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物書庵初心週記帖(45号)「若者への責任転嫁はお終いにしませんか?」

東日本大震災から10年。10年と聞くと区切りが良いような聞こえもするが、大切な家族や住まい、仕事を失った人からすれば時間の経過は区切りになどならないだろう。決して元には戻らない事がある。が、それは当事者が一番わかっている。被災され今もなお復興に向けてが心の底から「これで区切りだ」と言えるように寄り添える世の中であって欲しいと切に願っている。

一部報道によると、一都三県で延長されていた緊急事態宣言は21日で解除される見通しとの事。「打つ手なし、解除止むなし」という意見が政府内にあるとかないとか。まずは正式見解を待つ、という所だ。

感染者数の増加や下げ止まり等ことある事に「若者のゆるみが」というセリフが聞こえてきたがそもそも本当にそうなのか?と疑問でならない。

政治家の高齢世代から見ると若者の行動が派手に見えたり移動幅が大きいだけなのだろう。沿道での応援自粛が呼びかけられていた箱根駅伝を思い返せば一目瞭然。ワクチンの優先摂取対象になっていそう高齢世代がいかに多かった事か。

愚庵は高齢者と若者の中間世代だが、60年を超える時間を過ごしてきた高齢者と10代、20代の世代ではこの1年の価値には雲泥の差がある。「今年は花見を我慢」と「学生生活でしか取り組めない部活動を我慢」では意味合いが全く違う。

10代20代の青春を戦争によって奪われた話にはスポットライトが当たる。一方で仕事をリタイアした後の余生を戦争によって謳歌出来なかった話などなんのドラマにもならないだろう。この構図を今の若者世代にも当てはめてあげていいのではないか。

「国民の生命を守る」と言うが「生命を守る」=「時間を守る」と同義だ。「今年しか出来ない」聖火リレーやオリンピックは実施するのであれば、一生に一度しかない卒業式や部活動の大会をこれ以上奪わないで欲しい。

少子高齢化の先進国として、若者世代が青春時代を謳歌出来るように高齢世代がバックアップをする世の中になる事を願って提言を続けていきたいと思う。

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