「 」上演 ぱへやンマーケット
山田淳也です。
11月23日 新温泉町のナカケーというスーパーマーケットの二階で行われた「ブンダ場」というバザーのイベントの中で「ぱへやンマーケット」という作品を上演しました。僕達も出店者となり、お店を開くというマーケット型の上演になりました。
お金 ということばをおりなおすというおもしろい実践になりましたので、ここに記録したいと思います。
メンバー
山田淳也
仁平美月
大津葵
宮下千裕
ぱへマとは
ぱへやンマーケットは、ぼくが通貨とことばの類似性について考え始めたことがきっかけで生まれました。ことばは漠然とした形のないキモチや体験の世界を、人と人の間で共有できるように形式化されたもので、ことばがあることによってひとは、本来共有できないはずの「ばくとしたその人固有の体験」を誰かと共有できた気になります。
そこで僕は、それはお金も同じだろうと考えました。一皿のカレーライスの価値と、私が一時間バイトをすることで生産したサービスの価値は本当は同じではない。だけどそこに1000円というわかりやすい形が付けば、交換をすることができる。
ではお金をおりなおすことはことばをおりなおすことであるから、そのような活動は「(演劇)」活動であるといえる。
こうしてスタートした企画でした。ちなみに ぱへやン とは、意味や価値といったしがらみから徹底的に自由になるためにはどんな名前がいいだろうかと考えたときにでてきた名前です。ぱへやンの「ン」がカタカナになっているのは、ここだけカタカナにすることで真ん中の「へ」がカタカナなのかひらがななのかわからなくする、という大津によるアイデアです。この「へ」はひらがななのか?それともカタカナなのか?と考えている時間は実質何も考えていないのと同じだろう、ということから頭を空っぽにしてくれるなまえ「ぱへやン」になりました。この、一瞬「?」が頭に浮かぶことばによって既存の社会通念を取り外して別の社会通念を考え始められるようにする、という仕掛けになっています。
戯曲について
今回の戯曲を制作するに当たって参考にした文献があります。特に影響を受けたという意味でここで取り上げるのは、熊倉敬聡著「瞑想とギフトエコノミー」です。この本を読むまで、僕は今回の戯曲を「何とでも交換できる」マーケット、例えば唄や踊りや詩を、持っているレシートでも、その場で書いた絵とでも、もしくは思い出話なんかと交換してもいい、というふうに設定するつもりでした。しかしそこには未だに交換の原理があります。この著作から、贈与という経済の回し方もあるのではないかというアイデアを頂きました。
更に、お金というものをおりなおすために、既存の「お金」という概念の定義をしなくてはいけませんでしたが、それもこの本から影響を受けて自分なりに解釈した概念を使わせていただきました。より多角的な視点から戯曲を精査するために次からリサーチする文献を増やしていきたいと思います。
ここまでが戯曲となり、上演の際に参加した人に配られ、またマーケットの机に張り出されました。
ぱへやン会議について
ぱへやンマーケットを出店するに当たって、店頭に並べる「品物」をつくる必要がありました。ある程度の数必要になるし、僕達だけで作っても面白くないなと思い、CAT生の力を借りることにしました。
そこで、「ぱへやン会議」というスペースをオープンしました。
芸術文化観光専門職大学の学生寮には交流室という皆で好きなように使えるスペースがあります。その交流室の隅っこを使って人が滞留し、「品物」を作ったり、話したりしていったりするオープンスペースをひらきました。
一日目は3人ほどだったのが、だんだんと増え、計5日間で品物は大量に「せいさん」されました。2日めからは、僕が紅茶を提供し始めて、より長居する人も出てきました。僕が料理を部屋で作って食べてもらったこともありました。これは贈与の実践です。きたひとは何かを作って「品物」にして僕達に贈与する。僕達はきたひとに紅茶や、話をゆっくりできる時間を贈与する。
入った人にはまず、「なにか書いていって」とラフにお願いします。その後なにを書くかについて話しながら考える時間がある。その話をぼくが聞く、という状態になりました。他の人の品物を見る人もいたし、全く関係のない話をひたすらして帰っていく人もいたし、絶妙な距離感で他の人の話をきいて帰る人もいました。そして話が盛り上がってある程度滞留する体勢になってきた人に私が紅茶を勧めます。するとその人は私が紅茶を入れるまでの時間、そして飲み切るまでの時間その場に居続けることを、紅茶を進められた時点で決めることになります。そうするとその人はより本腰を入れて一緒にこの空間を作る共同主催者のようになっていきました。また、寒い季節に温かい紅茶がでるのは人の心に豊かさを注いでくれます。大したものではないけど、条件が揃えば人は実体以上に豊かさを感じ、その感じた豊かさは場を暖かく和やかなものになりました。
