無聊日常1~2024年流行語大賞について~
はじめに
今年も、ユーキャンの「新語・流行語大賞」とやらが発表された。その中身の一つ一つは、読者諸賢に自身の目の前の端末で調べてもらうこととして、私なりに思うことを書いてみよう。
その前に、既に世間ではこの取り組み自体に胡散臭さを感じる人は、それなりに居るようだ。私調べによれば、「ユー〇ャンの一人芝居」、「『ソフト老害』とか言ってるけど、審査員はハード老害だよね」などという言葉が見られた。どこで調べたかって? 博多駅のスタバで女子高生二人とハイキング帰りのドイツ人が話していた。ああ、そうそう、ついでに、サウナで見かけた小学生たちは「『侍タイムスリッパー』だの『令和の米騒動』なんてやつは、選ばれた時点で老人臭さがあるね」、とも言っていた。だが、考えてみれば仕方がないことであろう。すでにこの国の高齢化率は三割に迫っており、三割の老人で使われる言葉があるのなら、それは流行語である。むしろ、ここで「猫ミーム」だなんだって若者に媚びるような言葉を選ぶ方が、”不適切にもほどがある”。
今年の流行語大賞候補について
はじめに、が思ったよりも長くなってしまった。このnoteは週に一度程度更新できたらいいなあ程度のものであるからして、そんなに長い記事を書くほどのモチベはない。それゆえ、あまり無駄な字数を重ねることは避けておこう。
まず、「界隈」という言葉だが、これはニュースサイトによる解説によれば下のような意味だそうだ。
【界隈】従来は「その辺り」などの地理的な範囲をあらわしていたが、近年では「共通の人びと」を指すようになった。仲間、近い存在などの、そのあたりの人たちという意味合いで使われる。
これを見れば、やはりZ世代(これそのものも「界隈」か)に阿るような選出である。世間では既に、お風呂キャンセル界隈なんて言葉もある。病か自堕落かという二択を示す恐ろしい言葉であるが、一定程度の市民権を得ているようだ。また、ここ数年の問題となっているトー横界隈も、「界隈」という言葉があるから、何かしらのアイデンティティになっているような気がする。あれをトー横社会生活不適合者集団とでも名前を変えれば、集まる人数も減るのだろう。
福岡にも実は「警固パ界隈」なるものが存在するらしい。「警固パ」とは福岡市中心部の天神地区にある公園の事である。昔、某大文藝部に所属していた頃、その手の連中のことを部誌で書き連ねた。昔の私曰く、「アホの呼吸を使う馬鹿柱」と。ここで想定されていたのは、当時の私と同年代、二十歳前後の男女である。しかし、先日、夕方七時ごろ、天神方面の電車に乗っていると五名の集団が乗車してきた。見るからに金髪でやんちゃ系であった。東京リベンジャーズにでもあこがれてるのか? という感じの集団。耳にピアス、手にライター、顔にはつぶらな瞳。五人のうち、二人はどう見ても小学六年生くらいなのだ。その一番幼い男児(あえて男児と書こう)が、「誰か警固で千円くれんかな~」というと、もう一人の男児が「俺まだかわいいけん、くれるっちゃんね~」と返していた。年長者(といっても中高生)の三人はそれを窘めることすらしない。この電車にはおそらく、高校時代、受験勉強の偏差値で言えば60を超えていたであろう大人たちが多数乗車していた。しかし、誰一人彼らに言葉を掛けることはなかった。そして私自身も声を掛けられなかった。きっと、彼らはこうやって、彼ら自身の「楽園」=「界隈」を作っていくのだろうと思った。大学時代の私は警固パ界隈を嘲笑したが、今の私は彼らに対して憐憫の情しかない。これもまた、傲慢なのだろうけど、彼らは金髪にしても、耳にピアスを開けても、煙草や酒やドラッグをやっても止めてくれる大人は居ないのだろう。それならば、彼ら自身が「界隈」を形作ることを誰が止められようか、とさえ考える。
