自殺しようとした人間が、ミニストップのソフトクリームに助けられた話
1行まとめ:些細なことで自殺する人間もいれば、些細なことで自殺をやめる人間もいる
※全文無料で読めます
地元にミニストップがあった。
過去形なので、今はもうない。数年前に潰れ、学習塾になってしまった。なぜ潰れたかは分からない。
そのミニストップがなかったら今の私はいなかったので、書いていく。
限界コールセンターの限界オペレーターをしていた私は、常にぎりぎりだった。
本が読めない。
絵が描けない。
運動をする気力がない。
ずっと疲れている。
お金がない。
入社当初は結構もらっていた。手取り20万を超えていた。同年代より多い方だと思う。
だが、大金を手にした学生気分が抜けない人間が貯金をできるわけもなく、すべて使っていた。携帯の使用料金なら、まだいい。
ほとんどがソシャゲへの課金だった。ソシャゲの課金と、ストレス発散のドカ食い。
今くらいの時期だった。段々と仕事へのやる気がなくなり、アンケートの感謝の言葉も届かなくなっていた(通話終了後、顧客にアンケート調査のお願いSMSが届く場合がある。メッセージは一定期間見ることが可能)
コールセンターに電話をしてくる人の9割は普通の人だ。残りの0.9割は良い人であり、0.1割は人の皮を被ったナニカ。
人の皮を被ったナニカにぶつかるとき、ストレスで頭がおかしくなりそうだった。言語は通じるのに、話が通じない。
本当に人の話を聞かない、なぜ生きていられるか、仕事ができるか分からない「ニンゲン」と通話を繋げた。その時の事は、忘れない。忘れられない。忘れてたまるか。
初めてだ。怒りのあまり、ヘッドセットをぶん投げたのは。上司に泣き言を吐いた。「この人と話をしたくない。通話を変わってください」
だが、変わらなかった。相手が怒ってなかったからだ。冷静に、気が狂ったことを言い出す「ニンゲン」。コールセンターの規定上、冷静に狂っている「ニンゲン」は「オキャクサマ」なのだ。結局、私は一時間半の時間を「ニンゲン」との虚無で満たした。
コールセンターも2年目。すり減っていく精神と、なくなっていく感謝の言葉。自分が、なぜ仕事をしているのか。やりがいというものが見えなくなった。
よく、「コールセンターにかける人間は、オペレーターを人間と思っていない」という言葉を見かけたことがある。
逆もそうだ。私は、コールセンターにかけてくる人たちを「人間」と認識できなくなっていた。「敵」と認識していた。
視野が狭くなっていた。家族には、「仕事をやめろ」と言われた。やめられなかった。
携帯の支払いはどうしたらいい。これからの事を考える余裕がない。
「社会人」という線路から外れた時、私は「普通」じゃなくなる。「普通」じゃなくなったら、どうすればいいんだ。
そのころ、私は全てを会社に依存していた。仕事・友達・恋愛、全てだ。コールセンターをやめたら、私が私じゃなくなる。
定年退職し、会社に依存していた人を笑っていた。「そんなこと、あるわけないだろ」
いつのまにか、その人たちと同じような道をたどりかけていた。
不安障害を発症し、不眠症を発症し、中学のころに発症した離人症が再発した。現実感がなくなり、眠れなくなり、それでも出社の時間はやってくる。
布団の中で、怯え、寝ると明日が来る。身体は寝たいと訴えているが、心は寝たくないと叫んでいる。
ぷつりと何かが切れた音がした。
八方ふさがりになった時、人は「死」に救いを求めることを知った。
そうだ、死ねば楽になれる。
考えた時、自分の人生に眩い光が差し込めた。「死」という選択肢をいれた時、久しぶりに人生に色が付いた。
なら、どうやって死ぬか。考えに考えた末、私は、溺死にたどり着いた。
地元には海がある。
海が好きだ。水が好きだ。気が付いたら、川の動画や海の動画を見ている。なぜか昔から、水に触る事や見ることが好きだった。
最後くらい、好きなものに囲まれて死にたい。
時期は今と同じくらい。雪が降り、昼の最高気温が0℃に届かない日がざらだった。
溺死の前に、低体温症で死ぬなと笑いながら考えた。まぁ、死ねるならいいか。私は、職場から生まれ故郷の海に車を走らせた。
夜の9時くらいだ。あと5分もすれば海に到着する。
死の恐怖はなかった。生きている方が怖かったからだ。鼻歌を歌いながら、車を走らせる。
通勤路から海に行くとき、2種類のルートがあった。その一つにミニストップがある。
「あ、ミニストップに寄ろう」
最期に何か食べようと思った。私は、ミニストップのソフトクリームを食べることにした。
ミニストップのソフトクリームは美味しい。初めて食べた時「コンビニでこれが食べられるのか」と幼いながら驚いたのを覚えている。
だから、食べたくなった。これで最期だから。
誰もいない駐車場に車を止め、購入したソフトクリームを食べた。甘さが口内に広がる。そういえば、久しぶりに食べたなと考えながら食べた。
その瞬間、正気に戻った。
「何を考えていたのだろう」
砂糖の成分が脳に刺激を与えたのか、自殺することに対して恐怖を感じた。気が付いたら、泣いていた。
死に恐怖を持てた。私は、泣きながらハンドルを握った。恐怖と安堵を抱えて、家に帰り布団にもぐった。
数日後、布団から起き上がった私は家族に宣言した。
「辞めるわ、今の会社」
あれから数年たつ。冒頭にも書いたが、私の命を救ったミニストップの店舗はつぶれた。
ミニストップから先。海に行く道にあるのは、自宅とファミマしかない。ファミマはよく行っていた店舗だから、スルーする予定だった。
自宅に寄ることもなかった。死ぬ前に自宅に寄るということは、私の頭にはなかった。未練がなかったからだ。友人には、私が死んだときのためにHDDとパソコンを壊しておいてほしいと言っている。
ミニストップがなかったら、私はそのまま冷たい夜の暗い海へと潜っていた。
たまにしか行かないミニストップだからこそ、私は自殺をやめた。
些細な出来事で、人は死ぬことがある。周りから見れば「どうして、死んでしまったのだろう?」と思うかもしれない。相談してくれれば、と思うかもしれない。
自殺した人も同じことを思っている可能性がある。「どうしてこんなことで」と。
人から見れば本当に些細なことで。
無意識下で溜めていたストレスがたまりにたまって。
それで死へと向かう人もいる。
だが、些細な出来事で、人は生きることが出来る。人との約束かもしれない。私みたいに、何かを食べたからかもしれない。
いまだに希死念慮に悩まされる。何かあると、すぐに「死」が選択肢として入り込む。
一度、「死」が選択肢に入った人は、「死」の選択肢を無くすことはできない。
だから、別の選択肢をいれる必要がある。たまたま、本当にたまたま、私の選択肢に「ミニストップのソフトクリーム」が入っていた。
今でも、すぐに「死」が選択肢に入ってくる。
それを振り払うかのように
人との予定をいれる
贈り物をする
推し馬の子を応援するため、一口馬主を検討する
北海道に行って推し馬に会うためのお金を溜める
推しコンテンツのライブに行こうとする
人と電話をする
人とゲームをする
文章を書く
全ては、甘く優しい「死」の選択肢をなくすために。
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