このように、飲食物は場の状態を変えることのできるツールだと言えます。
ぱへやン会議では食事の提供も行われましたが、交流室の規則で食事ができないため、限られた範囲でしかできませんでした。食事は人間が生活する上で欠かせないもので、一定の時間をかけて行われる日々の営みです。どれだけ居心地のいい場所であってもお腹が減れば家に帰って腹を満たさなくてはならない。その時間はその場所から離れる必要がある。その時間をその場から離れずに過ごすことができたなら、ひとはもっと時間をかけてじっくりと場を作っていくことができるだろうとおもいます。そして食事をともにすることは、ほかのなによりも生理的な部分でなにかを共有するコミュニケーションになりうるのです。ことばでは表現できないが、なにか生々しいやり取りが生まれることがあります。それは人と人の壁を一枚超えてくれるコミュニケーションなのだと思います。
交換 と 贈り合い
「ぱへやン会議」を通して僕達が知ったのは「交換」と「贈り合い」の違いでした。「交換」は、これがほしいから自分の持っているこれと引き換えにする、自分の何かを失う代わりに何かを得る、という感覚が強いのです。ですが、「贈り合い」は「わたしがあなたになにかしてあげたい」という純粋な贈与の感情からきているので、相手に感謝されようがされなかろうが別に構わない、という態度で成立します。贈られた側も、感謝や、なにか返さなければという義務感ではなく、ただ何かが贈られた豊かな感触だけが残るのです。現代においてもお歳暮などの「贈り合い」経済は存在しますが、贈られたときに「返さなければ」と思ってしまうと、それはもはや「交換」とかわりありません。現代においては「贈り合い」に見せかけた「交換」が多いのではないでしょうか。
「贈り合い」が起こるのはある意味奇跡のようなものですが、起こす事のできる奇跡です。そして「贈り合い」がもたらす豊かさは計り知れません。
太陽は命に恵みをもたらします。大いなる贈与です。贈るとは、太陽を持って人に向かい合うようなことです。太陽を向けられた人は心に陽をためて、次の誰かを照らす太陽になることができるのではないか、その実感が「ぱへやン会議」によって掴むことができました。
同時に、交換の必要性もわかりました。なぜなら「贈り合い」は贈りたい!と誰かが思わないと発生しないからです。その感情はコントロールできるものではありません。贈与の体勢になることは努力によって可能ですが、すべてを贈与にするのは難しいだろうと考えました。それに引き換え、交換は好きなときに成立させることができます。通貨とはその究極でしょう。
これらの考察から「交換と贈与のバランスをとる」という一行を戯曲に起こそうと考えました。
上演
ぱへやンマーケット上演当日です。最初は皆怖がってか、近づいてこようとしません。何をしているか、ぱっとことばにして説明できないものを、人は恐れる傾向にあります。
当日は、白画用紙と色画用紙、そしてサインペンや鉛筆、クレヨンなどをおいておき、絵を書いてくれたらその場でそれと何かを交換したり贈与したりできるようにしておきました。
そうしたら案の定子供がきて、絵を書き始めます。大人はそれにつきそうかたちでやってきます。そこで僕達はこのマーケットの意図を大人に伝えます。子供は子供で楽しんで、大人とは真面目な話をする、という空間かなりいいなと思いました。
きてくれた大人のひとたちとは色んな話をしました。最近の物価高の話から始まり、東京に暮らしていてこちらに移住してこられた方は、家賃を払うために働いて、みたいな生活に心を病んだという話を聞かせていただきました。政治の話にもなり、僕が国政選挙で無力感を感じた話をしたら、町長選挙のほうが自分たちでやっているという実感がある、という話をしてくださった方もいました。フリーマケットアプリに違和感を感じている、と話してくれた方は、ものに値段がついて売られていくということ自体に違和感を持っているようでした。こういう話はどんどん出てきました。
いろんな方たちと話していったら、やっぱり自分の感じていた社会への違和感は自分だけのものじゃなかったことを知りました。しかし、それを誰も自分だけの力でどうこうできないから何もせず待つしかない、という現状があるように感じました。「()」ということばをおりなおす技術によって、自分たちの手で現状を変えていける、という手応えが配ることができたらいいなと思います。後で記述しますが、小さくてささやかだけど、たしかな手応えが、このぱへやンマーケットにもあったのでした。
