生活保護は実は幸福な選択~食事だけしか考えられないあなたへ~
■はじめに
生活保護を受ける時に、多い感覚は恐らく「生活保護に陥る」という意識であろう。従って生活保護はこんなに苦しいという記事は多く、ツイッター等でも「ナマポ」と呼んで馬鹿にする。本当にそうなのだろうか?
1.生活保護受給の条件
まず、基本的には生活保護とは、3つの目的がある。一つ目は「働けない人の生活を支える」という目的。
これは、具体的に働けない理由が必要である。
まずは身体に障害があり、電車に乗るとか車に乗るとか、或いはその為のお金がないとか、こうした就職を探す行動ができない、或いは就職する為の履歴書や申込書が書けない、そして面接に行けないなどの就職活動ができないこと。
これは、致し方ない。
だって働きたくても、その機会に出会えないのだから。
そして、その中には就職しても働くことができないという事も含まれる。
なお、なぜ精神の障害はこの中に含まれていないかと言うと、精神の障害の場合、生活福祉課などで正確に障害の状況を把握できていないからだ。
また障害者手帳が高度であれば障害者年金を受け取れるじゃないかと言われるが、障害者年金で生活できるとは限らない。できる人もいればできない人もいる。大事なのはどれだけの収入があって、どれだけの生活支出があるかなのだ。
次の目的は「極度の生活困窮に陥らせない」ということである。
このあたりはかなり精査される。簡単に言えば必要以上に豪華な生活をしていたり、必要以上の保険や借金をしているなどである。
さて、ここで「必要以上」とはどういう基準か?となる。
まず物品ならば10万以上かけて、生命の維持の為の医療目的等ではない品物を持っていることである。例えばその物品が中古品で買い取ってもらえた場合、生活費になる。そうなると、なかなかに審判が厳しいのは事実である。
しかし、「経年変化」は換算される。例えば15万で購入したテレビも、10年使っていれば、ほぼ価値はないものとされ、「必要以上」の対象にはならなくなる。いや、現に3年程でも10万というラインを下回る。
ただし大きい物はなかなか減額換算の額は少ないとされる。車と常時居住していない家である。このあたりが10万という価値を下回るには、相当年季がいる。(※車は例外もある(後記))
また、常時居住していない土地等の権利は、ほぼ減額されない。株等の有価証券も同様だ。
また、所持金として貯金と財布の中の金を全部合わせた合計額もこの「必要以上」の所有は認められない。
そして3つ目は、「収入の少ない人を支える」である。
ここで重要なのは、「収入がゼロでなくても良い」ということだ。無論、その収入額に応じて保護費の減額はあるが、全くない状態にすることはない。
例えば収入があっても先程述べた「必要以上」ではない生活支出がかなり切迫しているのであれば、それは、救う対象なのだ。収入の目安は、だいたい10万円以下とされているが、その値は福祉協議会によって異なる。中には自治体の窓口で、収入があるならば全部使ってから来てくれと突き放してくる事がある。これは、申請者の言う支出が、本当に生活を維持するかという点から、信用していないからだ。
従ってその場合、契約書や先方が発行した請求書などを、自分が申請する際のあらゆる支出項目に照らし合わせて、その支払い過去事例(通帳や支払い領収書など)と一緒にもって役所にいくといい。そうすると、収入そのものの方が本当に勤め先から支払われるか不明なことになるので、向こうも何も言えなくなる。
この3つのうちいずれかに該当すれば、国として、生活保護でさ支えなくてはならず、同時に、国民としての権利であなたは守られるのだ。
2.生活保護の体力
生活保護下の生活を語るときに、稀に、「毎日お米と卵しか食えない」等という事を言う人がいるが、けしてそんなことはない。
例えば三食米と卵だけなら、その人の食費は一ヶ月は米が3000円ほど、卵が1500円ほどで、5000円も無いことになる。しかし、例えば東京都の場合では70000ほどの生活扶助が医療と家賃とは別に出る。つまり65000円も食費以外に毎月使っていることになる。
一人暮らしだと、食費にだいたい一日1800円かかると言われている。30日で54000円になり、それでも生活扶助額はまだ残金がある。
