【昭和的家族】仕事帰りのチョコレートパフェ
私の父は昔、長い間煙草は吸っていたがお酒はとても弱く、お付き合いでビールなどをコップ半分飲んだ位ででも、顔が真っ赤になった上にかなりな笑い上戸になった。いつだったか酔った父が家に帰った時に丁度、ドリフターズのお笑い番組を家族で観ていたのだけれど、途中参加した父が余りにもちょっとした所で度々大笑いし過ぎてかつ都度都度、「どうだ、こりゃあ面白いな、〇〇だってよ!!わはははは!!!」と普段より数倍も大きな声で激しく同意を求められ過ぎて、とても迷惑に感じた事もあった位だ。
お酒が弱いのもあってか父は甘い物が大好きで、和菓子も洋菓子も好んで食べた。洋菓子で特に好きなのは、チョコレート。チョコレートそのものも大好物だったけれど、チョコレートが入ったお菓子全体が父は大好きだった。それでも父は一時期、七福神のある神様のようにお腹がだいぶふっくりとしてしまい(そんなお腹をいつも何か不服がある時は無言でさするのが習慣となる位)、しばしばダイエットも気にしている様子で、私が夕方遅くケーキ等をお土産として差し出すと、「美味しそうだけど、太ってしまうから明日の朝にする」と結構意思の強さを示したりしていたものだ。
その頃、父は長い間勤務していた仕事を退職し、いくつかの短期的な仕事をした後、家からだいぶ離れた事業所で退職後取得した資格を活かせる業務を委託され働いていた。始めは週5日、後に週3日程と勤務日数は少なくなっていったけれど、70代後半まで確か仕事を続けていたと思う。その最後に通っていた事務所は最寄りの駅から徒歩20分位の場所にあった。普段から歩くのは苦では無いと言う父ではあったけど、家から徒歩で電車に乗り乗換後、着いた駅からまたかなりな距離を歩くのは、その頃の父の年から考えると通勤は相当大変だったかと思う。
それでも父がそんなに長い間無事仕事を続けられたのは、周囲の方々に恵まれていたからだった。例えば、行きは事務所の最寄り駅から歩く父の姿を見かけると時々車で送ってくださる近所のお店の方が数名いたり、帰りは時間を合わせ事務所の若い方々が交代で父を家まで送ってくださっていた。
そんな当時の父の通勤時の楽しみの一つは、職場の方が父を車で送ってくださる時に、道中で立ち寄る喫茶店のチョコレートパフェだった。車で長い距離を送っていただくお礼も兼ねてと、ある喫茶店に寄るようになって、試しに頼んだチョコレートパフェがとっても立派で美味しかったので、それから度々その喫茶店に寄ってはお八つとしていたようだ。父がその話を何かの折にした時、私は父が好んでいるそのパフェがどんなだかとても気になり、土曜だか日曜だかに父に頼んで母と一緒にその喫茶店に父の車で連れて行ってもらったことがある。
その喫茶店は、思っていたよりも実家の近くにあった。私が徒歩で通っていた中学校の近くだ。父はすっかり顔なじみとなっているその喫茶店のマスターや店員さんとにこやかに挨拶し、「今日は家族で来ました。いつものやつを3つお願いします」と言ってチョコレートパフェをオーダーをした。
パフェが来るまで、私は喫茶店の様子を観察した。もう何十年か営業をしているのだろうか。4人が座れるテーブル席は、1人分の席が大きく、家具も椅子もどっしりとしていて居心地が良い。当時は全席で煙草を吸う事もできた喫茶店が多かったのだが、このお店も席ごとに灰皿が置いてあり、休日にも関わらず背広姿で煙草をくゆらしながら仕事の話をしているらしきお客さんもいた。
いよいよチョコレートパフェが運ばれて来た。それは想像を超える大きさと豪華さだった。切ったバナナや生クリーム、チョコレートやアイスクリームが大き目のグラスにこれでもかという位、山になっていた。一番上に更にチョコレートソースがたっぷり掛かっている。とっても甘いけど、冷たいパフェやクリームは父が一緒に頼んだ香ばしく温かいホットコーヒーととても良く合う。”美味しい!!連れて来てもらって良かった!!”しかしそれにしても想像していたよりも遥かに大きい。
「お父さん、これ毎日食べているの?」
「そんなじゃないよ。まぁ、週2回位かな」
”これに比べたら、私が時々差し入れる時々のケーキの方がよっぽどカロリーは低いのではないかな”と、私は心の中で思いながら、私の中での最大級に豪華なそのチョコレートパフェを最後までなんとか完食した。