いろんなドラマ
同じ出店者の方で、お茶を販売されている方がおり、その方がお茶をあげるので看板を書いてください、とお願いをしてくれました!美術をしている大津が急いで書き、僕が仕上げて渡しに行くと、とても喜んでくれて良い交換になったなと思いました。しかし事前情報のせいなのか、「物々交換」ということばがわかりやすいからなのか、みんな「ぱへやンマーケット」のことを物々交換ができるマーケットだと認知しているようだったので、なんとか話をしてそれだけじゃないんですということを伝えました。人はすでにある言葉の中に未知のもの、わからないものを含めることで納得し、それでようやく怖くなくなってくるんだろうと思います。わからないものをわからないままで触れるのは怖いことですから。
仁平が店でギターを引いていると、ギター大好きな男性がやってきて仁平のギターを聴いていました。そして投げ銭をくれました。歌が交換されたのでした。その男性は長く滞留して音楽の話を仁平とし、自身も一緒に歌っていました。ここでは歌の贈り合いが起こっていました。
さらに、そのノリで仁平は空いたスペースを使ってライブまでやりました。こういう自分の欲求への瞬発力や迷いのなさは、パフォーマーとしての仁平の才能です。
表現って贈り物なんじゃないか?
おしながき という欄を作ってそこに「うたやおどり、にがおえも取引してます」というようなことかきました。おどりについては、僕が事前に「おくりものおどり」というのを構想していました。それはこの場に贈与される踊りです。踊りは贈与の形態になりうる、とおもっています。交換としての踊りも、もちろんあるのです。「凄さ」と「美しさ」で観客の注目をあつめ、その力学に反作用して更に大きな力学を観客に返していく、というようなおどりかたです。でもそれだけではしんどくなってしまうときがあった。だからおどり方を変えました。徹底的に身体を無にしていき、無の領域からある地点でぱっと周りを認識し始める。すると身体のおくそこから何かが湧き上がってくるのです。その湧き上がってくる何かをできるだけそのままの形でその場にいるすべての存在に贈ります。自分が太陽になってしまうような、そんなおどりです。
そのあと、僕の身体はしばらく余韻で踊りの状態になっていたので、ギターを引き始めた例のギターのおじさんとセッションが始まりました。楽しいセッションになり、最後は周りの人たちから拍手が起こりました。狙ったことですが、歌や踊りがあれば演劇に見えてしまう現象を使って、「これが演劇である」ことをいちおうアピールしています。
大人にアイデアを書いてもらいました
真剣な話をしてくれた人にはお願いして新しいお金の回し方についてや、お金という概念についてのアイデアを頂きました。これも僕達だけが新しくおり直す戯曲の正統性を握っているわけではないという考えから、人それぞれにあるはずの次の社会の「戯曲」のアイデアを出してもらうというふうにしました。戯曲はみんなで書き換えていくのが間違いは少なくなるだろう、という考えです。
ある子がはじめた遊びが示唆した「()」の可能性
マーケットも後半に差し掛かったころ、ある子がぱへマに何度も訪れてソワソワ気にしている様子でした。その子は普段できない取引ができる事自体に関心があるようでした。何度目かの交換と贈与のあと、その子が「特技との交換でも良い?」とたずねてきました。「もちろんいいよ!」というと、その子は自分の肩甲骨を異常なまでに浮き出させるという特技を披露してくれました。すげーとなった僕は、気に入っていた商品を贈りました。
おもしろかったのはそこからです。その子は自分のその特技を使って他の店舗の大人たちと交換をしようとし始めたのです。しかも自分で「けんこうこつをうきださせるのでぶつぶつこうかんしてください」と書いた紙を持って。その様子を観ていた僕は、ぱへマの戯曲をその子に渡して、「この紙を渡してからお願いしたらもしかしたら交換できるかもよ」と言いました。その子は恥ずかしそうに紙をもってぐるぐる店の前を回っていました。そしてその後ある店の出店者にヨッシーの絵を書いてもらい、自分がぱへマで交換して手に入れた絵と交換していました。ぼくはなにか、とても重要な場面を観ている気がして、感動していました。きっとその子は自分が楽しいからそんな遊びをしたんだと思います。でも、その無邪気さや、現実を遊んでいく態度にこそ、社会がおりなおされていく契機が見える。その子の身体が放つ力にただ感動していました。子供は大人より遥かにしがらみのすくない自由な世界で遊ぶことができる。その遊びこそが現実というややこしい問題をするりとすり抜けて、大胆に、鮮やかに、これからの社会を変えていってしまうものなんだと思います。
