eスポーツの歴史|格闘ゲーム30年の歴史を最初からわかりやすく説明します。
2020年以降の歴史はこちらを見てください。
はじめに
日本のマスメディアで取り上げられるeスポーツといえば、FPSの「VALORANT」そして、格ゲーの「ストリートファイター6」(以下スト6)ではないでしょうか?
最近では20代の若い方も格ゲーに興味を持った方が増えてうれしい限りです。
しかし、若い方を中心にFPSの影響は強く、なぜここまで格ゲーが生き残っているのか疑問に思っている方も多いと思います。
なぜ、日本のマスコミがeスポーツを語るさいに格ゲー(主にストリートファイター)を話題にしがちなのか?
そして、なぜ、日本初のプロゲーマー(と紹介される方)が格ゲープレイヤーなのか?
優勝賞金額や競技人口を見れば、格ゲーよりもMOBAやFPSの方が大きく、有名タイトルは億単位の賞金を数年規模で出しています。
国内でも、DCGの「シャドウバース」が数千人規模のオープントーナメントを実施し、優勝賞金1億円の大会を実施しています。
それでも、格ゲーがメディアで取り上げられやすい理由が主に3つあります。
①日本で生まれたジャンルであり、日本のプレイヤーが強いこと
②歴史が長く国内の多くの人にその形式が知られていること
③コミュニティやゲームセンターなどが大会を開き続けていたこと
今回はこれらの話を年代ごとに説明します。
これが分かると格ゲーがメディアで取り上げれやすかった理由や格ゲー以外でもゲームコミュニティを盛り上げる方法のヒントが見つかるはず。
個人的な感想も多いですが、ご容赦ください。
Ⅰ1990年代前半
格ゲーの誕生
「ストリートファイターⅡ」(以下ストⅡ)がリリースされ、格ゲーというジャンルが生まれた時期です。ゲームセンターには格ゲーの筐体が積極的に導入されました。
この時期はストⅡの他に「餓狼伝説」や「バーチャファイター」(以下バーチャ)、「サムライスピリッツ」(以下サムスピ)、「鉄拳」、「ザ・キング・オブ・ファイターズ」(以下KOF)など格ゲー史を彩る名作が多数発売しています。
これらのゲームは家庭用ゲーム機に移植され、ゲームセンターへ足を運ばないユーザーにも浸透します。
この時期の大会
大会については大規模な大会がアーケードゲーム攻略雑誌主催で行われました。
この時期からすでに大会の映像化が行われており、ゲーム画面をVHSに録画して、雑誌の付録や直接販売の形で格ゲーファンの手元に届くようになっていました。
また、ストⅡは約8000人の予選突破者を両国国技館に集めた大会を実施しています。
さらに、ゲームセンターでは小規模な大会を定期的に行う店舗が存在しました。
店舗大会のメリットは、大会の練習のためにゲームセンターに通うプレイヤーを増やせることです。
このように大小問わず多くの大会が90年代前半から行われています。
Ⅱ1990年代後半
格ゲー人気のピーク
格闘ゲームの人気がより高まった時期です。
90年代前半にリリースされたゲームはマイナーチェンジ版や続編がリリースされ、それらも家庭用に移植されました。
新作の格闘ゲームも「ギルティギア」(以下ギルティ)やソウルキャリバー(以下キャリバー)がリリースされました。
格ゲーではないですが、「大乱闘スマッシュブラザーズ」(以下スマブラ)もこの時期に第1弾が発売します。
格闘ゲームの大会は公式、公認、ゲーセンを問わず参加者や見学者が増えていました。
ストリートファイターの公式大会は、ダイジェスト形式ではありますが、地上波で大会の模様が放送されていました。
そのうえ、海外大会の優勝者と日本大会の優勝者が対戦するイベントも行われます。
バーチャファイターではトッププレイヤーが鉄人と呼ばれ、テレビで紹介されたりもしています。
難易度の増加
一方で、新作やマイナーチェンジ版が出るたびに格闘ゲームの操作難易度や技術介入度が上昇し、初心者や新規参入者が付いてこれなくなります。
