Buntaro Kato Photography 〜我が脳梗塞の回想録〜

プロフェッショナルフォトグラファー📸

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最近の記事

我が脳梗塞の回想録17-病院食

病院の食事ってなんでこんなに不味いのか? 大きな一因に減塩食がある。 塩気が全然無いのである。 血圧信仰のおかげだろう。 塩分を摂ると血圧が上がり、身体によくない。 という。 そして元来、天然の塩は身体に必要なミネラルが多く含まれているし、身体を巡る血液は海水の塩分濃度に近いと言われる。 おそらく戦後の塩の専売制に拠る誤解から何も学んでいないのだろう。 https://ai-am.net/sio つづく…

    • 我が脳梗塞の回想録16-検査入院!

      今日から脳梗塞で入院してから1年ぶりに入院。 今回の入院はカテーテル検査の為の入院だ。 入院の際の承諾書を観ると、血管のカテーテルに拠る不慮の事故が起こり得る旨、の承諾書が幾つか示してある。😱 この細い血管の中を機材を通すのだから、不測の事故が、起こりうる可能性もゼロでは無いのだろう。😅 さて、人生2回目の入院だが、前回は快適?な個室だったが今回は大部屋(4人部屋)にした。 それがかなりのストレスになるとは知らずに… 隣のベッドでは激しいイビキの音。😮‍💨 向かいの

      • 我が脳梗塞の回想録15

        脳梗塞になって、体重が8kgほどガクンと減ってしまった。 63kgあった体重が 55kgになってしまったのだ。🥺 わりとよく食べるほうだが、体重は落ちたまま一向に増えないのた゛。 内臓の機能も低下しているのかもしれない。 つづく…

        • 我が脳梗塞の回想録14

          全く持って脳梗塞という病いが、自分にふるかかる、とはコレっぽっちも思ってもみなかったわけで。 脳梗塞発症から一年過ぎた今でも信じられないのだが、毎朝、起床後に我が身を持って解らされる。🥺 この脳梗塞って病いは発病と同時に亡くなる率が多い重要な病気なのだ。 普通の病気と違って治癒率も低い。 逝ってしまった脳🧠は復活しない。  生きてる脳が、欠損している脳の分の役目をする、場合もあるが、それでも完全治癒❤️‍🩹は、難しいようだ。😢 それでも自分の身体を信じて病院の治療

          我が脳梗塞の回想録13

          入院後、2週間程で、リハビリが始まった。 私の場合、右側の麻痺なので歩行は右側の柱等の障害物にぶつかったりする。 それに右の口半分が開きにくいので、明瞭に言葉を発しにくい、という障害が後遺症として残った。 そして、後に分かったのは非常に疲れ安くなった。 そして、感情の起伏が激しくなった。 ちょっとしたことで怒り、すぐ涙が出てくるようになった。🥹 つづく…

          我が脳梗塞の回想録12

          それでも(窓越しで数十メートルも離れているが…)面会の時間は嬉しいものだ。🥹 病院生活は本当に殺風景なものなのだ。 病人に必要なのは「愛」だと思う。 つづく…

          我が脳梗塞の回想録11

          入院生活は孤独である。 病院では洗濯が出来ないので着替えをパートナーに持って来て貰うのだが、当時は流行り病の為に面会が許されなかった。 なので、9階の窓越しから面会することになる。 病人にとって友人や知人、恋人との面会はどんな薬よりも元気が出るものだが、それがままならないのがとてももどかしかった。 つづく…

          我が脳梗塞の回想録10

          バランスが少し悪いがどうやらなんとか歩けるようだ。 脳溢血は脳🧠の損傷の位置や具合で、症状の出方が人によって全然違う。 私の場合、走るのはキツイが歩行🚶🏽はできた。 右側が麻痺してるようだが、手足もなんとか動かせる。 何より、カメラを構え、フレーミングし、露出を合わせ、シャッターを押すことが出来たのだ! 神が未だ自分に生きていく役割りを与えてくれたのだ。😭 この事は、自分にとって明日への生きる力になり、希望となった。 続く…

          我が脳梗塞の回想録9

          初めての入院生活は数時間ごとの点滴の入れ替えで夜中も起こされる。 しかも両腕に注射💉針が刺さってる状態である。 まさに重病人である。 数日で点滴が取れ、食事に変わったが、お粥と塩気のない柔らかくふやけたようなおかずだ。 食欲減退して半分以上残す日々が続いた。 体重を測ると63kgあった体重が55kg迄一気に減っていた。💀 つづく…

