如雨露で星のや京都を支えている手。
以前の記事で紹介していた通り、
南禅寺のお庭も手掛けている植彌加藤造園さんが星のや京都のお庭のお手入れをしてくださっているが、
実はもう一人がいる!
彼は四年間、星のや京都のお庭のお手入れをしてくださっていた。
雨の日☔︎、彼はレインコートを着てお庭の枝を拾ったり、雨どいの清掃をしたりしていた。
晴れの日☀、彼はお庭の隅々まで打ち水をしたり、落ち葉を掃いたりしていた。
この前、紅葉の時期、落ち葉の量がすごかった。
彼はいつものような明るい笑顔で私の名前を呼び、挨拶をしてくれた。
そして、額の汗を拭って、「今日は七袋の落ち葉を集めたよ」と、落ち葉を掃きながら言った後、笑っていた。
記憶の中で、どんな天気に対しても、彼は一度も文句を言わなかった。
実は一回、彼に優しく注意されたことがある。
私は砂と石で作られた道の上で歩いていた。
彼がまだだれも踏んでいない、その日の一番綺麗な状態の道を、歓迎と感謝の気持ちを込めて、その日の最初に星のや京都にお越しくださったお客様の目に映っていただくために、朝から掃いていたのに、私が全然気づいてなくて、踏んでしまった。
あの日、私は小さい頃のことを思い出した。
小さい頃、毎日いい香がする洋服を着ていた。
それは、おばあちゃんが丁寧に洗ってくれたからだ。
放課後、家に帰ったら、熱々で美味しいご飯とおかずが揃って、
テーブルの上に用意されていた。
それはおばあちゃんが朝早く起きて、スーパーと八百屋に行って買った食材で、
何時間もかかって、作られたお料理だ。
あの頃の私は、日々「感謝」と思っていなかった。
洗濯をしたり、お料理を作ったり、洋服を綺麗に畳んだり、
お皿を洗ったりするおばあちゃんの姿が私にとって、見慣れた光景だった。
私から見ると、おばあちゃんがやっていることはほぼ毎日一緒だった。
もちろん、おばあちゃん自身もきっとほぼ毎日同じことをやっているなあと思っている。
しかし、彼女は一度も文句を言わなかった。
彼女のモチベーションとやりがいは「家族に対する愛」だったことも、再び思い出した。
星のや京都のお庭のお手入れをしている彼、MR.HAYASHI。
彼は私のおばあちゃんと同じぐらいの年齢だ。(実は、MR.HAYASHIに会うたびに、中国にいるおばあちゃんとおじいちゃんのことを思い出す。)
MR.HAYASHIにとって、この四年間、星のや京都のお庭のお手入れをしてきたやりがいは何でしょう?と考え始めた。そして、今日聞いてきた。
彼の答えは「お庭が好きなんだよ」。とてもシンプルだった。
好きだから、四年間ずっと続けられる。
好きとは、とても単純で一番強いやりがいかもしれない。
彼の答えを聞いたあと、私は心の中で自分にも聞いた。
「好きなことを仕事にしている?」と、
答えは「YES!」
まだ二年も経っていないが、私は今の仕事がとても好きだ。
おばあちゃんは綺麗な洋服を着て学校に行く私の姿を想像しながら、洗濯をしていた。
MR.HAYASHIは星のや京都にお越しくださるお客様の視点に立ちながら、お庭のお手入れをしていた。
私は星のや京都に来ていただいた「旅人」の出発前、出発時の気持ちを想像しながら、滞在のプランを考えていた。
そして、今日はどのような「旅人」に出会えるんだろうと想像しながら、下り桟橋で舟を待っていた。
私は「旅人」に「旅先」の魅力を感じさせることが好きだし、
「旅人」と「友達」になることも好きだ。
同じ場所に立っても、
毎日、毎時違う光景を見ているんだ。
「好き」という気持ちから新しいものがどんどん生まれてくるからだ。
MR.HAYASHIの手の写真を撮った!
温かみのある、私のやりがいを思い出してくれた手だ。
星のや京都を支えている手だ。