また、当時はオンライン環境もないので、アーケードがメインの格ゲーだと地方では練習相手や情報が不足し、都市部の上級者についていけない事態が顕著となります。
Ⅲ2000年代前半
衰退期へ突入
1990年代後半の問題点が表面化し、格闘ゲームの衰退が始まります。
有名作品のマイナーチェンジや新作の発売数が減少する時期です。
2024年現在でも新作が発売され、公式大会が行われる新規格ゲーはこの時期には誕生しません。
アーケードでは「バーチャ」や「ギルティ」、家庭用では「鉄拳」が流行っていたのですが、全体的に衰退基調であり、欧米ではゲームセンターに当たる施設が消滅に近い状態となりました。
そういった事情もあり新しいシリーズを立ち上げるメーカーが少なかったと考えられます。
第三者機関による合同大会の開始
その一方で、国内ではゲームセンターを使って公式大会を行う取り組みが始まります。それが「闘劇」です。
ゲームセンターのオーナーやアーケードゲーム専門誌などが立ち上がり、ゲームセンターにて予選を実施、幕張メッセやTFTホールなどの大きな会場で決勝大会を行う大規模な大会です。
予選は全国各地のゲームセンターで行うことで、練習のためにゲームセンターへ通うプレイヤー作れます。
決勝大会はDVDに映像が残り、会場の設備や入場演出を豪華にするなど、選手のモチベーションを上げる取り組みが多く、のちに格闘ゲームでプロとなるプレイヤーも多数参加しています。
また、実況や運営スタッフも闘劇で実績を作って、現在eSports関連の仕事をしている方もいます。
闘劇はメーカーの枠を超えて複数のゲームが同じ会場で大会を行います。この形式は2024年でも格闘ゲーム大会で採用される形式です。
アメリカでは同じ時期にEvolution Championship Series(通称EVO)が毎年1回開催されます。
コミュニティ大会ですが、2024年現在、数万人を動員する世界最大のゲーム大会です。こちらも、複数のゲームの大会を同時並行で行う形式です。
Ⅳ2000年代後半
復興期の始まり
衰退から回復する時期です。
闘劇は毎年開催され、ストシリーズでは約10年ぶりの新作である「ストリートファイターⅣ」(以下ストⅣ)が発売されました。
新規格ゲーも「ブレイブルー」シリーズの第1作目がリリースされます。
これ以降のゲームは新作、シリーズ物問わず、2000年前後に発売されたゲームよりも操作が簡略化する傾向があります。幅広いプレイヤー層を受け入れるための体制を整えだした時期です。
海外ではEVO以外にもコミュニティ大会が成長し、コミュニティが格ゲーを支えていました。
Ⅴ2010年代前半
プロゲーマーの誕生と世界大会の再開
国内に格闘ゲームのプロゲーマーが誕生し、海外のコミュニティ大会を使ってのプロツアーが開催され始めた時期です。
最初にこの方式を使ってプロツアーを実施したのが「ストシリーズ」の公式大会「カプコンカップ」です。
初期の「カプコンカップ」への出場条件は、世界各地で行われるコミュニティ大会や国内公式大会で上位入賞するともらえるポイントを合算し、そのポイントの上位者を世界大会に招待する形式です。
初期の「カプコンカップ」ではポイントの順位とは関係なく、特定の大型大会の優勝者も出場可能でした。
海外が主戦場に
公式世界一決定戦は高額賞金を出しやすい海外で行われます。
2012年に「闘劇」が終了したため、プロプレイヤーやプロを目指す実力者などは積極的に海外大会へ遠征します。
2000年代から「EVO」のような大型大会には日本人の遠征者がいたのですが、「カプコンプロツアー」の影響もあり、「ストシリーズ」のプロは積極的に海外遠征を行います。
大会は動画配信サイトで生放送されるため、大型大会で活躍すればプレイヤーの知名度や実績が高まります。
それらを得ることでプロゲーマーとなり、契約期間を延長や収入増を目指せます。
配信の一般化
