バブル期のゴルフ場の開発がビジネスのスタートだったわたし。
自分のビジネス経験を記録しておこう、という主旨で備忘録的に記憶の糸と記録の紙をたどって書き残していくことに決めた。
今から30年以上昔の話。千葉県のある市でゴルフ場の開発をしていたことがある。当時お世話になっていた人が、不動産屋さんで、かなりバブっていて金庫の中には金が唸ってた。
で、「おまえも不動産屋やれ」ということになり、「まずは宅建をとれ」という命令が下された。宅建は、私が取得した頃は「宅地建物取引主任者」という名称だったが、何年か前に「宅地建物取引士」と格上げされた。
無事に一回で宅建免許を取ったら、今度は保険の免許も取れ、ということで保険会社に缶詰になったりした記憶もある。まあ、結局保険は商売柄火災保険などを扱いたかったという事情があたったらしいのだが。
宅建業と保険業の免許を全部僕に取らせようと画策していたらしいのだが、見事に乗せられた。最終的に保険業に関わることはなくなったのだが、それなりに保険の世界のことを知ることができたので有意義ではあった。
で、はれて宅建をとったということで、いきなり社員、ではなく知人の会社に預けられた。正社員だったのかなぁ?なんか業務委託のようなカタチだったような気がするなぁ。
まあ、いずれにしてもそこで不動産のイロハを教え込まれるわけだが、最初は毎日オフィスのソファーで大いびきをかいて(と、後から事務員の女性にからかわれたので知ったのだが)、日がな一日を過ごしていたらしい。
たまに起こされて、ワープロで契約書を打たされるのだが、これが役に立った。半年以上、寝るか打つか(ワープロですよ)という生活。この何が役に立ったか。契約書に精通するようになったのだよ。
顧問弁護士からは「おまえは地頭は悪いけど、おまえが作った契約書なら間違いないだろう」とお墨付きをもらうまでになり、よく、指のない人から契約書作ってくれよと頼まれ、はいよ!とつくってやっては小遣いをもらったりしていた。
まだコンプラの概念がない、30年前の話ですよ。給料、というか委託料よりも契約書の闇営業の方が儲かったりしていたんで、そっちに鞍替えしようかと真剣に考えたぐらい。
あとブラインドタッチもこの頃覚えたな。そんな基礎をなんとか積み上げ、要約現場へ出る指示が出るのである。ある日突然、千葉へ通うことを指示された。しかも、自動車電話付きのハイソカー支給!ハイソカーってわかりますか。
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