チュウチュウトレイン(ショートショート)
『ゴーゴーゴーゴージャンケン列車 今度の相手はキミだ』
身長は二メートル近くあるであろう、全身ムキムキの男がパパの前で立ち止まる。男の後ろには生気のない人々が、肩を持って一列に並んでいた。
「ここは危険だ! 離れてなさい!」
パパは上着を脱ぎ捨て上半身裸になる。筋肉の質なら男に負けていない。
僕はこの場から離れられなかった。男から漂う禍々しいオーラが、僕をこの場に縛りつけていたから。
――大丈夫、パパならきっと――
パパは今まで見せたことのない鋭い眼光で男を睨みつけると、拳に力を込める。男は手を組み中を覗くと、ニヤリと不敵な笑みを浮かべた。
『最初はグー! ジャンケンポンッ』
パパが出したのはグー。握った拳の先から岩が具現化すると、男めがけて転がる。
男が出したのはチョキ。二本指から大きなカニが具現化すると、岩を挟んで動きを止めた。が、刃こぼれが酷く押されている。
しかし、なぜか男に焦りはなく、両腕を組んで仁王立ちをしている。
「ここまでだ。悪いが列車の最後尾についてもらうぜ」
何を言っているのかさっぱりわからなかった。グー対チョキ、グーが有利なのになぜこんなにも余裕があるのだろう。
と、次の瞬間、カニは岩を砕いた。なんとチョキが勝ったのだ。
「くっそぉぉぉぉ」
あれほど強かったパパが負けるなんて、思ってもみなかった。
岩とハサミが消えると、パパの頭からシャボン玉のような気泡が出てきた。男はストローを出すと気泡に刺し、チュウチュウと吸い始める。
「ぷっはぁ、うまかった」
男が気泡を吸い終えると、パパは生気を失ったかのように顔から表情が消えた。
「さぁ、後ろにつきな」
パパは促されるままに最後尾につくと、前の人の肩を持つ。
「ジャンケン列車、しゅっぱぁーつ!」
男を先頭に列車は走り出す。
「待て! 今度は僕が――」
ママが口を塞いだ。その手は震えている。
「ケン……ママを一人にしないで、お願いだから」
幼く力のない僕は、パパが連れて行かれるのを、ただ見ていることしかできなかった。
僕の家系は先祖代々伝わる、ジャンケンの継承者である。
ジャンケンと言っても、順番を決めたり、余った給食のデザートを誰が食べるのか決めたりするような、生易しいものではない。出した物を具現化して闘う、格闘技に近いものだ。もちろんグーはチョキに強く、グーはパーに弱いみたいな三角関係はあるのだが、出し手の精神力によって勝敗が覆ることがある。もちろん、一般人に対してこのジャンケンを使うことは禁止されている。ジャンケンはあくまで、家系同士の余興として継承していくもので、むやみに使ってはならないのだ。
しかしあるとき、ルール違反を犯す者が現れた。あの男だ。男は『ジャンケン・秘伝の書』を持ち出すと、負けた相手の魂を取り込み列車にしてしまう力を身につけた。手始めに自分の家族を列車にすると、近しい親戚も取り込んだ。男は長くなっていく列車を見て快感を覚え、ついには一般人にもジャンケンを挑むようになった。見るに見かねた継承者達は総出で立ち向かうのだが、男は強く、ことごとく列車の一部にされてしまった。強くてたくましい、僕のパパも――
僕はパパを取り返すための修行に励んでいる。朝早く起きてランニングし、朝食に生卵を混ぜたプロテインを飲む。それが終わると両手にハンドグリップを持ち、ママと一緒に保育園へ行く。保育園にいるときは友達と遊ぶのを我慢し、グー、チョキ、パーをイメージする。
僕は未熟で、ジャンケンを具現化することがまだできない。継承者の家系は、二十歳になって初めて具現化することができる。そして師範代と勝負し、認められると、はれて真の継承者と呼ばれるようになる。
