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石ノ森章太郎に見る現実逃避が生んだヒーローの創造


■はじめに

初回の材料に石ノ森章太郎を選んだのは、この最近になって、震災の被害に壊滅的な損傷を受けた石巻の石ノ森漫画館の、それでもなお今日に至る20 周年という記念を受け、そのお祝いを兼ねて少し考えたくなったからである。

1.石ノ森漫画館とは
石ノ森章太郎氏は宮城県登米市石森町に生まれ、中高生時代に自転車で数時間をかけて、この石巻にある映画館へ通いつめ、ここで創作の基本となる構成力やドラマツルギーを学んだと言われている。

1954年、師とあおいで仕えていた手塚治虫氏の後押しで正式に漫画家デビューすると、彼は東京新宿区のトキワ荘に身を移し、数年かけて苦労の末、国民的売れっ子漫画家として登りつめていった。
1998年に心不全でなくなったあとも彼の活躍は伝説として残り、1998年には数々の表彰を受けたりし、名前はかなり知名度も高かった。

1995年頃から石巻市で持ち上がったマンガによるまちおこしに石ノ森章太郎も協力し、石ノ森章太郎記念館を石巻に設置し周辺をマンガで盛り上げる「石巻マンガランド基本構想」に加担。しかし石ノ森氏の死去により、やや影を落としていく。

けれども基本構想は石ノ森萬画館と名前を変えた記念館を軸に据えた収益事業を軸にしたまちづくり推進会社計画に名前を変え再燃。
2001年に株式会社「街づくりまんぼう」という会社が設立。同年7月、同じく漫画家の水島新司氏を館長に迎えた石ノ森萬画館が開業する。

2010年には来館者数200万人を突破する人気観光資源であったが、2011年の東日本大震災で津波被害を受け、一階部分に多大な被害を受けた。
必然的に休館に追い込まれ、大半の職員も解雇を余儀なくされた。

しかし、努力のかいがあって、2012年11月には再開館を果たし、翌年リニューアルによって完全再開館となった。

そして今年、20周年を迎える。
来場者数もゆうに350万人を越え、ますます宮城県の観光資源として活躍している。

2.石ノ森章太郎の作品
石ノ森章太郎作品と言えば、大ヒットをし、未だにテレビでは後継作品が作られる「仮面ライダー」が大きい。
彼の名を世界に広めたと言っても過言ではない。

そして「ゴレンジャー」という元祖「戦隊モノ」と言われる作品だが、戦隊漫画としては、その前に「サイボーグ009」という作品もそれなりに人気である。

その後仮面ライダーのヒットをうけて「人造人間キカイダー」や「イナズマン」「変身忍者嵐」「原子少年リュウ」「星の子チョビン」など次々とテレビ化アニメ化され、一方で「佐武と市捕物控」や「宮本武蔵」「平賀源内 解国新書」等の歴史人物者や「マンガ日本の歴史」「マンガ日本経済入門」など、ビジネス書と言われる世界や教科書副材料的な漫画も書いている。

全770作品にも及ぶ彼の作品群はギネス世界記録にも認定されている。


3.石ノ森作品に現れる孤独感や悲哀
石ノ森作品が当時ものすごく愛された背景には、愉快で独創的な彼が生み出すキャラクターの影に必ず世の中の「普通」との葛藤があり、それ故に例えば機械の体やスーパーパワーを持っていてもどこか孤独感とやらねばならないという責任から来る悲壮感を醸し出している。それが親近感となって大衆に受け入れられたのだ。

特に仮面ライダーは象徴的で、「力の根源は同じ」という中で、片や人間をいつでも殺めることができ、その同じ力を自分の中に持ちながらも、弱き人間を守るという現実と、どこかでその違和感に模索している。

違和感の中で主人公の仮面ライダーが見出したのは、悪と「力で戦う」ことによって半ば強引な終息感を導くことであった。

従って最後には相手を爆発などで消滅させることで、人間という守るものの平和とともに自らの「悪」という理念も打ち消しているのだ。

こうした「感情」のもがきは、実は彼がトキワ荘において人生を支えられたという姉の存在から生まれたものであった。
彼の中で姉は純粋で、美しく、そして自分を信じてくれる大切な存在であり、彼女は身の回りの世話を引き受け、かつ自分を応援してくれる、言わば「守るべき存在」であった。

しかし、彼女は喘息の持病があり、ある日、いつもより症状が重かった姉を病院に送り届け、その足で映画を見に行った。すると、トキワ荘に同居していた赤塚不二夫の母から、彼女の急死を伝えられる。

