お遍路さんについて伺ったこと
江戸時代からお遍路宿をされておられるご主人にお遍路さんについて色々教えていただけました。
お遍路は江戸時代の初めまでは、「辺路」と書いていた。
「辺路」とは「この辺りのみち」という意味。
「遍」という字が使われるようになったのは、江戸時代の中頃のこと。
だから「あまねく」のような大層な意味はなく、そもそも固定した道ではない。時代によりいろいろ変わっている。
あなたが歩いたところが遍路道だ。
お遍路は元々僧侶の修行だったので、野宿をしながら霊場を回ることそのものが大切にされた。
江戸時代に案内本が出版され、さらに、弘法大師への信仰が盛んになるに連れ、巡礼をする人が増えた。
遍路そのものの意味が、修行する巡礼から病気平癒等、お願いをする巡礼へと変わっていったことで、お寺が重視されるようになった。
でも、昔の朱印はただの判子だったし、もとからお寺はそんなに大切じゃない。
もう今は、お遍路さんの85%は車だし、歩く人は年間3000人から4000人しかいない。
でも別に歩いて回らなければいけないわけではない。
弘法大師さんも車があったら乗ってたかもしれない。
昔は病気の人や、体に障害があって働けなかったりして、家に居づらい人が回っていた。
今は、お遍路さんは観光だから、食べ物がどうだとか、お部屋がどうだとか言うけど…
そんな時代もあったんだと、少しだけ知ってほしい。
などなど、色いなお話を伺いました。
宿のご主人が見せてくださった江戸時代の御朱印帳です。
ハンコだけのもありました。