おのまとぺ by BUTSUGAKU
大切な「言葉=KEYWORK」を拾い出してここに掲載していきます。言葉は思想を 表現していますが、まるで「作品」のように直感的に伝えることのできるメディア です。
コロナ、コロナと、日本中、世界中が騒いでいるのを聞きながら、僕自身も自宅と事務所を毎日、車で行き来していた。人とは一年半、ほとんど会わない。仕事はほとんどインターネットとズーム会議だ。淡々と繰り返されるそんな毎日を全身で感じながら、僕は突然決断をした。 中国へ行こう!そう思ったのだ。天津に事務所を共同経営するパートナーもいる。住む家もある。オフィスだってある。ズームで中国でのセミナーに参加し、ズームでのコンペの審査への参加をしていると、逆転していいのだと思うようになった。中
「自然」という言葉を考えるとどれが自然かよく分からない。なんとなく、人々は「僕は自然が好きだ」と言っている。風と揺れる木々は自然だし太陽や月も自然である。だからそれ以上の説明をしなくても「そうだね、僕も自然が好きだ」と返すことができる。しかし、「自然を指差すこと」ができない。コンピュータをこれだよ、と指差すようにはいかないのだ。それは皆がいう自然とは「自然の意味」であって「物質としての自然」ではないからである。コンピュータもよくよく考えると「物質」としてのコンピュータではなく
ポストモダーンが多くの建築家たちによって語られた、あの時代からもう40年ほど経っている。あの時代、イタリアではメンフィスのグループがゲルマンデザインへの反抗であるかのごとく、ラテン的なけたたましい作品を発表して人々を驚かせた。そして、通り過ぎると多くの人々はモダニズムへの反旗を叫ばなくなった。自分はモダニストと開き直る人たちさえ現れるようになった。 実はいま、建築やデザインの外では近代は激しく崩壊している。遺伝子や生命論、そして、デジタル技術の領域ではその動きは顕著であ
長屋明浩さん(ヤマハ発動機執行役員 クリエイティブ本部長)寄稿 「クロストークを終えて」 先日、9月24日に、物学研究会のクロストークイベントに登壇させて頂きました。お題は、「モノが生む感動を再考しませんか?」でしたが、自身がやってきた仕事を通じて、そもそも何をやろうとしてきたのか?そしてこれから何を求め表現していくのか? について自問自答の機会を頂き、私も大変勉強になりました。 傾聴が大切、ひとの話を聴く、ということの価値が重要な時代と言われております。目立ちたがり
毎年、半分近くを中国で過ごしていた僕が、コロナが始まってからずっと日本に長居している。それどころか自宅と事務所の車での移動の日々になった。その間、たしかにボストンや上海や泉州や国内となんどもズーム会議をしている。国内でも中国でもズーム講演会は問題がない。スタッフたちはリモートワークで時々必要なときだけオフィスにくる。そんな日々を過ごしながら閃いたのだ。そうだ、天津に行こう。そこから中国をいろいろ仕事してまわろうと考えたのである。日本を拠点にしてこれまで以上に国際的に仕事して
6月13日の物学研究会のクロストークのモデレーション後記。デザインストラテジストの太刀川英輔さんとランドスケープデザイナーの三島由樹さんをお招きし、物学の代表の黒川雅之さんと3人のセッション。「『反近代』或いは『脱近代』」という黒川雅之さんの問題提起から始まった新イベントは、僕を含めてよくわかり合う4人だからこそのダイナミックでディープなディスカッションとなった。(YouTubeの物学研究会チャンネルにてアーカイブを是非ご覧ください。) 印象的だったことは、3人から何度も発
世の中、がたがた色々あるけれど、それなりに世界は安定している。こんな状態は今だからではなくて、生きてきたこの80年以上、こんな感じだった。子供の頃は子供なりに、若者のころは若者なりに、高齢なら高齢なりに、がたがたといろいろなことが生起して、それなりに安定して毎日が過ぎてゆく。 この状態を「動的均衡」ということもできるし「葛藤」ということもできる。 人間の身体は細胞の群なのだが、その細胞は毎日生まれ毎日死んでいる。何も変わらない僕なのだが見えない内部で生と死がせめぎ合っている
2021年4月、生まれ変わった物学研究会のキックオフ。ゲストはTakramパートナーでコンテクストデザイナーの渡邉康太郎さん。テーマは「数字とものがたりのリバランス」。 今回より毎月の例会後、モデレーターとしてテキストを残すことになった。レポートのようなコラムのような、僕自身のための勝手気ままなふりかえり。 自身の思想、Takramでの作品、先人の引用が有機的に編み込まれた康太郎さんのお話。印象的だったことのひとつは「いまの普遍はかつての異端」で、そして「いまの普遍も、明
「絵の前に立つときの感覚は、小説を開くときに似ている。作家が何万もの言葉を費やして説くことを、絵画は一目で理解させる。一冊の本にも勝るとも劣らない思いが、一枚の絵に込められている。」とは作家、西條奈加さんが日経新聞の文化蘭に書いた文章である。(西條奈加|吉川英治文学新人賞、直木賞など) 絵画の中にその作家の生涯の思いが籠もっているのだ。作品という小さな粒に人生のすべてが描きこまれているのは絵画でなくとも、小説でも建築でも同じである。その人の思想は小さな一粒の作品に全部が