Syrup16gの『HELL-SEE』はなぜ名盤なのか
6月1日、豊洲PITにてSyrup16gのライブが行われた。
2003年3月19日にリリースされた『HELL-SEE』というアルバムの再現ライブ。
数あるアルバムでも異様な魅力を放つこの作品には多くのファンがいて、この僕も一番好きなアルバムだし、周りの友人もこのアルバムが一番好きと言う人は多い。
ライブはノスタルジーと人生への肯定感で感動が大きく大変満足できるものだった。
っていうかこのアルバムはなんでいいの?
それを今日は、ライブで感動した勢いのまま立ち返ってみようと思います。
どんなアルバム?
正しいソースは持ってこれないけど、レコーディングスタジオではなく会議室に機材やらドラムやらを置いて録っただとか、シングルを出すはずだったのにアルバムになってしまった(天才か?)という話がある。
その結果なのか、Syrup16gのアルバムの中では比べると、良い言い方をするとローファイ、悪い言い方をすると音質クソザコになっている。
CD原盤だとクソ痩せてる音になっているし、ギターの輪郭もわからない不思議なアルバムになっている。
ただ私はそれが、一方的な"悪"とは思えない。先述の通り「ローファイとしての良さ」に繋がっている部分もあると感じている。
不思議な残響感がシューゲイズ感に繋がっている。その音質が地獄を演出している。
魅力としてさらに挙げられるのはその歌詞。やはりSyrup16gといえば絶望と期待と鬱ではあるのだが、本作にある歌詞はそこにシュールさも存分にプラスされている。
このシュールさが現実感を含んでいて、中毒性を産んでいる。不思議だけど目の前が真っ暗になる感覚がきっとファンを呼んでいるのだろう。
ちなみに私の曲の「健康」はこのアルバムに収録されている「Hell-See」のオマージュです。比べて聞いてみてもいいよ。
出会い
このアルバムを初めて聞いたのは高校1年生の頃だった。1年生なりたてのとき。覚えてる。
私は中学2年からギターを始めていたんだけど、いわゆるパンクキッズだった。今とは全然違うね。
洋楽のポップパンクが大好きで、厨ニマインド全開で「英語のロックが一番でしょ」って思ってた。
そんな中、高校入学して軽音部に入部。そこである男と出会う。同学年で一緒に入部したその男含め、一年生みんなでカラオケに行った。
そんで、歌声を聞いたその男がズバリ言った。
「君、絶対パンクじゃなくてオルタナのほうが合うよ」
そのままCDを押し付けてきた。
『HELL-SEE』を筆頭にART-SCHOOLやらRadioheadやら。
「はあ〜?シロップ16グラム〜?」と思いながらその日、洗濯をしながら聞いてみた。
アルバムの一曲目、イエロウ。まず7拍子なのが意味わからん。
そんで歌い出し。
やる気、ないの!?!?!??!?!??!??!?
少年ワイ、ビビり散らかす。
ロックバンドのアルバムで、1曲目からやる気ない宣言に動揺を隠せない。
その印象ですべてがひっくり返り、今のような陰キャオルタナロックオタクになってしまうのであった…
結局良いところは全部言った
多分もう言った。
このアルバムは「その不思議でローファイな残響感」と「シュールで後ろ暗い歌詞」が異臭を放っている、素晴らしいアルバム。
そのローファイさがまさに「地獄を見せている」のだろうと思う。マジで地獄。
現実とは結局地獄なのである。恋愛してても仕事しててもお先は真っ暗。結局そう。幸せなんて俺の手には入らない。
いっけねえ忘れていた君はもういい。いらない人だろう。正常はもうおしまい。正常はもう行き止まり。
そんでそんな、高校時代を過ごした俺を昇華してくれるような、素晴らしいライブを今日は見ることができた。
そしてボーカルの五十嵐隆の誕生日でもあった今日、見れたのは素晴らしい経験だった。
とか言いつつ、もしかしたら一番印象に残ったのは、ダブルアンコールの「Reborn」だったかもしれない。だって客電ついたんだぜ?
(解散ライブのときに最後にやったRebornで客電がマックスまでONになった演出があったが、解散ライブ以外でその演出をした情報はきいたことがない)(混乱させるような話だがSyrup16gは一度解散して再結成している)
五十嵐隆、生きていてありがとう…