600字で綴る⑨他者からの評価を目的化するべきでない最大の理由
一昨日、自己紹介で「大学院で勉強しています」と言ったところ、「学部で就職し損ねたんですか?」と返された。来ましたこのパターン。こういうときは感情を抹消し、流れ作業での対応をオススメします。ぼくはいつも通り、長年多くの人との関わり合いの中で拵えたTomo人間関係マニュアル取り出し、「研究したいことがあり進学しました」+「満面の笑み」で返す。日本社会は今日も通常運行のようだ。世間では、「文系大学院進学」=「就職失敗」なのだ。相手に悪気はなく、ただ疑問をもって尋ねてきただけ。別に攻撃の意図がある質問ではない。だから、僕としては怒りも悲しみもなく、「世間で僕はこう見られているんだ」という「学び」でしかないのだが、似たようなこと言われた経験は過去に無数あり、社会と自己認識のズレを感じる日々である。▶常識は一つではないのだ。私が持つ常識は、他者から見れば常識ではない。他者が持つ常識は私から見れば、非常識であったりする。だから、自分の軸を持たねば、自分のことを信じなければ、自分の情熱に身を委ねなければ、きっと迷子になる。他者からの評価を目的にすると、無数にフワフワと浮かんでいる得体の分からないモノに身をゆだねなければならない。しかも、そこに「良い」か「悪い」かの物差しはない。本来生まれた瞬間から、人は唯一無二である。環境も、出会った人も十人十色。だから、自分の軸とオリジナリティ、そしてこの人生を強く信じること。そこに尽きる。