家事をしていて感じていること
最近、家事をしていて、そのことが何かをすることの一部だったり、何かにすべきことの準備だったりすることを、独立した1つのことのようにやっている感覚があります。
例えば、洗濯をする時、洗剤をキャップで計って入れるという、無意識にでも出来そうなことを、洗濯という家事の一部という感じでなく、洗剤を入れる、それだけのこととしてやっている感じです。
洗剤のボトルを手に取り、キャップを開け、ボトルを傾けキャップに洗剤を満たしていく。
キャップの内側の線の所まで来たことを確認し、注ぐ手を戻し、キャップを逆さにして粘度の高い洗剤が落ちきるのを待つ。
そして、最後の一滴が落ちるのを見届けて、キャップを閉める。
うまく言えないのですが、ここで1つ終わったという充実感があります。
そして、次に、洗濯機のボタンを順番に3つ押すという動作。
それはそれで1つ満たされた感覚があるのです。
ところで今日、ヨガをしていて、全く同じ感覚になりました。
ヨガではいくつかのポーズをとるのですが、1つのポーズをしてる時は、その時の身体の感覚を感じていて、別のポーズのときは、全く違う身体の感覚を感じます。
それが最近、家事をする時に感じていた感覚と同じだなと、唐突にそう思いました。
洗濯は家事の一部ですので、今までだと、こなすという感じでやっていたのですが、最近、なぜか意識しなくてもその時の自分の無理ないスピードで、やるようになり、それとともに、取り組む、或いは味わうというような感じでしている自分がいることに気づきました。
それがヨガと似ているのです。
というのも、ヨガは、
1つのポーズは、他のポーズの準備ではなく、ひとつひとつ独立している。
後とか先とかはない。
その時、自分の身体が心地いいという感覚に従う。
頭は、常に、かなりクリアーなまま集中している。
終わったあと、充実感が残り、疲れを感じない。
それって、家事の時の感覚と同じだなと思いました。
飛躍しているかもしれませんが、もしかしたら、生きるということは、こんな小さなことの連続なのかなと、ふと、思いました。