日記 おじいちゃんと幼少期散歩したのを思い出した話
さっきどうにもメンタルがぐちゃぐちゃだったので、夜な夜な散歩をしてきた。街灯に照らされた夜道を歩きながらふと幼少期を思い出した。おじいちゃんの家に遊びに行くと、よくおじいちゃんと妹と3人で散歩をした。散歩のコースはおおよそ決まっており、おじいちゃんの家から少し歩いて比較的大きな道路の歩道橋を向こう岸まで渡ったら折り返してくる。20分くらいのコースだっただろうか。あと今は全て廃業しているが昔はおじいちゃんの家の周りに数軒駄菓子屋さんがあり、寄り道して駄菓子を買ってもらうのも楽しみだった。
緊急事態宣言の最中ということもあり、心なしかお店などの明かりがいつもより少ない気がする。辺りは虫の鳴き声が響き渡っている。おそらくコオロギが大半だと思うのだが、よく耳を澄ますとマツムシの声が聴こえる。唱歌で「チンチロチン」と形容されるが、機械音のようにも聴こえる特徴的な鳴き声だと思う。実は30歳半ばにして今日初めてマツムシの鳴き声を生で意識的に聴いたかもしれない。小学校時代にコオロギとスズムシは飼育した記憶があるが、マツムシは姿すら思い浮かばない。「あれマツムシが鳴いている」という歌を何回も歌った割に、なぜかマツムシはあまり馴染みがないまま大人になった。
そういえばおじいちゃんと、夜に散歩をしたことはあっただろうか。夜は駄菓子屋さんは閉まっているだろう。一生懸命記憶を巡らせると、朧げながら蘇ってきた。夜の散歩の時は私か妹が懐中電灯で道を照らしていた。懐中電灯の取り合いの喧嘩をしたという記憶はないが、自分に懐中電灯を持つ係が回って来た時は楽しかった。遠くに向かって照らすと懐中電灯の光の丸い輪郭はぼやけるが、照らす部分は広くなる。近くの道を照らすと輪郭ははっきりしてくるが、照らす範囲が狭くなる。壁に照らすと丸い明かりになるが、道に向かって照らすと楕円形になる。そんな簡単な理科の実験のようなことを考えながら、おじいちゃんと一緒に夜道を歩いた。隣におじいちゃんがいたので、夜でも不思議と怖くなかった。
おじいちゃんは7年前に他界している。おじいちゃんと散歩したことはよく思い出すが、おじいちゃんと「夜、懐中電灯を持って」散歩したことを思い出したのは大人になってから今日が初めてだと思う。よく頭の中で綺麗な状態でタイムカプセルが眠っていたなぁと思う。おそらく普段意識していないだけで、今も私の脳内には沢山のタイムカプセルが眠っており、いつか掘り起こされるのを待っているのだろう。私が死ぬまでの間にそれらをちゃんと掘り起こすのが、ある種使命としてあるかもしれない。幼少期の思い出は、琥珀がキラキラしているのに似ている。