いずれにしても、このように「界隈」と語尾につけると、何でも許される気がするのだ。「ブレイキン界隈」、駅前でブレイクダンスをやってティックトックに上げてそう(偏見)。「はて?界隈」、うーん、「はにゃ?」ばっか言ってる連中と相違なさそう。草葉の陰で三淵嘉子が泣いてそう。というか、この二つの界隈はトー横界隈と共通項でくくれるような気すらする。ここに「コンビニ富士山界隈」とかも入ってくるんだろうか。そして流す曲は「Bling-Bang-Bang-Born」でみんなで「BeReal」に投稿! はは、素晴らしい日本だとは思わんかね。
いや、これは決して皮肉のみで言っているわけではない。世の中には「ソフト老害界隈」のみならず、前述したような「ハード老害界隈」が存在する。こういった「ハード老害界隈」は、「カスハラ界隈」も兼ねているので、コンビニで使えないポイントカードを使えると言い張る老婆、煙草をいつまで経っても銘柄で言ってくる老爺などが存在する。挙句の果てには、満員電車でわざわざ優先席ではなく普通の席に座ってきて、荷物を横に置きだす奴。あれはマジで糞だった。兎にも角にも、こうした「カスハラ界隈」なんかは「はて?界隈」が倒してくれればとすら思うのだ。まあ、「ハード老害界隈」に朝ドラ主人公のように正論で挑んでも、耳が遠いから「はて?」と返されるのが関の山だが。
私にとっての今年の流行語大賞
私にとっての今年の流行語大賞は、率直に申し上げれば、「ティンコンカンコン」である。知らない人の方が多いかもしれない。だが、「ティンコンカンコン」なのだ。
この言葉については、ハリウッドザコシショウ氏が公開した動画が初見だと思われる。詳しくは、読者諸賢(おそらくネット強者も多いだろう)に調べてもらうことを期待する。そして調べてもらったり、思い出してもらったならば、目を細めてこの画面をそっ閉じする人もいるかもしれない。あの元ネタ動画を見て、「元ネタの元ネタを馬鹿にしている!」と怒る人もいるかもしれない。それでも、正直なところ、「ティンコンカンコン」という切り取り方はセンスの塊だと思う。他に嘲笑する場面はあったろうに、あの一瞬の音を切り取る、これが芸人なんだと思った。久々にゲラゲラ笑ったのを覚えている。なお、現在はもろもろの件でこの動画は非公開である。しかしながら、インターネットという名の豊穣なる海では見つけることが容易である。さらに、加工されるのが常であり、「Bling-Bang-Bang-Born界隈」や「猫ミーム界隈」とコラボした動画は、抱腹絶倒ものだった。
だが、私が伝えたい言葉は「ティンコンカンコン」だけではない。その後の名言である。「見てほしいものは見てくれなくて、見てほしくないものは見る!」。これは芸能人という立場だからこそ生まれた発言であろう、種々の実体験を感じさせる重みのある言葉だ。しかしながら、我々一般人であっても思う瞬間はあるのではないか? 例えば、「ティンコンカンコン」の文字列を見て、一部の読者諸氏はそこで読み進めるのをやめているかもしれない。そんなとき、私は右手を突き出しながら、口元を歪めて「見るなよ! 見てほしいものは見てくれなくて、見てほしくないものは見る!」と叫ぶ。そして、合わせて「世の中そういう風にできてるか」と独り言つのである。
要は書き手が何を伝えたいか、と読み手が何を読みたいかは常に乖離しているということである。読み手の立場に立っているときは、すんなり理解できることなのに、書き手の立場になると忘れてしまう人のどれだけ多いことだろう。このような雑文にだって、読み手がいる。読み手である読者諸賢は、前述の「界隈」への想いを見に来たのかもしれないし、深夜の暇つぶしに来たのかもしれない。それは書き手である私にはわからないことだ。だが、私には書き手として伝えたいことがある。たとえば、今の子供たちが抱える孤独であったり、一部の横柄な老人への不満、更には書き手と読み手の境界を理解できていない連中への苛立ち。そして何より、「ティンコンカンコン」である。だから、今度は、「警固パ界隈」に混ざって、「ティンコンカンコン」と叫んでこようかと思うのである。閣筆。