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『Holy cow/わたしたちは一度しかない』|今野裕一郎インタビュー[後編]

11月2日〜4日にかけて京都芸術センターで上演するバストリオの新作公演『Holy cow/わたしたちは一度しかない』に先駆けて、演出・今野裕一郎のインタビューを実施しました。

前・後編に分けてお届けするこのインタビュー。前編では京都という土地との出会いから創作の原点である大学時代の話をお届けしました。後編では実際にクリエイションを行っていく中での発見など、踏み込んだ話をしています。

発言の中で度々出てくる「発表」というものは、バストリオのクリエイション方法のひとつ。クリエイションメンバーで2〜3名のチームを組み、写真やテキスト、日記といったモチーフをもとにシーンを作り、みんなの前で発表することを指します。今回はそれぞれ書いた場所/土地にまつわるテキストをもとに「発表」を作りました。場所/土地にまつわるテキストは、次回、出演者紹介とともにnoteで紹介していきますのでお楽しみに!

インタビュー:中條玲 編集:橋本和加子

場所のことを扱った発表を作って発見したこと

ーこの前、それぞれが場所のテキストを書いてそれをもとに発表を作ったじゃないですか。あの時に重なってく感じがあるみたいなことを言ってましたよね。

今野:そうね、並ぶっていうよりは重なっちゃうみたいな。

ーこれまでの発表とは違う質感が全チーム共通して起きてる感覚があったんですけど、これが今回取り組もうとしてることなのかなって思いました。

今野:うん。それは実際にやってみて発見したんだよね。普段の発表でやる時って、ある時間がそこにあったとか、今あるっていう状態が同時に起こってるっていうことを出するようにしてるんだけど。場所の発表をした時は、時間じゃなくて場所と距離が問題になって流れが滞ったんよね。ループしちゃうような。同じ空間で違う場所のことをやると重なっちゃって距離がバグるっていう現象が起きてて。でもそれは、ずっとバストリオのクリエイションをやってきた人たちがやったり、見てたから起きてたのかもと思った。

『Holy cow/わたしたちは一度しかない』クリエイション風景

ー時間じゃなくて距離みたいなのはすごいわかりやすいですね。見えてないけど、同時に起きてることとか、隣り合ってるみたいなことって、その状態のまま舞台上で扱えるかもしれないみたいに思ったりもします。

今野:舞台でやる時に、いくつかの時間を流れのまま紐づけないようにして手離してるんだけど。距離とか場所みたいなことって紐づけやすくて重なっちゃうんだよね。だからみんな舞台美術とか頑張るんやな(笑)。で、物語とか役を使っちゃうと、乗り物みたいなもので省略できるから、運んでいく手つきが濃くなっちゃって、場所と存在が紐づくんじゃなくて、場所と仕組みが紐づいちゃう感覚があって。

『わたしたちのことを知ってるものはいない』の時は固有名詞を出したことによって限定的に繋がっちゃって、乗り物に乗って走らせちゃった感覚があって。沖縄っていう場所に曖昧な観光客という存在を持ち込んだことでなんとかふらふらと場所を運んでいくことができた感じがあったんだけど。乗り物がない状態で場所のことをやると重なっていくんだってことを発見した時に、それはやってみたいことに近いかもと思った。重なりすぎていくと誰のものかわかんないし。誰のものでもないみたいな。だから、1つの場所にこだわりすぎずに、できるだけ散らして重ねてみたいんだよね。

『わたしたちのことを知ってるものはいない』フライヤー。 沖縄県にある高江・辺野古という地域との出会いを通して創作したバストリオの演劇作品。2016年に東京と京都の二都市で上演を行った。

想像力を組み替える

今野:知床の話になるんやけど、その土地には冬前になるとものすごく長く重たい時間があるらしくて、住む人にとってはすごくしんどいことが起きてるってことを、イメージで捉えようとすると、ちょっと暗い表情したその人の顔が浮かんだりするねんけど、でも、それを組み替えなきゃいけない感覚があって。「ものすごく長い秋がある」とか、「燃料代が上がる」とか、具体的なことを聞いた方がその人たちのことを理解できるってことがめっちゃ重要なんよ。で、その想像力の組み替えってマジでむずくって、知床に4年通った身体があったからやっと気づいたんだよね。