保育園から帰ると、ママと模擬戦を行う。もちろんママは継承者だ。
「ケン、用意はいい?」
「もちろん! 今日こそママに勝つ!」
僕とママは剣道用の防具をつける。ジャンケンの模擬戦を行う場合、防具の着用が義務付けられている。
『最初はグー! ジャンケンポンッ』
ママが出したのはパー。五本の指から一反木綿が具現化すると、空中をヒラヒラと浮遊する。ジャンケンで出した物を妖怪に具現化させるのは、ママの得意技だ。
僕が出したのはグー。握った拳の先から具現化されたのは、小さな石ころだった。
石ころは何の抵抗もなく、一反木綿に優しく包まれ、あっけなく僕は負けた。
「すごいじゃない、もう具現化することができたのね」
ママは優しく頭を撫でてくれたが、何の気休めにもならなかった。こんな石ころでは、到底男に敵うはずないと思ったから。
――こんなに頑張って修行したのに――
悔しさで拳を地面に叩きつけた。
と、そのとき。
「ホッホッホ、若いの、何をそんなに焦っておる」
道着を着た老人が杖をついてやって来た。するとママは、慌ただしく防具を外すと、深々と礼をする。
「師範代! ご無沙汰しております!」
「そうかしこまらんでもよい」
思い出した。この老人、お正月に一度だけ会ったことがある。この老人は数少ないジャンケンの師範代だ。
「お主、名は何と申す?」
「僕はケンと言います」
「ケンか、いい名じゃ。ところでお主は強さを求めているようじゃが、なぜじゃ?」
「パパを列車の男から取り返すためです!」
僕がそう言うと、師範代は驚いた顔をした。
「お主、それは本気か?」
「はい! 男に二言はありません!」
師範代は空を見上げ、何やら考え始めた。そして、心が決まると、真剣な眼差しを僕に向けた。
「ケンよ、今のままでは列車の男には勝てまい。今すぐウチで修行しなさい」
突然の申し出に戸惑い、ママの顔を窺うと、ニッコリと笑っていた。まるで「いってきなさい」とでも言っているようだ。確かに、このまま一人で修行しても、男に勝てる気がしない。僕は心を決めた。
「よろしくお願いします! 師範代!」
「起きろケン! いつまで寝とるんじゃ!」
住み込み修行の朝は早い。急いで着替えると、すぐに雑巾掛けが始まる。師範代の家はジャンケン道場であったが、門下生は全員列車の一部にされてしまい、今では僕一人しか弟子がいない。
「ケンよ、朝食はこれだけじゃ。さっさと飲み干して保育園へ行くのじゃ」
僕は師範代に差し出された青汁を一気に飲み干した。うん、まずい。
保育園では、ジャンケン以外のことを考えるのを禁じられた。それは一人で修行していたときと変わらない。だが、一時間置きに青汁を飲むというノルマを課せられたのは、苦痛以外他ならない。
保育園から帰ると、師範代と一対一の特訓が始まる。
『最初はグー! ジャンケンポンッ』
相変わらずグーを出せば石ころしか出てこない。チョキとパーにいたっては、具現化さえできない。
「諦めず続けるのじゃ」
師範代の言葉を信じ、何度も繰り返した。が、結果は散々だった。
特訓は夜遅くまで続き、終わる頃になると歩くのもままならないほど疲労が溜まった。その場にへたり込むと、師範代がやって来た。
「今日の修行を見て思ったのじゃが、お主はチョキとパーの才能がないみたいじゃ。これは恥ずべきことではなく、個性なのじゃから仕方がない。
しかし、この歳でグーを具現化できるとは大したものじゃ。この際、グーだけを特化してみたらどうじゃろうか? お主はグーの才能がある。誰にも負けない、最強のグーを目指すのじゃ」
