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概念

 「絵の前に立つときの感覚は、小説を開くときに似ている。作家が何万もの言葉を費やして説くことを、絵画は一目で理解させる。一冊の本にも勝るとも劣らない思いが、一枚の絵に込められている。」とは作家、西條奈加さんが日経新聞の文化蘭に書いた文章である。(西條奈加|吉川英治文学新人賞、直木賞など)

 絵画の中にその作家の生涯の思いが籠もっているのだ。作品という小さな粒に人生のすべてが描きこまれているのは絵画でなくとも、小説でも建築でも同じである。その人の思想は小さな一粒の作品に全部が込められていて、その上、複数の作品を集めるともう一つ大きな思想が見えてくる。

 「概念」はそれに似ている。概念のなかに、小説家でも画家でもない一人の人間の思想が叫びのようにこもっている。

 「概念」について言語学ではこんな説明をしている。「連続的で混沌とした世界に際立った意味の塊を発見すると人はそれを概念として分節する」という。そして、どのような概念を発見するかはその人の思想によっている。また、福岡伸一さんは「世界は連続的で分けられない」というのだが、人は概念化することで世界を分節する。そのために概念はいつも曖昧で、概念はどこまでという境界が見えない。人間の身体でいえば、「頭」という概念は首のどこまでかはっきりしない。尻はどこまでかもその境界は見つからない。このように概念ははじめから曖昧であり揺れている。

 この曖昧な概念を用いて思想を表現するのだから思想もまた常に曖昧で人の解釈に委ねられている。「概念」という概念の面白さである。それなのに、この概念の発見が思想の発見に繋がっているし、この概念の発見が新しい商品や空間の発見に繋がっている。概念はまるでそのものが作品であるかのように、思想そのものであるかのように重要なのだ。

物学研究会主宰
黒川雅之

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