無論、外食ばかりの人には足らないだろう。しかし、自炊している人ならば恐らく一日1800円でもそこそこ高い設定であろう。つまりは自炊さえしていれば、普通の人並みの生活はできるのだ。そして、毎月2万円近い余力があり、一年で20万以上になる。
無論、電気や水道やガスやその他の支払いもあるが、実は次のものは免除となる。
まず無料になるのは、NHKと税金と年金(年金とNHKは簡単な別途手続きがいる)。基本使用料の殆どが免除になるのが水道。実際は無駄遣いしなくても、熱帯魚を飼うような家でもほぼ0円から、多くても数百円である。
さらに生活扶助とは別に医療扶助があって、保険料は取られず、診察費もかからない。処方箋に基づいたおくすり代もかからない。
電気、ガス、そして寒冷地の燃料代、交通費等は一切減額されない。
それでも、毎月1万から、食事次第で多い人は3万ぐらいの家財や衣服等に使える。
現実に、食費を上手に節約して、なんと一日平均580円で過ごしている人は、月に5万も余裕があるので、彼は趣味として毎月約70冊近くの文庫本を買っている。
10万程度なら貯めても問題ないので、貯蓄にまわし、ほんのちょっと高い物も買える。
趣味を楽しむのもよし。年に数回のちょっとした贅沢もよし。頭の使い方次第なのだ。
3.生活保護による欠点はある
生活保護はあくまでも、国のお金を自治体を通して福祉協議会が払うものであるので、原則として、それを個人資産にすることはできない。
欠点はそこにある。つまり、個人としての蓄財の価値があることには使えないのだ。
具体的には、貯蓄、不動産の購入、不要な車等の購入と改良、保険の加入、借金及び借金の返済、権利の購入である。
ただし例外も認められている。
車だと障害あるいは公共交通が近隣に無いなどの理由で通勤や買い物等に必要な場合。
保険だと賃貸時に加入が絶対条件の火災保険。
権利だと定期券類や映画やコンサートのように低額(5万以下)で、かつ期日をすぎると無価値になるもの。最後の「権利」だとサブスク等も例外である。
また、賃貸に伴う火災保険は、生活保護制度では住宅扶助という名目で、家賃は一定額以下は全額出す決まりになっており、それにより居住を保証しなければならないので、更新料とともに全額、通常の生活保護費に加算して支払われる。
ただ最近多い加入条件の「信用保証協会等の費用」は支払われない。これをやると福祉協議会が個人の信用を肩代わりしたことになり、その責務は福祉協議会にはないからである。
従って生活保護受給と同時に個人として賃貸に契約した場合、初回に必要な礼金や敷金、あるいは保険料などは生活保護に加算されない。ただし福祉課や福祉協議会から、生活保護支給条件として住居を指定された場合は、支払われる。
さて、しかし実際のところ、この欠点となることを覚悟さえすればあとは自由なのである。
4.生活保護で得られるもの
あなたにとって、幸せとはなんだろうか。人間であれは欲求はある。問題はそのコストと稼ぎのバランス感である。
働いている人はお金のかかる欲求を満たすことはできる。しかし、その一方で毎日8時間以上、通勤時間も入れればほぼ半日、体を会社に拘束されて得たものでもあるという事実もある。より稼ぎのいい仕事を手にするためには人一倍頭も使い、テレビを楽しむ余裕もなく、舌は妙に肥えて昔よく食べていた庶民の食べ物は口に合わなくなったりするだろう。精神的な病になってしまう人も多い。
一方で生活保護は、コストの高い欲求は叶えられないが、その代わり、24時間がまるまる自由な時間である。ルールの範囲内なら何をしてもいい。現実には殆ど何でもできる。
ちまちまとコツコツと集めて3年で部屋中を釣り道具で埋めつくした人もいる。勿論その中には何十万もする名匠の竿や高度なリールなどはない。でもその方は「道具にたよるのではない本当の自分との闘い」が魚とできると、いたって日課のように朝早くから海に出かけ、大満足な笑顔で帰ってくる。彼は片目がなく目隠しやサングラスをかけるので印象が悪く、なんとのべ340社も面接を落ちているそうだ。生活保護になった今も、それでもなお就職活動をこまめにしているらしく、それもまた自分との闘いだそうだ。彼は彼なりの満足の仕方を見つけ、極めているのだ。
