【昭和的家族】小さな花火
あれはいつの頃だろう。多分私が小学生の高学年か中学生の頃だったと思う。その頃の父はとても夏祭り等で行われる花火が好きで、実際の花火大会にも時々連れて行ってくれた事があった。しかしそれより何より想い出すのは夏の夜、急に聞こえた外からの花火の音に誘われるように、夕食の食卓や夕食後の居間にいた父が急に姿を消していた事だ。
たいていの場合、父は自宅の2階のベランダで何処かに見えるはずの花火を探していた。その上で静かな住宅地にあった実家の周囲も年々家が建ち並び年々前は見えていた遠くの花火が、どんどん見えなくなっていた。
なので、もしも父の姿が自宅の2階になかった場合は、大抵父は近所のどこかから花火が見えないかと自転車に乗って出掛けていた。そして自転車とは言え、いつもそんなに遠出はせず、歩いても行ける位の距離までで戻って来る事が多い様子だった。父は帰ってくるととっても嬉しそうに、近所のどこからどんな花火が見えたよと私達に説明してくれた。私は一度、父が近所の歩道橋の上から見えたという花火がどんな様子なのか気になって、もしもまだ見えるのであれば一緒に見に行きたいと父に頼んだ。
その時の花火大会は少し長めに実施していたようで、父は話していた近所の歩道橋に私を案内してくれた。とってもわくわくしながら暗闇の中私は、父が乗る自転車の後を、自分の自転車に乗って付いていった。自転車を降り歩道橋の下に停め、歩道橋の階段も父を追いかけ急いで登ると「ほら、あそこだよ!」と父が指さす。しかしながら私が想像した花火らしきものは見当たらない。花火の音も頼りによくよく見直すと、私が想像していたよりも遥かにとっても小さな花火らしき姿が見えた。少なくとも手のひらくらいの大きさかなと想像していたら、実際は小指の爪くらいの本当に小さい大きさだ。
「ミニチュアみたい」と、思わず私は正直な感想を言う。そんな私の発言を全く気にする様子もなく、「そうだいな」と父は楽しそうな顔で父の故郷の言葉で相槌を打つ。少しの間ふたりで黙って幾つかのミニチュア花火を一緒に眺め、それから私達はまた自転車で家に戻った。その後、私には近所で見える花火の大きさも様子も大体分かったので、次からは父と一緒にわざわざ自転車で近所の花火を見に行く事はしなかった。
それでも何かの切っ掛けに、今でもどこかのベランダから花火が上がる音と遠くの小さな花火が見えた時は、あのミニチュア花火を一緒に見た父のことをいつも懐かしく思い出す。そして父と歩道橋で見た時よりは少しは大きく見える花火の場合(大抵はあの時よりは大きい事が多いので)、何だか得した気持ちになって、窓越しに見える小さな花火大会に”たまやー”とかいい加減な掛け声をかけて、私は暫し夜空に上がる花火に見とれてしまったりしている。
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