諏訪信仰の寺 ぶっぽうじ(仏法紹隆寺)
前回は仏教の諏訪信仰について書きました。 今回は、諏訪大明神本地普賢菩薩について書いていきます! 本地垂迹(ほんぢすいじゃく)とは平安時代頃~明治初年まで、日本は神さまと仏さまが一体となる神仏習合という宗教観を持っていました。 その神仏習合の中で、本地垂迹思想というものが生まれます。 神さまは仏さまが姿を変えて日本に降臨したもので、神さまの本の姿(本地)は仏菩薩という考え方。そして、日本の神さまを「明神」や「権現」という呼び方で表していたのです。 諏訪大明神も本の姿
最近、諏訪では龍神様が皆さんの心を動かしています。 諏訪のソウルフードテンホウの大石社長が企画した「諏訪の龍神さま」という絵本が大好評ですね! 私も監修に加えて頂き、一文書かせて頂きました。 龍神と聞くと神様だから仏教は関係ないんじゃないかとお思いの方が多いかも知れませんが、すごく密接に関わっているんですよ〜 そこで、仏教の龍神さまについてお話したいと思います(神道やアニミズムを否定するものではありません〜仏教目線の解説です) 龍神は仏教由来!?龍と聞くとどのような
神仏習合とは諏訪大明神と聞くと何を思いますか? 「神様」や「諏訪大社」を思い浮かべる方が多数だと思います。 しかし、諏訪大明神は仏様でもありました。 平安時代に中国より新たな仏教が日本に伝来しました。 伝教大師最澄の天台宗 弘法大師空海の真言宗 どちらの平安仏教も神さまと融合する「神仏習合」の形となりました。 天台宗は「山王神道」真言宗は「両部神道」という信仰を礎に神と仏が融合する教えを弘めていきます。 それは、平安時代から明治時代まで1000年間も続いた「神さ
前回までの投稿で、諏訪大社の別当社務とお坊さんの学校「常法談林所」について投稿しました。 今回は諏訪のお殿様の祈願寺について書いていきたいと思います。 諏訪のお殿様は神さまの末裔諏訪の地はタケミナカタという神さまの神話の地でもあります。そのタケミナカタという神さまの血筋を引くのが諏訪氏(諏方氏、神氏)なのです。 天皇家も神さまの血を引く氏族ですが、諏訪家も天皇家に次ぐ神さまの血を引く氏族なんです。 諏訪氏はかつて神(みわ)と名乗っていたこともあります。字でいうと神様
前回の投稿では、主に諏訪神社(諏訪大社)の別当社務職という事について書きました。 今回はお坊さんの学校 「常法談林所」(しょうほうだんりんしょ)について解説していきたいと思います。 当山には「由緒書」が残されていて、当山の開山の伝承として「弘法大師により学問の道場とされた」といわれています。そして、「信州教相談林の最初、松橋事相伝授の権與」と書かれ、信州の学問所の最初であり、松橋流という流派の重要な場所という意味が書かれています。ただし、記録としてしっかりわかってくるの
この投稿では、長野県諏訪市にある「仏法紹隆寺」(ぶっぽうしょうりゅうじ)略して「ぶっぽうじ」というお寺が、お寺の歴史を中心に諏訪地域の歴史を紹介していきたいと思います。 多くの皆様に諏訪を知ってもらいたいと思い、記事を書くことにしました。よろしくお願いいたします。 仏法紹隆寺とは正式名称は「鼈澤荘厳山 大虚空蔵院 仏法紹隆寺」(べったくしょうごんざん だいこくうぞういん ぶっぽうしょうりゅうじ) 略称は 鼈澤山 仏法寺(べったくさん ぶっぽうじ) 当山が開山されたのは