会社の製品をお医者さんが使わなくても、別のメーカーの製品を使えばいいのです。
病院のお医者さんが薬を使う時、製品そのものにあまり優劣がない場合、接待のような人的なつながりが、ものをいうこともあります。
そういった事情がわかるにつれて、私は、その仕事にやりがいを感じられなくなり、ある歌をきっかけに、会社を辞めることにしました。
でも、このとき得た、医学と医薬品の知識は、その後の仕事に大変役に立ちました。
また、東北という気候も文化も違うところに住めたことは、とてもいい経験になりました。
私は、会社を辞めたことをほんとに良かったと思っております。
あのまま、会社勤めをしていたら、今の年になった時、お金以外何もなかった気がします。
もし今、辞めるかどうかで、悩んでいる方で、自分のしたいことが分からない方は、辞めて、自分は何がしたいのか自分に問う時間を持つのもいいかと思います。
なぜなら、やりたくないことを無理にしていると、やりたいことが何か分からなくなるからです。
やりたいことは、不意にやってきたり、見つかったりします。その時を楽しみに、取り敢えず自分に向いているかなと思える、無理のないことをしたらいいと思います。
こんなところにもクイズ
偶然カーラジオから流れてきて、私が退社を決意するきっかけになった歌は?
ヒント1
中島みゆきさんの歌です
中島みゆきさんは名曲ばかりなので、これはヒントにならないですね。
ヒント2
歌の出だしは
「短パンをはいた付け焼き刃レディたちが…」
これで分かる人は、中島みゆきさんのファンですね
これでも難しいですね。では、最後のヒントです。
ヒント3
曲のタイトルは
「あたいの○休み」
○に入るのは、春夏秋冬のいずれかです。
分かりましたか。
答えはコメント欄に書いておきます。
長い記事にお付き合いいただきほんとにありがとうございます。