また、配信も盛んになり、テレビ番組のように特定の曜日にプロゲーマーの配信を行う試みも始まります。
さらに、「ストシリーズ」では「TOPANGAリーグ」のようにトッププレイヤーが長期リーグを行い大会を有料配信する試みも行われました(のちに無料になります)。
スマブラコミュニティの成長
「スマブラ」シリーズは公式大会よりもコミュニティで大会シーンが発展しました。国内であれば「ウメブラ」という大会が始まります。
ウメブラは2024年時点で1200人以上の参加者が集まる大型大会へと成長しました。
のちに海外の大会も含めて、トップクラスの人気と実績を持つ大会となっています。。
その結果、「スマブラ」はコミュニティ大会を軸としてプロゲーマーが誕生するようになります。
Ⅵ2010年代後半
eスポーツの波が押し寄せる
eスポーツという言葉が一般層に認知された時期です。格ゲーもその流れに乗っかります。
まず、公式世界大会を行うタイトルが増えました。ゲームによって大会ルールは異なりますが、世界中にあるコミュニティ大会や国内公式大会等を使って予選を行い、その結果をもとに世界大会を行う点では「カプコンカップ」と共通しています。
鉄拳をはじめ、本記事で紹介した格ゲーのシリーズ作品は賞金付きの大会を実施しています。TEKKENワールドツアー(鉄拳)、アークワールドツアー(ギルティ等)がメジャーなタイトルです。
高額賞金が出る国内大会が誕生
国内大会で高額賞金が出せるようになりました。
今まで高額賞金を出す際に壁となっていた法律の問題が解決し、数十万から数百万の賞金が出る国内大会が誕生します。
さらに、ストシリーズは公式プロリーグも誕生し、トッププレイヤーが国内で活躍できるようになりました。
家庭用ゲーム機が主戦場になる
この時期の大きな変化は、家庭用ゲーム機、主にプレイステーション(以下PS)の比重が大きくなったことです。
「闘劇」が終了し海外大会が主流になったことで、PSを用いた大会が増えました。
そのため、プロを含めたトッププレイヤーの練習場所がゲーセンではなくなります。
オンライン上での練習はもちろんのことスタジオや自宅にプロを中心とした強豪が集まり一緒に練習をする方式も採用されます。
競技化の進展
また、日本eスポーツ連合(JeSU)が発足し、国内選手向けにプロライセンスが発行されたのもこの時期です。
さらに、「EVO」の日本版である「EVOJapan」も開催されました。「EVO」と同様にオープントーナメント、ダブルエリミネーション形式が採用されます。
格ゲーの大会にダブルエリミが定着したのもこの時期です。
まとめ
格闘ゲームの歴史や国内における影響力の強さの理由が分かっていただけたと思います。
格闘ゲームは歴史の長い対戦ゲームであること、ゲーム会社がプレイヤーや大会運営コミュニティ、ゲームセンターなど多くの人達に支えられて歴史を積み上げてきたこと。
また、1990年代に格ゲーブームに触れたり関わったりした当時の10代、20代の人たちが30代、40代になり大企業などで権限が与えられる立場にいることなども理由でしょう。
他のゲームジャンルと異なり、新作が発売されない時期でもゲーセンやコミュニティ大会が行われるため、10年以上を経て続編が発売されるタイトルが多い点も特徴的です。
これは、ゲーム自体が消滅しにくいからこその特性であり、PvPのモバイルゲームやPCゲームでは起こらない現象です。
結論ですが、モバイルゲームやPCゲームもゲーム会社を中心に、コミュニティやイベント代理店、攻略サイト運営の会社など多くの会社やプレイヤーでゲームを盛り上げられれば、ゲームの維持や発展はできるのと考えています。
個人でできることはイベントに参加することと、イベントを拡散すること、スキンなども含めて課金をすることなどは簡単にできるので、できる範囲でゲームを応援しましょう!
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