死因は症状を抑えるために過剰投与されたモルヒネによるショック死だった。

彼の中では、様々な衝撃が走った。なぜあの時姉を見ていて上げなかったのか、なぜあの医者を選んだのか、なぜ姉を幸せにできなかったのか、なぜ自分は漫画なんかを書いているのか・・・彼はそのマンガを一時捨てて、世界各地へと旅に出た。アメリカ、ヨーロッパからアフリカまで。
その旅先は世界各地であった。

明らかに石ノ森は現実から逃避したのだ。

旅の最中も勿論、姉への思いは自分からは離れる事はなかったが、現実逃避して俯瞰的に己を見たとき、彼はきっと「なんでマンガを書くのか」や「自分が何をしなくてはならないのか」ということに気づいたのであろう。そして、それこそが姉のそばにいてくれた真の願いであり、また姉の求めた幸せであり、自分に課せられた責任であったのだ。

そして彼はあらゆる苦悩と葛藤しながらも、また、けして敵より強くないという力で、でも敵より一つ強い大切なものを守る心で、自分の能力を最大限使い、自分の中に潜む悪という概念ごと吹き飛ばすというヒーロー像を生み出したのだ。

帰国して最初に書いた作品は「サイボーグ009」。そのヒーロー集団の中には女性もいた。当時の日本ではヒーローといえば概ね男性であったので、世界旅行で目にした欧米の平等という世界観の影響であろう。また赤ちゃんやネイティブ・アメリカンやすかした外国人もいた。これは人間の多様性を表したもので、これもまたいろんな世界を覗いてきた賜物であろう。

特に女性の参加はその後「ゴレンジャー」や「キカイダーに登場するビジンダー」或いは「敵キャラであるクモ女」などにも引き継がれていく。

そして、特撮の人気作家となった石ノ森章太郎は、どんどんと社会情勢や流行等を取り込んでいく。外国人が増えてきた時代には外国人に人気な忍者のヒーロー「変身忍者嵐」を、個性の時代と言われるようになると、個性を色で表した「ゴレンジャー」を、万博を境にして一気に発展した機械やロボットも「キカイダー」や「ロボット刑事」に。そして、宇宙ブームが来ると「星の子チョビン」や「宇宙鉄人キョーダイン」を。

こうしたことで、姉の願いである「人の思いに答えた万人に人気のある作家になって欲しい」という願いに答えていったのだ。

そして、それは、多くの人に影響を与え、とくに未来を夢見る子供達に人気を博し、やがてその子達が大人になる頃には、彼らの世代のためにと、ビジネスマンガも書き始める。

しかし、こうした一連の才能は、姉の死から距離を置くという「現実逃避」の時間があったから花開いたのだ。
だからこそ、彼にとって、主人公の心の葛藤は必要なものであり、それにより真実を突き止め、結果を導くと言う一つのストーリー世界を作っているのだ。

大変興味深く、また、実は多くの人がそうやって毎日を生きている事実でもある。


4.昨今のマンガやアニメに見る主人公の創造
昨今は当時と異なり、人々はマンガに何を求めているのかが変わってきた。
そこにあるのは、けして華やかな未来ではない。けしてわかりやすい勧善懲悪でもない。

むしろ心の闇の中に潜む「謎な存在」に向き合い、なんらかの正義感や悪意を持って表出されることで解放感を得たり、思いっきり日常的な世界に存在する知らなかった心理やからくりを知ることである。

これがどういうことかという解釈はいろいろあろうが、私はやはり「世の中の閉塞感」なのではなかろうかと推考する。

本当は明るい未来を信じたい、楽しい世界を満喫したいと言う気持ちの反動でもあろう。
しかし、例えばコロナや、或いは殺人や戦争、はたまた組織内でのいじめやハラスメントという圧倒的な恐怖や危機感を紙一重にした世界に生きる私達は、その「脅威」から「自己防御」に走ろうとしているのだ。そのために、見えない敵や自分の心理をつかまなくてはならない。
戦う姿はそこでは身代わりの自分であり、第三者ではないので、なかなかヒーローという存在は求められにくい。守ってくれる第三者が想像できないからだ。

が、心の底辺には存在する。エヴァンゲリオンのシンジ君や鬼滅の刃の炭治郎や呪術回戦の五条悟などはその一つの表れである。

しかし人間としての漫画ヒーローであり、非日常に住む意外なデザインや芸術性はない。従って、やはり、みんな一度、現実逃避をして、石ノ森の世界に出会って見てはどうかと提案したい。
現実逃避して、非日常的なヒーローのクリエイティビティと世界観の中で、思う存分満喫して、やがて自分もこうしたものを生み出せるヒーローの創造者になりたいと思うことを、この閉塞感に満ちた今だからこそ感じてほしいと思う。

きっと翌日から何かが変わる。見えなかったものが見えるかもしれない。



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