その土地の固有性みたいなのを考えなきゃいけなくて。だから、パレスチナのことを考える時に、パレスチナで傷ついてる人たちの顔を浮かべても難しいんよ。もうその想像力だけでは厳しいなって感じを自分は持ってて。もちろんその即効性は大事なんやけど、ああいうイメージを持つことや知るのもSNSで流布することも。ただそこから次は、っていう想像力が駆動していかないみたいな。

ー別の伝え方やなって思いますね。

今野:同時にあるもんとして目に届くとこに置いとけばええ。違うものがないと想像力を別のルートにも組み替えれないんよね。そこにも手を伸ばせるかどうかで。やりたかったのは別のルートの選択肢を見つけれるような可能性の話やからさ。ここからじゃ絶対登れへんと思ったけど、こっちの草むら入っていったらめっちゃ歩きやすい道あったやんみたいなことなんよね。すでに道は全部埋まってて他の選択肢はどこにもないって思うことが1番想像力の欠如って感じがしてるから。常に新しいものが生まれてて、全く自分が想像もしないようなものを持ってるみたいな、なんでなんやろみたいなこと。人間の可能性舐めんなっていう。『Holy cow』がそういうタイトルやと思ってて。そもそも牛がゆっくり歩くこととかさ、そうだよなって一つのイメージで見ちゃうねんけど、牛がゆっくり歩くのはやっぱ変やで。

ーそうっすね(笑)

今野:そういうのが大事。なんでゆっくり歩いてんの?って牛に言うみたいな。人間に飼われた共生の速度か。で、牛がちょっと走ったりした時、そうやお前走れるやろ!みたいな。

どっかに特化するとどっかが欠落しちゃうみたいな状態があるから、それ込みでやりたいのは全面で押していくみたいな作業なんよね。そういうことが個を光らせる可能性を持ってると思ってて、重心がかかった瞬間にどっかの重心が落ちて消えていっちゃうから全部に重心をかけていく、全部に光を当てるみたいな。

誰も気づかない厚み

ー発表作る時に、当たり前とか平凡なことを恐れないってことを今回は特に考えてます。

今野:ある固有性とある普遍性みたいなのを獲得したくて、ここが京都っていう固有性は現実的に剥がせなくって、たとえば芸術センターとかさ、京都におるってことに関して嘘つく意味がないから、京都やって意識してやった方がいいねんけど、その固有性を持とうとする必要はなくて。

ー事実としてある。

今野:だから、縦にも横にも伸びていくみたいなトポスを要求してるっていうか。京都っていう、固有性のある土地ともっと遠くからきたものがそこに重なっていった時に現れてくるものがおもろい気がすんのよね。例えば「木が生えてて」って言った時に、ここにエジプト人がいて話聞いてて「うちは砂漠やから木は生えてない」みたいなことを言うとするやん、そん時に、「ほんまに木生えてない?」みたいな。したら「ちょっと待って、いや生えてたわ二万年前に」みたいなことを言った時にどっちも嘘とかじゃない感じにしたいんよね。

最近このことを考える時に、『藪の中』とか思い出してる。ある事件について、語る人によって全然違ってるみたいな感じに近くて。どうでもいいなってことがちゃんと同時にあってほしいというか。あそこに何か落ちてんの見たって言った時に他の人が、いやあそこには何にもなくて、って言ってすぐキャンセルされちゃった時に、どっちもどうでもいいなみたいなことと、でもちゃんとあるよなっていう。並べると同時に重ねてくみたいな。

葦の芸術原野祭*をやって感じたのは、縦軸の重要性。歴史があって、過去と未来があるからこの土地があるっていうことを無視できない感じ。それって故郷のない自分にとっては結構新鮮な感覚やって。でも、そうやって地球とか国とか社会とかいろんなもんってできていってんねんなみたいな。で、京造もその1つなんよ。縦軸の中に太田さんがいて、無視できないんよ。太田さんがいなかったら、多分こんなんちゃうかったんやろうなみたいなことって事実やから、太田さんの存在を考えることでそういうものをもらってるのかも。

*知床・斜里町で毎年夏に実施している芸術祭、今野裕一郎は共同代表をつとめる。

葦の芸術原野祭で上演した『葦の波 part3』上演後の様子(撮影:川村喜一)

