ぼくの声(ショートショート)

 最終回、ツーアウト。一点差。
 相手ピッチャーは太田くん。太田くんはリトルリーグ界隈で名を馳せるピッチャーで、小学校を卒業したらシニアリーグの強豪チームに入ることが決まっている。そんな太田くん相手に最終回ツーアウト……勝負ありだと、ここにいる誰もが思っているだろう。
 監督が立ち上がると、ベンチの隅に座っているぼくを手招きした。そして審判に「代打、伊藤」と、ぼくの名を告げた。
 周囲がざわついた。交代したバッターは五年生の鈴木くんだったからだ。鈴木くんはこの試合で二本ヒットを打っていて、ひとり気を吐いていた。しかも点差は一点。調子の良い鈴木くんが打てば、同点に追いついて逆転だって可能かもしれない。なのに、そんな鈴木くんを代えてぼくを出すんだから、父兄やチームメイトは試合を投げたと思っているだろう。
 バッターボックスへ向かうぼくに、鈴木くんは「伊藤くん、きみなら絶対一泡吹かせてやれるよ! 応援してるね!」と、熱い声を掛けてくれた。
 鈴木くん、本当は打ちたかったはずなのに。ぼくは申し訳ない気持ちでいっぱいになった。
 とぼとぼとバッターボックスに入った。
「伊藤くん、たのんだぞお!」
「いっけえ、伊藤くーん!」
 ベンチから身を乗り出して声援を送るチームメイト。ぼくなんかが打てるわけないのに。
 そもそもぼくには、野球のセンスがない。守備も打撃も走塁も、全部へたっぴだ。同級生や下級生が試合に出ているのに、ぼくはいつもベンチを温めている。何度も辞めようと監督の家まで行ったことがあったけど「伊藤はけして野球が上手いとは言えないが、声が良い。伊藤の声は相手にとって脅威になる。頼むからチームに残ってくれ」と言われて、半ば強引にチームに残った。だから、野球をやるのはリトルまでって決めている。中学校に入ったら部活には入らず、勉強に専念するつもりだ。ちなみに、この試合はリトルでの最後の大会。つまり、負ければぼくら六年生は引退なのだ。
「ウオォォォイ」
 ぼくは太田くんにバットの先を向けて声を出した。これは毎回やっているぼくのルーティーンだ。監督はぼくに「伊藤が大きな声を出せば、どんなピッチャーだってびびっちまうぞ」と言ってくれたけど、太田くんの雰囲気に圧倒されて今日はいつもより声が出なかった。
「ヘイヘーイ、伊藤くんの声はそんなもんか? びびってるのか?」
 味方ベンチからヤジのような声援が飛んだ。
 太田くんは、ぼくの声なんてまったく気にしていない様子で、臆することなくど真ん中にストレートを投げた。
「ストライーック!」
 高々と手を上げる審判。ぼくはあまりの速さに手が出なかった。
「タイムをお願いします」
 ぼくはタイムをかけると、バッターボックスを外して素振りをした。今さら素振りをしたところで結果は見えているのに。
「声だぁぁぁ! 声を出せぇぇぇ! 伊藤くん、声を出せぇぇぇ!」
 味方ベンチからは怒号のような声援が聞こえてくる。声を出したって、どうにもならないのに。
 審判に促されてぼくはバッターボックスに入ると、さっきと同じように声を出した。
「ウオォォォイ」
 太田くんはギアを上げたのか、さっきよりも速いストレートをど真ん中に投げた。
「ストライーック、ツー!」
 今度こそバットを振ったけど、勢い余って一回転して転倒した。相手チームは大爆笑。ぼくは力なく立ち上がると、体についた土を払った。
 ツーストライク、追い込まれた。次で終わりだ。そして、ぼくの野球人生も終わりだ。万年補欠だったけど、チームメイトに恵まれて楽しかったな……。走馬灯のようにリトルでの思い出が頭の中を駆け巡る。そのときだった。
「タイム」
 監督がタイムをかけ、ぼくに「こっちへ来い」と手招きした。
 なんだろう? 今さらどうあがいたって、ぼくに太田くんの球は打てやしないのに。
とぼとぼとベンチへ向かうと、監督はぼくの顔を覗き込み、全てを見透かしたかのように口を開いた。
「伊藤よ、もしかしておれが試合を投げてお前を出したと思っているだろう?」
 あまりにも図星すぎて言葉が出なかった。ぼくが答えないでいると、監督は続けた。
「おれは勝つために伊藤を出した。伊藤の声があれば、逆転できると思っているからだ。それに、このメンバーでもっと野球がしたいだろう? まだ試合は終わってない。伊藤の精一杯の声で、チームを勝たせてくれ!」
 そう言い終えると、監督はぼくの肩を叩いて「さあ行け」と送り出した。
「伊藤くん、声だ! 思いっきり声を出すんだ! ぼくたちは伊藤くんの声にいつも助けられたんだ! もっと伊藤くんと野球がしたいんだあ!」
 ベンチからチームメイトが鼓舞する。
 ぼくは胸が高まった。こんなぼくにも期待してくれる仲間がいる。それに、どんなにつらくても野球を続けてこられたのは、仲間がいたからだ。ぼくはこのメンバーでもっと野球がしたい! 負けてたまるか!
 ぼくはバッターボックスに入ると、太田くんを睨んでバットの先を向けた。そして、思い切り息を吸い込んだ。チームメイトが耳を塞いでベンチの下に隠れたのを横目で確認すると、ぼくは声を出した。
「ヴオォォォォォォォォォォォオオオオオォォォォォォォォォォォイ!」

 球場内にぼくの声が響き渡った。スタンドにいる父兄は、耳を押さえている。
 マウンドにいる太田くんは声の衝撃をもろにくらい、ユニフォームがびりびりに破けて真っ裸になった。太田くんは顔を真っ赤にして、グローブで股間を隠しながらベンチに退いた。
「やった! あの太田くんをマウンドから引きずり下ろしたぞ!」
 ベンチからひょっこり顔を出したチームメイトが歓喜した。が、相手チームの監督は、キーンとする耳を押さえながらも、冷静に次のピッチャーを審判に告げた。屋内のブルペンから新しいピッチャーが出て来ると、平然と投球練習を始めた。
 よし、このピッチャーもぼくの声で……。
「ウッ……ゴホッ……ゥォォォィ」
 全てを出し尽くしたぼくの声は枯れていた。
 ぼくはあっけなく三振して、試合は終了した。


※この作品は落選作です。
落選続きで書く意欲がなくなっていて、最近はポケモンGOにハマっています。
今からポケモン探しに歩いてきます。

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