そののびやかな遊びを喚起したい。それがいつか、きっとどんなかたちでかわからないけど、今しかない、この世界しか無い、こんな自分しか無い、こんな社会しか無い、そんなことの重なりに押しつぶされて息ができなくなってしまう人を救う「形式=ことば」になる。
これが見れたこと、本当に良かったです。
さて、その子にぼくはお願い事をしました。こんかい体験したお金の使い方に「なまえ」をつけてほしい、というお願いです。皆で指がさせる文字や、みんなで声に出して呼べる名前があると、そのことばを使って遊ぶことができます。ことばは遊びを喚起するのには絶好なわかりやすい形式です。大人も子供もそのことばを、この時この場に、あるもう一つの経済が成立したことのシンボルとして時空を超えて見つめられるようにしたい。それが「(演劇)」もしくは「()」の最後の要素です。
その子は三〇分くらいかけて悩んで悩んで、いろんな検討をしていました。「これ辞書に載るかもしれないんだよね?」とか「みんなが言いやすくて、でも意味深な名前がいい」とか、だいぶ迷ったみたいです。この過程を焦らせてはいけない、と思い、話を聞くだけでほとんど何もせず、ただ隣でそれを見ていました。このときにもう店じまいをしなくてはいけなかったのですが、僕はほとんどその作業を手伝わずそれを観ていました。それが今できるいちばん重要な仕事だと思ったからです。みんなすみません。
悩んだ末、こんなことばが生まれました。
感動しました。なんかすごい現場にいあわせた感じでした。複雑な、未だ名前のついていないあるばくとした体験が、シンプルな造形=ことばとして出現する。その瞬間、次はそのシンプルなことばが遊び使われて組み合わされて、複雑に形作られていくであろう、「もう一つの社会」がそうぞうされたのです。
今、この社会だけが自分たちが生きていかなくてはいけない社会ではない。社会は自分たちの手で、それぞれで、少しづつではあるけど作り直して行くことができる。
ことばをおりなおすことによって。
もうひとり、名前を考えてくれた男性がいました。この男性も熱心に考え、最後に「チャレンジ」という名前をつけてくれました。この男性はさっきの男の子が名前を一生懸命考えているのを、ずっと気にして「名前決まりましたか?」「まだですか?」とソワソワしていました。ことばが生まれる瞬間の、あの独特の感動を共有できた気がして、とても嬉しかった。この実感が「(演劇)」を下支えしてくれる。
あることばが存在する時、そのことばには独立した実感が必要だと考えています。演劇ということばには演劇特有の実感がある。そのことばの奥にあるなにか、は代替不可能なものです。「(演劇)」には演劇とはまた別の実感があるかもしれない。それは「(演劇)」から演劇をとり外すことのできるトリガーになりうるものかもしれません。
とんでもないものを発掘したかもしれません。この実感は今までの形式の演劇では得られない種のものです。もはや演劇という枠すら要らなくなるかもしれない。演劇の実感やその歴史を十分に背負った上で、「(演劇)」は「()」という独立したになりうる。そのとき、芸術というものに取って代わる「もう一つの」概念が誕生するかもしれない。そんな予感がしました。
最後に、今考えている「()」の作り方の形式を紹介します。これもすぐ形式化して、ひろく使えるものにして発表するつもりです。
「()」のつくりかた
①まずおりなおしたいことばを中に入れる。
②そしてそのことばの既存の概念を仮定義する。
③定義した概念が成り立っていく構造自体の仮説を立てる。
④より自分が思う望ましいそのことばのあり方を形式化し、戯曲に起こす。
ここから上演
⑤上演の段階で、既存の概念を再現したあとに ばく をして、あたらしい概念「(X)」を演じる。
⑥「(X)」について感想を共有し、戯曲を精査してみる。「(X)」の中のことばをそこにいる人で決める。
とりあえずはこのように形式化できるのではないか、と今回でわかりました。でもこれだとまだ少し難しいので、普遍性は無いかもしれません。普遍性を持たせるための難易度はどの程度なのか、考えていきたいと思います。次はこの「()」を僕ではない人が作り、みんなの「()」を上演する実践をしてみたいと思います。