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ハム太郎のとっとこお醤油業界のヒミツなのだ(後編)

ここまで読んでくれてありがとうなのだ🌻
さぁ、一緒にお醤油業界のヒミツを解き明かそう!なのだ。

Chapter.3 規模の差が発生👀

👇の表はそれぞれの業績をまとめたシートなのだ。画像1

有価証券報告書、日本マーケットシェア辞典

1960年頃は(おそらく)同じくらいの規模だったっぽいけど、いまはキッコーマンとヤマサ醤油の規模に7倍ぐらいの差があるのだ👀

国内で多角化をしたのは、キッコーマンもヤマサ醤油も同じだったのだ。
だとすると、前編で話した「戦後の打ち手の分かれ」がこの差を引き起こしてるんじゃないかな?って僕は思うのだ。

まずはどうしてキッコーマンがここまで大きくなったのかを調べてみるのだ🌻

Chapter.4 キッコーマンのおはなし

①高収益を産み出すビジネスモデル

海外に進出したキッコーマンだけど、いまも「海外食料品製造販売」ってセグメントの売上高営業利益率はものすごく高いのだ。

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高収益の原因は、アメリカに創った工場なのだ。

お醤油には「大豆」「小麦」「塩」が使われているんだけど、これって全部アメリカかカナダで手に入るのだ☝
逆に日本でお醤油を創るときはこれらを輸入して製造することが多いから、輸送費がそのぶんかかっちゃうのだ👀

つまり、現地で原料を調達し、現地の工場で作るビジネスモデルって、高収益になりやすいビジネスモデルなのだ。

でも、そもそもアメリカってお醤油使う食文化じゃないけど、どうやってお醤油を持ち込んだんだろう?

新しい洋食としてお醤油を持ち込んだ

キッコーマンは、日本食としてではなく、新しい洋食としてお醤油を持ち込んでいるのだ。
具体的には以下のとおり…

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また、同じ時期にアメリカで日本文化ブームがあったり、「上を向いて歩こう」という歌が「Sukiyaki」という名前でアメリカで聞かれたりしたのも相まって「お醤油は知らないけど、キッコーマンは知ってる」と言われるようになったのだ。

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③茂木啓三郎さんという素敵な社長さん

そんな戦略を考えたのは、茂木啓三郎さん。
なぜ海外進出を思いついたかというと、2つの要因があると思うのだ。

1つ目は「駐留アメリカ兵の食生活を観察していたこと」。
戦後間もない中で、アメリカ兵の人たちが日本で美味しそうにスキヤキを食べたりしているのを見て「アメリカ人もスキヤキ食べるんだなぁ…」という印象を受けていたのだ。

実際に👇の言葉も残してるのだ👀

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2つ目は海外視察団の一員としてアメリカに行ったとき。
新聞に醤油特集が組まれていることに気づいたことも大きいと思うのだ。
こちらも👇のような言葉で残ってるのだ(引用は確か社史…)

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そうやって戦略を考えた茂木啓三郎さんだけど、自分の本ではこんな言葉を残しているのだ。

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実際にキッコーマンって、ワイン・ケチャップ・「うちのごはん」・豆乳…と、本当にいろんなことにチャレンジをしているけど、そんなチャレンジができるのも、しっかり海外事業が利益を出してるからなんじゃないかなって僕は思うのだ👀

そんなスタンスの茂木啓三郎さんって本当に素敵な経営者さんなのだ!

Chapter.5 ヤマサ醤油のおはなし

①複合調味料って全然作られなくなっちゃったのだ👀

ヤマサ醤油が進出した複合調味料だけど、現在はほとんど作られなくなっているようなのだ。

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もちろん、この技術があったから生まれた多角化事業はあったと思うけど、なんでこんなに複合調味料は作られなくなっちゃったんだろう👀?

②「味の素」が強敵すぎた

もともと化学調味料の分野には味の素っていうライバルがいたのだ。
味の素は戦前に世界で初めて昆布だしのうま味成分を発見し、
新しい調味料を日本全土に広めた歴史があるのだ。

そんな味の素には、「味の素」の原材料であるグルタミン酸ナトリウムを母体にする複合調味料という分野で他社にシェアを奪われるなんて許せなかったはず。

…というわけで味の素は徹底的な販売促進活動である「六〇〇〇人総セールスマン運動」を行ったのだ。

ここにはヤマサ醤油も勝つことができず、消費者に複合調味料を浸透させることが出来なかったのだ…💦

②メイヤー勧告によって業界自体が少し下火に…

1969年に「化学調味料ってあんまり体によくないんじゃないの?」っていう内容のメイヤー勧告が出たのだ。

結局は「そんなことないよ!」って結論になったんだけど、消費者に体に悪いイメージがついちゃって、生産量も少し下がったのだ。

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③単体だと、ビジネスモデルとしてもいまいちかも…

化学調味料の領域って「製造方法が確立したらあとは装置産業」って言われることがあるらしいのだ。

「そしたら製造方法の特許を持つとか…?」って路線もあるけど、ヤマサ醤油の製造技術って実は他社では使ってない技術だったり、そもそも特許を喪失してたりするのだ👀

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…というわけで、複合調味料へのチャレンジはうまくいかなかったのだ。

④「化学」には夢があったのだ👀

そんな戦略を実行したヤマサ醤油の社長である十一代 浜口儀兵衛さん。
化学分野に進出した背景には2つの理由があると思うのだ。

1つ目は、親子代々の夢。
パパの十代 浜口儀兵衛さんは貴族院議員を務めた方で、東京大学理学部の出身なのだ。
戦前からイギリスに留学して化学を学んでいて、帰国後は自社に日本発の醤油研究所を設け、醸造や発酵の研究を取り組ませていたのだ。

26歳という若さで家業の大改革としてヤマサ醤油に化学を持ち込んだ十代 浜口さんは「ヤマサ醤油の中興の太祖」とも呼ばれているのだ。

2つ目は、応援してくれる研究者との出会い。
東京大学農学部名誉教授 坂口謹一郎さんが十一代 浜口さんに核酸の研究を勧めたのだ👀
のちに「リボ核酸分解法による調味料製造法」を発見する、
国中明さんをヤマサ醤油研究所にやったのもこの人なのだ。

そんなパパや研究者を間近で見てたから「化学を使って新事業を創ろう!」「それを事業の柱にしよう」って思ったんじゃないかな?

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Chapter.6 キーワードは「成功に対する確信」

結果的に、キッコーマンとヤマサ醤油には7倍の規模の差が出たけど、それぞれの差を産み出したのは「成功に対する確信」じゃないかなって僕は思うのだ。

キッコーマンの海外戦略の場合は、どう考えてもビジネスモデルとして成功すれば収益性が高くなることは分かってたのだ。
だからこそ、大きく踏み切れた部分もあると思うのだ👀

でも、ヤマサ醤油の複合調味料の場合は、
まだ未開拓の研究分野で、ヤマサ醤油の夢を叶えるような内容だったけど、
そもそも十一代 浜口さんは東京大学経済学部の出身で、どんなに勉強しても研究に対する理解は及ばなかったんじゃないかなと思うし、ビジネスモデルとしての成功確率も少ない分野へのチャレンジだったと思うのだ。

ただ、どちらもあのときチャレンジを選んだからこそ、今も残ってると思うのだ!

コロナ禍で次の打ち手を考えている社長さんや事業開発担当の方も多いと思うし、そこにはスピード感も絶対大事だと思うのだ☝
だけど「成功を確信できる状態」を創っていないと、折角チャレンジしたことが大きくならないかもしれないから、気をつけるといいのだ🌻へけっ

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