向かう先は
鼻の奥からやってきた、つーんとしたものを飲み込んで、一歩、また一歩と歩みを進める。
これから向かう先は、一体どこになるんだろう。
私は周りの目ばかりを気にして、いつしか「自分の言葉」が聞こえなくなった。話す時も、書く時も、当たり障りのない言葉ばかりを選んできた。いつも「良い子」でいたかったし、いつも「自分のいちばん綺麗なところだけ」を他人に見せようとしてきた。実名で出してきた今までの文章は、どれも「推敲に推敲を重ねた」自信作だけだ。
そんな自分を変えたくて、こうして「(負の感情を含めて)自分の感情を素直にしたためるnote」をつくった。駄文だろうとなんだろうと、とにかく書く。書いて、書いて、自分の感情をそのまま見てもらうことで何か得られるかもしれないと思ったから。最終的には匿名ではなく、実名で同じことをできるようになりたくて、その練習として設けた場がここだ。
でも、これは正解?
いや、もちろん文章には(というか世の中のすべてのことには)正解も不正解もないのだが...。
「文章は、人に読ませるためにある」なんて書いている人をみると、(それも、その人が文章のプロだったりすると)どうにも不安になる。小さくなる。今の"これ"は、間違っている?
私も、ライターになりたい。
でも、ライターとして美しい文にこだわる前に、「自分の言葉」を見つけておきたい。「自分の本当の意見や感情」に敏感になっておきたい。そう思ってこのノートを始めた。
"情けない"
私は、情けない?
ひとりでこんなnoteを始めて、誰にも読まれなくて、でも誰にも読まれないことにどこかホッとしている私。
昨日は、ライター志望の女性が高らかに「私はライターになると決めた」と宣言しているnoteを見つけた。今日も、別の女性がTwitterで「仕事をやめてライターになります」と宣言していた。
私は?
私は、これでいいのだろうか。前に進めているのだろうか。
そもそも、前ってやつはどっちなんだ。
人目を憚らず(といっても、ほとんど読まれていない)、とにかくnoteを更新し続けて5日目。一体これが何になるのか、迷い始めている。