また、約6年間をかけて4カ国語を独学で覚えたと言う人もいた。彼女は国際機関の日本語通訳にバイト採用され、障害者ながら杖をついたままとある国に旅立った。先日地元の人と結婚したらしい。また正職員にもなったらしい。
他にもパソコンで資格をとった人、小説を作って作家デビューを手にした人、プログラムをゼロから学び生活保護時代に作ったソフトウェアの発売に漕ぎ着けた人など、色んな生活保護生活の仕方がある。
また必ずしも金銭的には成功していないが、その生活を毎日ツイートし、フォロワーが8000人もいる人もいた。その人は生活保護をこれからもうけ続けたいそうだ。それもまた頭の使い方、生活保護生活の利用の仕方だ。
そして、これらの人々に共通するのは、「生活保護の時間があって良かった」という感想である。
生活保護をもらうまでは、困窮に苦労し、毎日毎日いかに食べ物にありつけるかばかり考えていたとまで言った人もいた。
5.生活保護は家族でも適用になる
生活保護はあくまでも個人を支えるものなのだが、制度としては世帯を単位にしている。従って家族同居の場合、世帯としての収支を測られる。
なので個人として生活保護を受けたい場合は、家を出て一人暮らし世帯として生活をすることが必要となる。
同居家族が親や子供ならさほど問題はない。しかし夫婦の間で片や生活保護を受けたいが、片や貧困でも生活保護は受けないとなってしまうと、離婚も頭によぎる。
私はその場合離婚を勧める。
生活保護の支給要件の中では、結婚しているかどうかはあまり関係ない。だがその生活保護を受けたいと申請する生活困窮直前の人を、相方が生活支援できるかどうかが問われる。
もし支援できると相方さんから言われてしまうと、家を出たとしても意味はなくなる。
生活保護申請前に、こう言ったという知り合いがいた。
「オジサマへ、本当に私の生活を本気でささえられますか?私はこのあと50年は生きると思います。人生がうまく行けばいいですが、最悪の場合私を支えるのには、最低でも年間200万、50年なら1億はかかります。オジサマの人生であなたの生活で必要な分以外に1億ですよ?そこまで私を支えられますか?もしできないというのであれば、それはあらゆる問い合わせにそう答えてください。けして私はオジサマに感謝こそし、けして恨みません」と。無論、生活保護の役所からの問い合わせにも「支援できない」とその「オジサマ」は書いたそうだ。そしてその人は無事に生活保護と一人暮らしの自由を掴み取ったのだ。
また家族全体が生活保護に入る場合に重要なのは、子供。子供は親に関係なく親戚や祖父母などからお小遣いとして或いは自らもバイトなどで収入を得たりする。だがそれもまた収入申告の対象になる。
しかし、きちんと申告さえしていれば、それはあくまでも子供の収入とされ、子供の財布に入り、生活保護費の減額には必ずしもならない。(額によっては減額対象になる場合もある)
なので子供には生活保護申請をする時にきちんと説明し理解させておこう。
よくあるのは、生活保護家庭として子供が差別をされると、子供には黙っている例です。このケース必ず役所やケースワーカーと揉めることになる。
■最後に
生活保護は覚悟と頭の使い方。しかしその覚悟とは、生活保護になる事へのネガティブな覚悟ではなく、前向きに生きるという覚悟である。
お金に余裕がなくても楽しく幸せに暮らすことはできるんだという覚悟。そして、その時間を得たことによって、それをどう使い、未来に向かって歩いていくかという頭の使い方こそが幸せなのである。
毎日同食べ物にありつくか、どうシフトを増やしてもらうか、どう会社に媚び売るか。そんな生活から、権利として認められている公的な制度を使って抜け出そうではないか。
基本的に誰かが吹聴しない限り病院ぐらいでしか生活保護を知られることはないし、一方で生活保護下であっても幸せそうに生きていれば、生活保護は何一つ卑下することはない。
むしろそうですがなにか?働かないから毎日楽しいですよと相手を笑って迎えることもできる。
コロナ禍で生活が苦しい人は是非、生活保護を前向きに検討して欲しい。そして、本当の幸せをその手に掴んで欲しい。
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