塩対応(ショートショート)
「生きることはつらいこと。だから、早く死んだほうがいい」
誰が言ったか知らないけど、この思想が広まると、老いを進ませるために、一日一回お風呂に入るような感覚で、塩に浸かるようになった。
塩に浸かると、身体から水分が出る。これを毎日繰り返すことにより、子どもと大人はシワだらけの老人みたいになる。そもそも、老人なんて存在しない。老人になる前に、みんな死ぬのだから。
兄さんは「こんなの間違ってる! 生きることは楽しいことだ!」と言って家出した。僕には、兄さんの言っていることが理解できなかった。早く死ぬことは良いことだと、父さんと母さんに教わったからだ。
父さんと母さんは、毎日欠かすことなく塩に浸かっているから、もちろんシワだらけ。ぱっと見はかなり高齢に見える。あれっ? 父さんと母さんって、いくつだったかな?
こうして記憶が曖昧になるのも、僕の老いが進んでいる証拠。
「良い天気じゃのぉ。こうして日向ぼっこしていると、あっという間に一日が過ぎてしまうのぉ」
父さんと母さんは、一日中リビングのソファーに座り、庭を眺めている。腰と膝が痛いらしく、ほとんど動かない。これも老いが進んでいる証拠。そういうわけで、いつもは父さんが一番に塩に浸かるのだけど、ここ最近は僕が一番に浸かる。父さんが浸かったあとの塩は、たくさん水分を含んでいて気持ち悪かったから、僕としてはありがたい。それに、綺麗な塩に浸かると、いつもよりたくさん水分が出て、なんだか気持ちがいい。
次の日、学校へ行くと午後になっていた。老いが進んだから、動きが遅くなって、学校に着くのに半日かかってしまったみたいだ。
午後の授業が始まったけど、先生の声はかすれていて、何を喋っているのかわからない。先生は父さんと母さんと同い年くらいなのに、もっと高齢に見える。きっと、先生という職業柄、老いの進みが早いのだろう。
授業は退屈だから、いつもは長く感じるのに、今日はあっという間に終わってしまった。そういえば、老いが進むと時の流れが早く感じるって、先生が言っていた。
家に帰ると、どっと疲れてすぐに眠ってしまったけど、気がつくと朝。もう少しだけと、軽く二度寝したつもりが、気がつくと夜。学校をサボってしまった罪悪感で俯いていると、すぐに朝がやって来た。
頭の中で、時がグルグルまわって加速しているみたいだ。
ダメだ、おかしくなる……そういえば、父さんと母さんは……意識が朦朧とする。
「大丈夫か⁉」
兄さんの声で、目が覚めた。
「兄さん! なんでここに」
兄さんは何も答えず、水の入ったペットボトルを僕の口に押し込んだ。水分が身体中を巡り、朦朧としていた意識がはっきりした。
「ありがとう兄さん。ところで、父さんと母さんは?」
僕がそう問いかけると、兄さんはすまなそうな顔でベランダを指差した。そこにはなんと、大きなピンク色の塊が二つ並んでいた。
「これはいったい……どういうことなんだい兄さん?」
「父さんと母さんは、身体の水分がなくなって、岩塩になってしまったんだ。俺がもっと早く来ていればこんなことには……すまん」
兄さんは床に手をついて涙を流したけど、僕はどう反応すればいいのかわからなかった。そもそも岩塩になったってことは、死んだということなのだろうか。聞いてみようと思った矢先、兄さんは立ち上がり話し出した。
「俺は生きることを楽しいと思える仲間を集めた。お前も一緒に来るか?」
突然の誘いに驚いたけど、他にあてがなかったから、僕はうんと頷いた。
家を出る前に僕と兄さんは、岩塩になった父さんと母さんの前で手を合わせた。
「さあ行くぞ! 父さんと母さんの分まで、楽しく生きてやるんだ!」
兄さんが僕の手を握った、そのときだ。
僕の手は、人形の手のようにポロッと取れてしまった。手首からは、血ではなく塩がサラサラと流れ出ている。
「うわっ、もうダメじゃん」
兄さんの態度は一変した。僕の手を捨て、振り返ることもなく家から出て行った。
「まっ、待ってよ兄さん!」
追いかけようと一歩踏み出すと、つま先からジワジワと、僕は岩塩になっていった。
兄さんの塩対応を受け、薄れゆく意識の中、誰かが言った「生きることはつらいこと」が、ぼんやりと頭に浮かんだ。
※この作品は、公募の落選作品です。
自分的には好きな作品です。
ちなみに、最近禁酒を始めました。最初はつらかったけど、今はだいぶ落ち着いてきました。その代わり、タバコの本数が増えました笑
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