【昭和的家族】瓶のヨーグルト
私が小さかった頃、だんだん食べ盛りとなる3人兄弟と母の父と同居する父母は、経済的にだいぶ苦労していたようだ。父は公務員で、給料の額としては当時の他の一般的な会社員よりは低かったと聞いている。父はその後の職業人生の中後半で、だんだん昇格をしたりして(そして私達も少しずつ独立して)家の経済状況は変わっていったけれど、特に私が中学校位になるまでの頃、家計をやりくりする母はいつも大変そうにしていた。
そんな状況だったからか、我が家では当時流行っていたヤクルトも、毎日子供ひとり1本分ではなく、3人に1本分しか割り当てされていなかった。順番に飲もうとなっていたけど、子供の事なので良く取り合いの喧嘩になったらしい。朝の時間にいつも大喧嘩をしていたので、家の裏側の近所のおばさんがその喧嘩の理由を聞いて「ひとり1本にしてあげたらどうかな?」と言ったそうで、その時とっても恥ずかしかったと母から何度も聞いた覚えがある。
それでもその後ヤクルトがひとり1本毎日飲めるようになった記憶は私には全く無い。それどころかいつの間にか1本すら配達されなくなった。そんな状況ではあったけど例外的に、子供達が当時高級品だった瓶に入ったヨーグルトを(推定150ccほど)をまるまる1つ食べさせてもらえる時があった。
それは高熱が出たり、重めの風邪などをひいて、暫く寝込みそうという時だった。多分いつもよりもご飯が食べられないから元気になるためにと買ってもらえたのだと思う。熱にうなされる時、その冷たいヨーグルトの少し青緑かかった瓶を出されると、"病気になって良かったかも!"とさえ一瞬思うほど、冷たいヨーグルトは美味しく一人じめできる特別感が強かった。
ヨーグルトの瓶の上には紙蓋が付いていて、その紙蓋をそっと開けると、瓶の淵が少しだけ盛り上がっているヨーグルトが現れる。真っ白でつるっと輝いている円状のヨーグルトを眺め、そっとその真ん中を木でできていたスプーンですくうと、少し固めのヨーグルトに1匙分だけ穴が開く。そんなふうに1匙1匙を大事にゆっくり味わって食べる。思いのほかヨーグルトは直ぐに無くなってしまうけど、食べ終わり「美味しかったなー」と思わず独り言が口から出て、私は幸せな気持ちでまた薬を飲んで寝込んでいた。今でもたまに瓶入りのヨーグルトを見かけると、あの時の満足感のある幸せな思いを想い出す。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?