俊カフェ界隈の歴史 その1
take
はじめに
昨年は3回実施した『俊カフェ散歩』(俊カフェ周辺に眠る歴史を掘り起こす街歩きイベント)ですが,今年2020年はウイルス感染防止のためにしばらくは実施できません。
そこで今年は,俊カフェ周辺に残る歴史についてnoteから発信します。街歩きのイベントに参加したことのない方が,少しでも興味を持っていただけるとうれしいです。
幸運をもたらしてくれる人
私に幸運をもたらす知人のUさんに「takeさんが絶対に好きになるはず」と言われた場所。それが『俊カフェ』です。
札幌市立資生館小学校の向いに独特の存在感である建っている木造(一部が札幌軟石づくり)の建物「kakuイマジネーション」。その2階が俊カフェ。
Uさんの予言通り,私は俊カフェの空間が大好きになりました。俊カフェの上げ下げ窓から見るイチョウの木立は《いつも金欠だったけれど,全力で駆け抜けた大学時代》を思い起こさせてくれます。懐かしくあたたかい場所です。
素敵な2人に支えられて
2018年11月,俊カフェでUさんの朗読の会がありました。そのときUさんは
『takeさんは街歩きが好きなんだから,この周辺をぶらぶら歩くイベントをやってみたら?』と話し始めました。『イベントの名前はブラタケシがいい』と名前も決めてしまいました。その時初めてお会いしたHさんも賛同してくれました。俊カフェ店主の古川奈央さんも「たのしみですね」と。
もともと歴史や建物が好きなtakeは,その気になってさっそく調査を開始。ひと冬かけて周辺をブラブラしてみたところ,とても興味深い界隈であることがわかりました。『ブラタケシ』は恥ずかしいので,イベントの名前は『俊カフェ散歩』としました。
UさんとHさん,2人の素敵な女性に支えられて『俊カフェ散歩』が始まりました。内容を少しずつ変えながら,2019年に3回の俊カフェ散歩を開催しました。
助川貞二郎が建てた木造建築
さて,『俊カフェ』の建物「kakuイマジネーション」は,築100年近い木造建築です。公的な建築(札幌時計台など)や寺社(東本願寺札幌別院など)を除くと,個人で建てた木造建築が100年残って現役で使われているというのは,札幌では珍しいことでしょう。
この建物を建てた人は助川貞二郎といいます。仕事の事務所として建てました。贅沢な材料を使って腕のいい職人に建てさせたといわれています。
助川は政治家であり実業家。政治家としては北海道議会議員を4期務め,実業家(怪しいこともしていたようですが)として成功して一代で財産を築いた人です。
軟石を運ぶために馬車鉄道を開通させた
明治の後期,札幌は北海道の都として発展を続ける街でした。札幌は火事が多く,開拓使や北海道庁が石造りやレンガ造りの建物を推奨していました。軟石は,硬石に比べて軽くて加工しやすい,空気を含むので断熱効果が高いというので,倉庫を中心によくつかわれた建材です。軟石の建物は今でも札幌の街中で見ることができます。
その軟石は当時,今の南区石山から札幌の中心部まで12kmほど馬に背追わせて運ばれていました(これが石山通の名前の由来です)。これを見た助川は馬車鉄道で軟石を運ぶことを思いつき,実行に移したのです。開通は 1909(明治42)年。やがて馬車鉄道は石だけでなく人も運ぶようになり,札幌の中心部に路線を拡大していきました。(下の絵葉書の右手の建物は,現在の大通ビッセ。当時は北海道拓殖銀行)
札幌に電車を走らせる
1913(大正2)年に函館では電車が開通しました。ときの北海道庁長官は「札幌でも,なんとかならないか」と助川に相談したといいます。「馬車鉄道を電車に切り替える!!」助川はやると決めたら粘り強い人です。1918(大正7)年8月の開道50年記念大博覧会に間に合わせて札幌に電車を開通させました。のちに札幌市がこの電車事業を買収し,いまの市電となっています。
また,助川の息子・貞利は父の事業に協力し,冬に線路を除雪する『ササラ電車』を発明しました。ササラ電車は今でも冬になると活躍しています。
札幌軟石と札幌市電。俊カフェの建物は,札幌の歴史を語る「生き証人」なのです。
参考文献『札幌百年の人々』1968年,札幌市
次回は,助川さんのあと,この建物はどのように使われていたのか? です。(下の写真は札幌軟石で作られた質屋さんの蔵。いまは焼肉屋さん)