【昭和的家族】頼み事のコツとクリスマスツリー
あれはいつ頃の事だろう。父がまだ現役で一番忙しく働いていた頃かと思う。私は父に頼み事をするのにはコツがあると気が付いた。例えば、自転車のパンクを修理して欲しい時、もしも父にストレートに頼むと断られる。
「お父さん、自転車の空気が抜けやすくて、どうやらパンクしているみたいなんだけど、見てもらえますか?」と言うと、
「なんだよ。俺だって忙しいんだ。お母さんに頼んでくれよ」と言う感じ。
だけどもし直接父に話さず、父が近くにいる時に母や別の家族に悩みを相談すると父の行動は全く違う。
「最近、何度も空気を入れていても、私の自転車の前輪の空気が抜けちゃうんだ。これってパンクしているって事なのかな。もしもそうなら、自転車やさんに持って行く必要があるんだよね…」とか母に話をしていると横にいる父の姿が消える。
暫くすると父は庭で私の自転車をひっくり返し、前輪から空気が漏れるかどうかを大きなタライのようなものを使って確認していて、更に暫くすると私の自転車と父の姿が庭から消える。やがて小一時間もすると、
「ほら直ったぞ」とどうやら自転車屋さんに持って行ってかつ修理代さえ支払らってくれた様子で戻って来る。
そんなコツを知ってしまってからだいぶ長い間、私は父に頼み事をする時は、ストレートに頼まず、間接的に悩んでいる姿を見てもらうようにしていた。
それから相当長い時間が経ち、父は最後の仕事を辞めて年中家にいるようになった。父は趣味が多かったからか、余った時間を持て余すという事は無かったようだったけれども、私から見て大きく変わったのは、何かを頼むととても嬉しそうに何でも引き受けてくれるようになった事だった。
私はそんな父の変化を有難く思い、これ幸いと色々な事を頼んだ。
開けづらい雨戸の開け閉め(お願いすると、父はふざけて「分かりましたー!」と軽く敬礼をしてそそくさと作業に行った)、要らない用紙をシュレッダーにかける事(父は私から度々依頼されるこの作業に対応する為に業務用とも思える位の大きなシュレッダーを購入していた)、荷物の宅配の発送手配(父は数社の宅配会社の配達員の方々と仲良くなり数種類の伝票を束で保管し、必要に応じて使用する宅配会社専用の雨除けのビニールカバーさえもいつも切らさないようにストックしていた)等々。
そんななんで、もう昔習得していた父に頼み事をするコツの事を私はすっかり忘れていたのだけれど、ある時”そう言えば!”と昔のコツを思い出した事があった。それは父が大ケガで入院して実家からいなくなってしまった時の事だ。
私は庭の端に何故だかクリスマスツリー的な木が植えられているのに気が付いた。何本かの鉄製の支え棒でその木は支えられて父に育てられている様子だった。私は母に聞いた。
「庭にあるクリスマスツリーみたいな木ってお父さんが育てていたのかな」
「あぁ、そうなのよ。確かこの近所のどこかのお家で、クリスマスツリーを買ったら直ぐに枯れたとか曲がったとかで、クリスマスの飾りが上手く出来なかったという話をお父さん聞いたみたいなの」
「どこの家?もしも頼まれていたんだったとしたら私、渡してくるよ」
「それがどこの家の事なのか私も聞いてないのよ。それも直接頼まれたわけでは無くて、人づてにある近所のお家のクリスマスツリーが上手く飾れなくてお子さん達ががっかりしたと聞いただけで。お父さん、ツリーがしっかり育ったらプレゼントしに行くつもりだったらしいの」との事で、どこのお家の事なのか母の話から分かるヒントは何も無く、私達はそのクリスマスツリーを父が渡したかったご家族に渡す事はできなかった。
そのタイミングで私は、急に遠い昔の父への頼み事のコツを思い出した。”そっかお父さん人づてに聞いたからこそ、自分が何かやってあげたいという気持ちでこのクリスマスツリーを育てていたのかな”と私は思った。
何年かして、結局そのクリスマスツリー的な木は、ある夏のものすごく暑い時期に水遣りが足らなかったかですっかり枯れてしまい、誰かの家でクリスマスの飾り付けをしてもらえる事無く、ひっそりと実家の庭から片付けられてしまった。