なるほど、と思いつつも、眠気には勝てずその場で寝てしまった。
一ヵ月、グーに特化した修行を行うと、岩と言って良いサイズの石が具現化できるようになった。
「ケンよくやった! さすが我が弟子じゃ!」
師範代は自分のことのように喜んだ。
「ありがとうございます! 師範代!」
一ヵ月一緒に過ごしたせいか、僕の中で師範代はパパのような存在になっていた。
「じゃが、まだうかうかしてられんぞ。本日より実戦練習に入る、防具をつけい」
防具を着て、師範代と向かい合う。
――久しぶりの模擬戦だ、師範代にいいとこ見せてやる――
僕は頭の中で、とてつもなく大きな岩をイメージした。
と、そのとき。
『ゴーゴーゴーゴージャンケン列車 今度の相手はキミだ』
男がやって来た。しかも、列車は初めて会ったときより倍以上長くなっている。列車にはもちろんパパが並んでいる。そして、最後尾には……。
「ママ‼」
ママは生気のない顔で、前の人の肩を持っていた。怒りが込み上げる。僕は拳に力を込めると、男に近づいた。
「久しぶりだな師範代。あんたも弟子と同じように、俺の列車の一部にしてやるぜ」
僕のことなんて眼中にないのか、男は師範代と顔を合わせる。
「待て! 僕が相手だ!」
僕は男の前に立つ。頭の中は怒りに満ち溢れているはずなのに、いざ男を前にすると禍々しいオーラを感じ、寒気がした。
「誰だお前? 俺は師範代に用がある、さっさと失せな」
「うるさい! パパとママを返せ! 僕と勝負しろぉ!」
「パパとママ? 悪いが、列車になっちまったヤツなんて覚えちゃいねぇ。だがしょうがねぇ、敵討ちに来たお前の気持ちを汲んで、相手してやるぜ」
男の凄んだ顔を見て、僕は思わず後退りした。だが、ここで逃げるわけにはいかない。
『最初はグー! ジャンケン――』
「待ったぁぁぁぁ!」
師範代が止めに入った。
「早まるでない、ここはワシが相手じゃ」
僕が「でも」と言いかけると、師範代は口を押さえてニッコリと笑った。
「ケンはまだ若い。それに才能もある。じゃが、まだこの男には及ばない。命を無駄にするではない。ここは黙って見ておるのじゃ」
何も返すことができなかった。自分がまだ弱いことを自覚していたからだ。僕は気持ちを抑え、見守ることにした。
『最初はグー! ジャンケンポンッ』
師範代が出したのはグー。しかし、何も起こらない。もしかして、不発? と思いきや、空を見ると具現化した隕石が数え切れないほど浮遊していた。
「すごいよ師範代!」
あまりのすごさに感激し、僕は思わず声を上げた。師範代はウインクで返す。
しかし、男は不敵な笑みを浮かべている。
「悪いな。師範代相手にまともにやったんじゃ勝ち目がないから、反則させてもらったぜ」
男が出したのは小指と薬指を折りたたんだ、グーのような、チョキのような、パーのような不思議な手。
「きっ、キサマァ! グーチョキパーの同時出し、禁じ手を使いよったなぁ!」
師範代の顔が青ざめていく。
「はっはぁー! 俺の勝ちだぜ!」
男の手から、ゾウとカニと白鳥を合わせたようなキメラが具現化された。
「くそぉ、まだ勝負は終わっとらん! くらぇぇぇぇ‼」
隕石は光を放ち、一斉にキメラに降り注ぐ。
「黙れジジイ! これで終わりだ!」
キメラは雄叫びを上げると、隕石を砂に変えてしまった。
「まさか、これほどまでとは……」
師範代は負けた。項垂れる師範代の頭から気泡が出てきた。
「あんたを倒したってことは俺が最強。つまり、ジャンケンキングってことだよなぁ!」
男はストローを気泡に刺すと、チュウチュウと吸い始める。
「ぷっはぁぁぁぁ、うまい! 師範代の味は格別だぜぇ」
