【昭和的家族】家を建替えるに決まってる
私が生まれてすぐ、父は今私が住んでいる場所に土地を買って木造の家を建てた。今から60年程前の事だ。
初めは平屋の家で、その後1階に書斎を建て増しし、さらにその後2階に2部屋の和室を増築した。更に何十年も住むうちに台所やお風呂場が劣化したので数日かかるリフォームもした。父は手先が器用でかつ大工仕事が趣味だったので、そのような大きな改築以外の様々な改修は自分でもやっていた。
そんな実家の裏側には父が手造りで建てた作業小屋があり、大工道具や庭の木の剪定用の電動の器具やらなにやら、素人とは思えない程の沢山の物々をそろえていた。夏休みや土日になると父は汚れても良い恰好に着替え、その作業小屋と家や庭の作業場所を行ったり来たりしていた。夏は汗だくになりながら、冬でも薄着に汗を光らせ、頭や体のあちこちにおがくずやペンキをつけて、黙々と歩いている父の姿を、当時私は落ち着かないので嫌だなと思っていたけれど、今ではそんな事もあったなと思えて懐かしい。
結局のところ、私は色々な所に父が手を加えていたその家がとても好きだった。例えば、今で言うリビング・ルームとして家の中心の場所として使っていた洋室の居間の壁も、父が木の板を張り替えペンキを塗ったものだった。張り替え直後はペンキの香りはキツイし、色も激しいオレンジ色味の茶色で(昔、味噌味の濃いオレンジ色のイカのお惣菜があったのだけど、私は密かに父がペンキを塗った壁の色を「あのイカ色!」と呼んでいた)”どうせ塗るなら他の色が良かったのに”と当初は思っていたのだけれど、年月を積み重ねてその毒々しかった色はいつしかとても心地よい暖かい茶色に変色していった。特に父が他界した後、家中のあちらこちらの手すりや戸棚に父が大工仕事をした証拠的な個所(例えば曲がった釘穴や手作り感の強い木片等)を見かけると私には、まだ父の魂がそこここに普遍的に存在して、残された家族を守ってくれているようにさえ思えた。
そんな風に、父が長い間古い家を大事にしている様子だったので、私は”父はきっとこの家を建替えしたくないんだろうな”と過去には思っていた。しかしながら、まだまだ父が積極的に自分で実家の改修をしていた時代のある日、私は自分のその認識は間違っていたと知った。
それは、私がある日実家の台所でお茶を飲みながら軽く母と冗談話をしていた時の事だ。私はその週に会った友達たちと、”もしも宝くじで一億円当たったら何に使うか”という話で盛り上がったと母に説明していた。私だったら半分は老後のために貯金して、後半分は海外旅行に使いたいけどそんな長い旅行から戻ってきて仕事無いと困るし、どう使うかと悩んでいるんだーというような空想話だった。
すると、それまで近くにいながらも全く私の話を聞いてなさそうだった父が、いきなり血相を変え私達の会話に割り込んで来た、
「何を言っているんだ!!!家を建替えるに決まっているだろう!!!」
声さえいつもより激しい。
「ちょっと待ってお父さん、夢の話だよ。ちなみに私まだ全く宝くじも買っていないし…」と返したけれど、あまりに父が真剣な面持ちだったので、空想話を続ける気が無くなり、私はその場の話を終わりにした。その上で、”お父さんが買ったらという話でなくて、私がもしも宝くじを買って当たったらという話だったんだけど、何故そこまでお父さんが介入してくるのかな”という疑問と違和感が強く残った。
考えてみたら、その数年前から父はしばしば宝くじを買いに行っていた。
当たったと喜んでいた姿は見た事がなかったので、大きな当たりはなかったのかと思う。いそいそと、どちらかと言うとこっそりと、一人で隣町の銀行前にある窓口に買いに行っていたので、それまで私から父にもしも当選したら何に使いたいのかなんて聞いた事はなかった。”そうか、お父さんはそんなにこの家を建替えたいんだ。意外”と、その時の激しい気合の入った父の発言と表情で私は初めて父の気持ちに気が付いた。
そしてその時の「家を建替えるに決まっている!!!」と言っていた父の言葉は、ある意味父の志だったのかなと、後々私には思えてきた。