〈第45歩〉イチョウの薔薇
こんばんは。精神科医と写真家の二足歩行、今日で45歩目の『BURARI|ぶらり』です。いかがお過ごしでしょうか。BIRKENSTOCKを履き白衣を着て仕事をしていると何となく玄人っぽく見えるのはなぜでしょうか。
今日のぽつり
道後温泉。長い期間の改装を経たということで先日久しぶりに訪れましたが、やはり大衆風呂感が群を抜いていると思いました。
小さめの浴槽に15人くらいのおっちゃんからヤングボーイズまでひしめき合っているその光景が、浴槽より少し高くにある入り口のドアを開くと目に飛び込んでくるというね。そして、開けた瞬間視線がこちらに向くという。そんな立派なものは持ち合わせてはいませんが、次は泊まりに行きたいですね。
イチョウの薔薇
今朝のニュースで神宮外苑のイチョウが話題にあがってました。
街頭インタビューにて、イチョウをふんだんに使用して薔薇(のようなもの)を作って写真に撮ってSNSに上げるとのこと。残念なことにインターネットを使う見物客が多すぎてネット環境が芳しくないとかでSNSに上げられないと嘆いている女性がいたりしてましたが。そんな光景を朝からテレビで見てました。
(テレビを全部信用しているわけではないのであくまでそれらがリアルだと仮定して。)僕は思いました。その薔薇のようなものをイチョウで作り上げて何になるんだろうと。薔薇がいいんじゃないのか?と思ったりしてしまうわけです。いや、皆さん上手に作ってるんですよ、楽しそうだし良いと思うんです。でも、やっぱり何がしたいのかさっぱりわからないままに出勤しました。
ただそんなことをゆったり振り返ると、僕が写真を撮る意味は何だろう、SNSに投稿している意味はなんだろう、みたいな考えが襲ってくるのです。
例えば、知り合いの子どもたちの笑顔を写真に素敵におさめたいんだ!と言ったとしても、それは僕の中ではまだまだ方法に留まっていて、決して目的ではないと。写真におさめて次に何をしたいんだい?と。
方法と目的という話はすごくややこしくなるけれど、カメラ写真業界で限定すると、撮ること自体は方法であって、さらに言うと現時点でお見かけするあらゆる個展さえも方法に留まっていると感じざるを得ないのです。(目的があるように色んなコンセプトを掲げはいているものの。)
方法と目的がある程度ハッキリしているとするならば、ファッションや広告雑誌。これは宣伝することで商品価値を高めるといった結果に繋がるという点でそうなのだろうと思う。
僕は写真を撮る意味を考えるなら、この方法と目的、さらには結果とまで言わしめる何かを求めてみるのがいいんじゃないかと思うのです。
ということで、今も僕は意味を日々考えているのですが、とりあえずSNSにあげるのは『こんな写真撮れます。』と他の方にお伝えするためだけのギャラリーを装う媒体として成立させるためかなと考えてます。そして撮る意味については、それを形に、あるいは言語化するのには5年以上の歳月がかかることは僕の中でもう分かっています。だからこそ方法としての撮ることを続けようと思います。
またそう言った話は5年以上の月日が経ったあとに正確に皆さんにお伝えできたらいいなと思ってます。
書き始めたら何をどこまで書いて繋がりを見失う時があるので、迷子になってたらすみません。でも、たくさんの言葉や文章の中から、ご自身が面白いと思うものを見つけてくださっているのなら僕としても嬉しい限りです。
では、また。