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俊カフェ界隈の歴史 その4 資生館小学校

take

前回までのあらすじ

 『俊カフェ』の建物を巡る旅。
 助川貞二郎が建てた建物は,1942(昭和17)年からおよそ50年間にわたって鶴岡学園が借りていました。その間に鶴岡学園「北海道女子栄養学校」は「北海道文教大学」へと大きく発展しました。
 鶴岡学園のあと1994(平成6)年からここを借りているのは1階で美容院『華宮』を経営する金田敏晃さん。そのとき金田さんが「この建物を一緒に使わないかい」と誘ったのが鈴井貴之さんです。鈴井さんが劇団の稽古に使っていた2階は,3年前から古川奈央さんの『俊カフェ』が入居しています。
 なお,建物のオーナー田端勇士さんが先月(2020年4月)亡くなられたとのことです。長い間この建物を支えてくださった方です。ご冥福をお祈りいたします。

おでこ 2

軟石づくりの居酒屋『Odeco』

 『俊カフェ』から外に出ましょう。おやっ? この建物は木造ですが,右端に石造りの部分があります。札幌軟石です。なでてみてください。助川貞二郎の敷いた馬車鉄道で運ばれてきた石に違いありません。石造りの部分には小さな立ち飲み屋『Odeco』が入居しています。
 『Odeco』の軟石は塀となって狸小路まで続いています。

資生館 二宮さん

札幌最初の学校『資生館』

 俊カフェの前は南3条通り。イチョウの並木がやさしい雰囲気を醸し出しています。takeは俊カフェの窓から見るイチョウが大好きです。
 お向いは札幌市立資生館小学校。実は札幌最初の学校の名前が「資生館」で,「資生」は「資(もと)が生まれる = 始まり」という意味です。 1871(明治4)年に現在のサッポロファクトリー付近で資生館学校がスタートしました。もともとは大人を対象にした学校でした。
 札幌の発展とともに小学校の数も増えていくのですが,戦後の札幌中心部は住宅が減り,代わりにビルが増えていきました。人口の空洞化です。さらに少子高齢化が進み2004(平成16)年に札幌中心部の「創成」「豊水」「大通」「曙」の4校が統合されました。統合した学校の名前は「資生館」。130年ぶりに復活した名前です。

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 資生館小学校の地下には『メモリアルホール』があって統合した4校の150年の歴史遺産が展示されています。2019年の「俊カフェ散歩」で見学させてもらいました。
 いつも開放しているわけではありませんので,見学したい方は学校に問い合わせてみてください。ただ,今年(2020年)は難しいと思います。

『どんぐりころころ』

 資生館小学校の敷地の南西の角には,統合した4つの小学校のうちの1つ「創成小学校」の卒業生,梁田貞(やなだただし)の胸像があります。この人は童謡『どんぐりころころ』の作曲者です。胸像のとなりに歌詞碑があり,うしろにはどんぐりのなるナラの木が植えられています。
 ちなみに歌詞は「どんぐりころころ,どんぶりこ」ですよ!!!

梁田 像と歌碑

 梁田貞は,開拓使の職員だった父の期待にこたえて札幌農学校予科や早稲田大学商科に進むも,音楽への夢を断ちがたく,東京音楽学校(現在の東京芸術大学音楽学部の前身)を何回も受験して24歳でやっと入学しました。卒業後は府立一中・都立日比谷高校で長く音楽教育に携わりました。厳しく情熱的な指導で『ライオン先生』のあだ名がついたとか。
 ところで,北海道出身の女性で初めて幼児教育の専門教育を受けた 西川かめ という人がいます。(東京)高等師範学校女子部(現在のお茶の水女子大学の前身)を卒業した西川が最初に赴任したのが創成小学校の付属幼稚園。その園児の1人に梁田貞がいました。つまり,梁田貞は当時(明治20年代)最先端の幼児教育を受けていたわけで,のちに音楽の道に進む1つのきっかけになったともいわれています。

資生館前歩道橋

 梁田貞の胸像の前に歩道橋があります。この歩道橋は1967(昭和42)年に架けられ,50年以上も子どもたちを見守ってきました。
 歩道橋は小学生にとっては《安全地帯》ですし,大人にとってはボ~ッと景色を眺めるのにいい場所です。たまに歩道橋の上から町並みを眺めてみてはいかがですか? いいアイデアが浮かぶかも!!!

参考文献
 『さっぽろ文庫 41 札幌とキリスト教』 「西川かめ」
  助川貞利,鶴岡トシに引き続き,西川かめもキリスト教徒です。

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