【昭和的家族】我が家の大晦日のご馳走
父が元気な頃、実家の大晦日のご馳走は、父が作ったうどんとケンチン汁だった。普段から父がうどんを作る量は多くて、軽く8人分くらいはあるかというボリュームだったが、大晦日のうどんの量はその2倍か3倍ぐらいあったかと思う。加えて、通常のうどんの時のお汁とは異なり、大晦日には父は実家で普段使いの一番大きな鍋一杯に、並々と味噌味のケンチン汁を作った。うどんに加え市販の茹でたお蕎麦と天ぷらも添えられ、我が家の大晦日のご馳走である年越し蕎麦(&うどん)は、いつもこのケンチン汁とセットだった。そして大鍋に残ったケンチン汁とうどんは年を超え、続くお正月の三が日の間、家族やお客さまにお節等に加えて振る舞われたものだ。
ちなみに少し横道に逸れるが、私にとってケンチン汁は味噌味だ。しかしながらこれも父の故郷の味付けらしく、同じ埼玉とは言え県庁に近い市街で育った母には、東京同様に醤油味の方が馴染みが深かったらしい。父母が結婚後か前に初めて大き目の喧嘩をした際は、このケンチン汁を醤油味で作った母を、父がその時同じ場にいた父の弟に
「醤油味のケンチン汁なんて聞いたこともねぇよな」と後の母曰く、大変小馬鹿にした口調で言った事から始まったと聞いた。
そんな父の作るケンチン汁は、どうやって作ったのか、私からすると他の人が作るものと全く違っていた。素朴な中にもパンチがあるというのか…上手くは例えられないけれど、多分ゴボウや人参や大根など、他の鍋で茹でて灰汁を取るという工程をせず切ったものをそのまま、最初に細切れの豚肉(本来のケンチン汁では肉は使わないらしいが)やざっくりと何らかで小さくされたこんにゃくや包丁でなく手で崩したお豆腐等々と一緒に炒めるからか、とってもこってりとした其々の素材の味わい深さを感じる味がした。
長く一緒に過ごした中でも一度だけ、父が年末にインフルエンザにかかり寝込んでしまって、このご馳走にありつけなかった時があったけれど、その年以外は私が覚えている限り父は欠かさず毎年このご馳走を張り切って大晦日に用意していた。
その後父がケガで倒れ、不在となった初めてのお正月に私は遠目で見ていた父の作り方を思い出しつつケンチン汁作りに一度だけ挑戦してみた。しかしながらその時出来上がったものは全く父の味と異なり、とても薄っぺらい味の豚汁的なものとなってしまった。出来上がったそのコクの無い薄い豚汁的なものを家族に出した時、特に誰も何も言わなかったけど、私の中での”これじゃあ無い”感は激しく強く、それ以来私はまだ一度もケンチン汁作りに挑戦していない。