          我が脳梗塞の回想録8-隔離生活-

          未だコロナ禍中の為、面会不可能、当然外出不可で病室外さえも出歩くことも出来ない。😮‍💨 おまけにトイレへ行く時もナースコールをしなければいけない、という、がんじがらめの入院生活となった。😢 救急車🚑で運ばれた時は、着の身着のままだったので、最低限の着替えなどをパートナーに持って来てもらうのさえ、会うことがままならなかった。 外気を感じることが出来ないが、病室の窓からは秋の気配を感じた。 もともと四季の中では好きな季節だったが生涯忘れられない寂しく、侘しい季節となった。

          我が脳梗塞の回想録7-CT(computed tomograph)

          ctスキャンに入れられて、脳🧠の断層撮影。 そのネガ🎞️を見せられて、脳梗塞(脳溢血)の確認をする。 フォトグラファーの私はその私の脳🧠のリアルな透過写真を見せられて遂に観念したのだった。 そのうち京都から駆けつけてくれた兄が面会に来た。 ここで更に事の大きさを感じてしまう。🥹 その夜からそのまま入院宣告を受ける。 つづく…

          我が脳梗塞の回想録7-CT(computed tomograph)

          我が脳梗塞の回想録6-救急診療室

          TVのドラマの様な情景がベッドに横たわった私の周りに展開していた。 点滴が左右の腕に刺さり、頭上には心電図がうごめいていた。 ヤバいなぁ、と思いながらまだどこかで客観視している自分がいた。 この期に及んで自分の身に起きている現実を受け入れる事が出来ないのだ。 人間は死んでも魂は残る、と言うがもし、この時、私が死んでいたら、正に亡霊となって彷徨っていたのだろう。 つづく…

          我が脳梗塞の回想録6-救急診療室

          我が脳梗塞の回想録5 - 自分の身体が異常事態⁉︎

          元来、のんびり屋の私はここで、 自分の身体が異常事態⁉︎ だと認識した。(おそっ!) この状態をだれかに(客観的に)判断してもらおうと、ロックされたiPhoneを何とか初期化してパートナーにメールをした。 「ヤバい」と。 どうしたの?、と返って来たが、説明が打てなかった。 倒れた、動けない、と打つと、その現実を認めなければならない。 のが辛かった。 とにかく、ヤバい。と打つしかなかった。 (この時、脳梗塞の知識があれば、即座に救急車を呼ぶべきだったのだろう)。 翌日に

          我が脳梗塞の回想録5 - 自分の身体が異常事態⁉︎

          脳梗塞回想録4ーその夜、そして次の朝

          その夜、一人暮らしの私は誰とも喋ることもなく、夜食を食べ、(その日の夜食の内容は覚えていない。)いつも通り寝床に着いた。 そして次の朝、目が覚めて枕元にあったスマホを手に取り、暗証番号を押そうとしたが、思う様に押せない… 何度か失敗してスマホはロックされてしまった。 次にトイレに行こうと身体を起こそうとするが酒に酔ったみたいにフラフラする。 気合いで何とか身体を起こして一歩二歩 歩いたところで身体が右側へ傾いていく。 そのまま右側へ身体が傾いてバタンと倒れてしまった。(:

          脳梗塞回想録4ーその夜、そして次の朝

          我が脳梗塞の回想録3-脳梗塞の前兆?

          そう言えば、前兆らしきものはあった。 脳梗塞で倒れる前日、友人に誘われて隣町のラーメン屋に車で食べに行った。 その時、食事中から言葉が出てこない違和感を感じていた。 ラーメン屋からの帰り道にそれは更に感じた。 自分の出す声が小さくて、スムーズに出て来ないのだ。 友人の反応が普通だったので、疲れているのだろう、休めば回復するだろうとあまり気にも留めなかった。 続く。。

          我が脳梗塞の回想録3-脳梗塞の前兆?

          脳梗塞回想録2

          2022年9月24日藤沢徳洲会病院に入院した。 重病で入院しながら何故か自分が重い病で倒れて救急車で運ばれて入院した、という実感がなかった。 どこかで治癒するもんだと他人事のように考えていた、いや、そう思いたいと祈っていたのかもしれない。