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嫌なことノート 02_拝啓「近鉄 普通電車」様

「ルール」は簡単。

「誰しもが守るべきもの」と認識されているもの。という理解。

それは間違いないと思います。

だから、そうなってないことに出くわしたとき、「それはだめでしょう。」と言って良い。

しかし、「モラル」とか「マナー」とか、そういうレベルになると、本当に難しい。

「そうとは言い切れない」ことかもしれないし、「人それぞれに考え方が違う」ことなのかもしれないし。

絶対的なものではないので、「それはだめでしょう。」と言い辛い。

でもね。でもね。

個々人の主観以外の何物でもないのは百も承知なのですが、

「なんか気持ち悪くないですか?」とか、「そのほうが気持ち良くないですか?」と言いたいことは、それはそれでありまして。

そんな、「賛否あるだろうな」と思いながらも、でも、自分の考えとしては、「なんでそうなるのよ・・・」としか思えないこと。

そんな嫌なことノートについて、お話ししたいと思います。

これ、私が毎日通勤で利用してる、近鉄の普通電車の社内の様子。

恐らく、都会の人にとっては、にわかに信じられない様子なのではなかろうか、と思います。

人が誰も居ないって?

違います。今回は、田舎をディスるお話しではありませんので、そこはそっとしておいてください。

ものすごい田舎であることは否定しませんが、座れない乗客が居る程度には人は居ますので。

たまたま、ターミナル駅で、乗客が居なくなったところを撮影しただけ。

それはさておき。

今回のテーマはこれ。シート。

ベンチシートとかロングシートとか呼ばれるタイプの座席。

一見してすぐにわかる、都会の電車との大きな違い。それは、シートに仕切り棒や仕切り板が設置されていないということ。

ちなみに、これは、京葉線の車内。たまたま出張したときに撮影したもの。

シートの中間に仕切り棒が見えますね。

近鉄の普通電車には、この仕切りがありません。

するとどうなるか。

こうなったり、

こうなったり、

します。

「座れるのかい、座れへんのかい、座れるのかい、座れへんのか~い。」という感じ。

このシート、設計上は6人掛けですね。

しかし、ど真ん中に座る人の多いこと多いこと。

真ん中に1人座ってしまうと、正にワープロソフトの均等割付機能のように、端から端まで、綺麗に等間隔で5人掛けることになる。

そうなると、人と人との間隔には余裕があるけれど、人一人座れる幅まではないという、何とも微妙なスラックができてしまいます。

「微妙な幅で、座ろうとする人の邪魔をすな、すな、すな、すな、すな、、、」という感じ。

だから、この、ちょうど中間の位置に仕切り棒を入れてほしい。

そうすると、左右3人ずつになる。

3人ずつ座ることができるところに、余裕で2人で座っていると、あまりに余裕過ぎるので、

前に誰かが来ると、その状況に、ちょっと申し訳無さを感じて、スペースを空ける行動に出る確率が格段に上がると思うんです。

そうは言っても、費用がかかることですので、言うは易しなのかもしれません。

だから、やっぱり、そんなことで行動を縛るようなことをしなくても、

皆が、「もう一人座れるようにしようよ」という行動に出れば良いだけなんですよねぇ。

で、行動に出るためには、「今、この状態。あかんやん。」という状況把握がまず必要なのですが、

どうも、それができてないみたい。

ずっとスマホを触って目を塞ぎ、ヘッドホンをして耳を塞ぎ、周囲の状況など意に介さない状態。

これじゃ、わかりませんわな。。。

だから、私に写真を撮られても全然気づかず・・・なんですね。

だから、先にお話しした、「ちょっと申し訳無さを感じて」というのが期待できないかもしれない。

状況の処理能力の高低の問題ではなく、それ以前のそもそも情報のインプットの問題。

「この状況、何とも思わないの?何とかしたらどうなのよ」と言う方が無理なんだな。仕方ないか。

この写真を撮影した後、右の彼女が、スマホをやめて、かばんから何かを取り出した、と思ったら、勉強をし始めた。。。

いやいや、学校の勉強する前に、もっと勉強せないかんことがあるで。。。

少々古いですが、『日経ビジネスオンライン』に、こんな記事が掲載されていました。

なぜ電車で「中ほど」まで進まないのか ~気の利かない人が増えた理由~

「気を利かせる回路がない」ですか。なるほど。納得。

都会のように混んでいる訳でもなく、かと言って、横になっても大丈夫なくらいガラガラでもないので、

そもそも、田舎度が中途半端なのはわかるのですが、

棒1本で解決できる問題、高まるマナー、快適な車内、ってのにつながるのであれば、、、

やってもらえませんかねぇ。。。

とは言え、冒頭でもお話ししたとおり、こういうのは賛否両論あるんですね。やっぱり。

出来る限り多くの人が座れるようにしたいですねという思いは同じであっても、

「一人分の幅の設定が狭すぎて、トラブルになってしまう。」とか、

鉄道ファンの方などは、

「あんなの不要。全部取っ払ってほしい。車内の景観が悪すぎる。車両のエレガントさを消す。棒がなく、スッキリとして素晴らしい阪急電車を見習ってほしい。」とか、

いろいろとご意見あるのは承知です。

ですので、結局のところは、個々人の考え方、マナーに対する優先順位の問題なんですね。

ちなみに、この件に対する私の優先順位第1位は、「より多くの人に座ってもらう」です。

「窮屈」とか「景観」は二の次。

ただし、強硬な態度は好きじゃないので、

「譲り合う気持ちをもってほしいけど、それが自然にできないのなら、強制してしまうか。。。でも、その強制が、強制であることに気づかれないような工夫でもって上手くやれたらいいのにな。」

という気持ち。

だから、デザインの力って重要なんだな、、、と、改めて感じます。


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