師範代の顔から表情が消える。そして、フラフラと歩き出したかと思いきや、列車の最後尾についた。
「もうここに用はない、ジャンケン列車、しゅっぱぁーつ!」
走りだそうとする列車を見て、僕は前に出る。
「待て! 今度こそ僕と勝負しろ!」
「さっきの小僧か。俺は優しいから、弱いヤツは相手にしないんだぜ。わかったらさっさと失せな」
「うるさい! パパとママ……そして、師範代を返せ!」
精一杯の虚勢を張ったが、足は震えている。本当は逃げ出したい気持ちでいっぱいだ。けど、パパが連れて行かれたときみたいな、何もできない自分にもうなりたくなかった。
「お前は俺に立ち向かうんだな?」
「そうだ! お前なんて……お前なんて怖くない!」
『最初はグー! ジャンケンポンッ』
男はグーチョキパーの同時出しで、先程と同じキメラを具現化させた。
僕が出したのはグー。岩と言うには心もとない、大きめの石を具現化させた。石は宙に浮かぶと、ゆっくりと回転を始める。
キメラの雄叫びがこだますると、僕の具現化した石は粉々に砕けた。
「口先だけだったようだな。たかがグーで、このジャンケンキングに勝てるとでも思ったか」
男は高笑いする。
と、そのとき。砕けた石はうねりを上げると、黒い渦になった。周囲の木や草は、黒い渦に呑み込まれていく。キメラもジリジリと黒い渦に吸い寄せられる。
「何なんだ⁉ 何が起こっているんだ?」
男は取り乱した。
「僕が具現化したのは星。星は死ぬとブラックホールとなり、全てを呑み込む。これがグーの応用技、ブラックホール。修行で完成した、最強のグーだ!」
僕は手を合わせるとゆっくりと開き、男とキメラに向けた。
「やめろぉ! ぐっ、ぐわぁぁぁぁ!」
男とキメラはブラックホールに吸い込まれた。
――僕の勝ちだ――
しかし、ブラックホールは消えず、吸い続けている。
「パパ! ママ! 師範代!」
列車になった人々も男の後に続き、吸い込まれていく。
そして僕も、ブラックホールに吸い込まれた。
「ケン君、パパがお迎えに来ているわよ、早く起きなさい」
「ここは……」
目が覚めると、保育園だった。お昼寝の時間をとうに過ぎているのだろう、先生はお冠のようだ。
「さぁ、早くお支度なさい」
どうやら夢を見ていたようだ。目を擦り起き上がると、首に金メダルが掛かっていた。金メダルには『ジャンケンキング』と書かれている。
「ケン、遅かったじゃないか」
今日の朝会ったはずなのに、なぜか懐かしく感じた。思わずパパに飛びつく。
すると、先生がニッコリと笑みを浮かべやって来た。
「ケン君はね、ジャンケン列車っていうゲームで優勝したんですよ」
「そうなのかケン、すごいじゃないか!」
そう言うとパパは、僕の髪がクシャクシャになるくらい撫でた。
「僕ね、ジャンケンキングに勝ったんだよ!」
「ジャンケンキング? つまりジャンケンキングに勝ったってことは、ケンがジャンケンキングになったってことか?」
「そうだよ! 僕、すごく強いんだよ!」
「そうか、パパもジャンケンには自信がある。今から勝負だ!」
『最初はグー! ジャンケンポンッ』
パパはグーチョキパーの同時出し、僕はブラックホールを出した。
先生が呆れたような笑みを浮かべ、
「まぁ、親子揃って、反則ですよ」
と言うと、僕とパパは顔を合わせて笑った。
※この作品は光文社文庫Yomeba!第19回「ゲーム」テーマの落選作品です。
ばからしい感じで書こうと思ったのですが、ちょっと中途半端になってしまいました。でも気に入っています。
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