楽曲変更
10月に踊った作品の楽曲を変えた。楽曲を変えても、同じ振付で雰囲気が変わるだけだとか楽曲とダンスの齟齬を楽しむなどもあるのだろうが、この変更では、なんとテーマを映し出す光の方向が変わった。
舞台裏を書いてしまっていいのか悩むけれども、10月に踊ったもともとの作品は、自我とは別に存在する心臓、私というものを生かしている心臓を軸に作った作品だった。心臓を宗教的に崇めるような作品。だから少し儀式がかっていた。ある方からは「アステカの巫女のようだ」とのコメントを頂いた。
今回の楽曲を作ってもらう際、テーマに併せてほんのすこうし私と心臓の関係をミュージシャン(キタさん)に伝えたら、見事にイメージを受け取ってくださり、一人の人間にとっての「転機、生まれ変わり、新たな自分、そして、その先。」(←キタさんの言葉)をテーマに作ってくださいました。アーチストの感性ってすごいんですね。なんだか瞬時に伝わってしまう。楽曲のタイトルが「灯火の輪廻」になっていてさらにびっくり。
ひとつ前の私の別の作品は螺旋をテーマにしていて、それこそ、個人の生死を超えた種としての生についての作品だった。でも、そんな話はキタさんには全くしていない。うーむ。
さらに。2月に踊った初振付作品は、絶対的他者(←レヴィナス風味で読んでください)としての自分の身体と出会う(=発見する)ことで生まれ変わるというのをテーマにしていた。
うーむ。ここまで見抜かれていますか。
しかもですね。本日、出来立てほやっほやの楽曲にあわせて踊ってみたところ、楽曲に触発され、稽古の中で振付とは別の次元で、自分の身体に出会うことができた。身体と出会うとき、膝は膝ではないし、腹も腹ではない。それは歓喜や賛美の対象だ。メタファーにする必要すらないし、メタファーで表しきることも不可能だ。(この1文を何気なく書いた瞬間に、偶像崇拝を禁止する宗教の気持ち?にはじめてはっきり共感できた!)
10月に踊ったものと双子の作品だけれども、10月の作品が影の部分ならば、今回の作品は光の部分なのだと思う。蛇足ながら、儀式は制度化された宗教の要素で、それはいがらっしにとっては力強く黒っぽいものであり、宗教として成立する以前の宗教的体験はいがらっしにとって歓喜をともなうひろがりのある白っぽく明るい場なのだと思う。穏やかな昼下がりのような。
あああああ。なんだかいろいろな経験やイメージがどどーっと押し寄せて、新しくニューロンが何方向にも繋がってしまう。危険。