ーバストリオを見に来た人が、観劇した後に街を歩くと楽しくなったみたいなことを言ってくれるじゃないですか。それは横軸みたいなことで言うと、70分の上演時間を通過した後の町が変わるみたいな感じなんやなって思ってたんですけど、今回はこの70分の2センチみたいな感じになるとしたらこれって結構違いますよね。

今野:どっちもやろうとしてて。寄りかかったりしないような厚みを探してんのよね。そういう説得力みたいな、誰も気づかない厚みみたいなものを。

横軸には嘘がないと思ってて、平面が持つ深さが映るように働いていくイメージなんよね。いかに過去こうだったってことを積み重ねても嘘っぽくはなるんよね。その嘘っぽくなることを面白がるというか。その時に戻れないからいつまで経ってもそれを証明することができないみたいな意味で言うと、前にも後ろにも全方向に運動が必要なんよね。そのなかで、縦軸を作ると、すごい引力と重力を持っちゃって物語を必要とするんやけど、これはまた違うやり方で解除したい。そういう意味でいうと、今までのやり方にどう重ねるのかってことを試したいんよね。薄っぺらさと厚み。

京都芸術センターでやること

ー京都芸術センターのフリースペースって窪んでるじゃないですか。それがめっちゃいいかもって思ってて。

今野:うん、地層っぽいよね。なんか埋めようとしてるみたいな場所に見えるっていうか。アリ地獄とか、掘った跡みたいな感じ、ここに物を置くと遺跡とかに見えてきそうやなみたいな感じはあったかも。あと、窓を見るときに、見上げてんのがよかったかもな。

ー窓の形もね、教会とか、そういうのにちょっと近いし。

今野:そうそう、最近すごい信仰について考えてたから、近所の教会もよく行くけど。十戒とかが今、メモの中に入ってて、人を殺しちゃいけないとか、殺人に関することとか、誰かの財産を雑に扱っちゃいけないとかメモに残ってて、でも、ぜんぜんまだ散らかってんねん。わからへんわ。

会場の京都芸術センター フリースペースを下見している様子

見に来てくれる人たちへ

ーバストリオの作品は子連れの人が来ることが多いと思いますが、見に来てくれる人たちにひとこと。

今野:うるさかったら、うるさいなって顔はします。

ー(笑)

今野:でも、来ていいのよ。追い出すことはないっていう、逆にそれでどうなるのかも見てるから、そういうのってめっちゃ可能性よね。なんでうるさいことってあかんねやろって思ったりするから。いろんな出会いができたらいいよねって意味では、子供たちをありにすることの責任を背負おうかなみたいなことは考えてる。子供向け、大人向けみたいな考えはないけどね。絶望させたいっていう気持ちもあるし、希望もあるし、子供がわからんってなるように、大人もわからんってなるわけやから存在として一緒やん。

欲望とか怒りとかさ、感情的なネガティブだと思われてるものって、そもそも人間が内包してるからさ、それをおさえることよりは、起こっちゃうことの意味みたいのを把握してった方がよくない?みたいな感じがする。子供は泣き叫んでもらってもいいし、泣き叫びすぎたら親に言って俺が連れて出ていくし。来てほしいっすよね。たくさん見に来てほしいです。

公演情報

『Holy cow/わたしたちは一度しかない』メインビジュアル(デザイン:嵯峨ふみか、イラスト:黒木麻衣)

『Holy cow/わたしたちは一度しかない』KACパートナーシップ・プログラム2024

演出|今野裕一郎
出演|黒木麻衣、坂藤加菜、佐藤駿、スカンク/SKANK、中條玲、橋本和加子、本藤美咲
音楽|高良真剣

2024年11月2日(土)〜4日(月・祝)

11月2日(土)19:30~★倉田翠さん(akakilike)
11月3日(日)13:00~
11月3日(日)17:00~★出演者と今野裕一郎
11月4日(月・祝)13:00~★八角聡仁さん(批評家)
★=アフタートーク

◾️チケット
​一般|予約 3,000円 当日券 3,500円
大学生以下|予約 2,500円 当日券 3,000円
14歳以下無料

◾️会場 京都芸術センター フリースペース

ご予約はこちらから
https://holycow-kyoto.peatix.com/

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