白文鳥おもち部屋③ おもちが見せてくれた世界
生き物と暮らしていると、いつも見慣れた風景の中にも、ここにもささやかな生命があるのだ、という当たり前のことと、今までそんなことに意識を向けていなかったのだ、と気付かされることがあります。
例えば、今ではめっきり少なくなりましたが、家庭の庭に植えられている実を付ける植物は、外で暮らす動物たちにとっては、命を繋ぐため助けになることもあるのだろう、と思えるようになりました。
自宅の庭にも低木が3本ありますが、実は成るまま枯れるまま、隣家のスペースにはみ出さないよう枝を切るだけで、全く手入れらしいことなどしていませんでした。
そして私は、人の楽しみだけのために、色どりや香りが良い植物だけを選んで、庭に植えていました。
しかし、外のお宅が、そういった意図で植樹されたのかはわかりませんが、野鳥の為にも、今ある木を手入れしたり、新たに何か実をつける木を探して植えてみようか、などと考えるようになりました。
我が家の庭についての過去記事です
おもちを飼っていなければ、こんなこと、ずっと気づかないままだったでしょう。
買出しに行こうと車を走らせていたある日の午後、近所の歩道でこんな風景を見かけました。
誰かの食べ残しと思われるコンビニ弁当の容器が転がっており、その周りに、散らばったご飯やらフライやらに、4匹のカラスが群がっていました。
あまりいい光景ではないものを見てしまったなと、今までなら感じていたんでしょうが、その時は、カラスも必死で生きているのだな、と少し思いを寄せてしまっている自分がいました。
そして、夢中で啄むカラスたちから少し離れたところに、たたずんでいた一羽の小鳥が、私の目を引きました。
形や大きさが、おもちにそっくりだったのです。
おもちを飼っているからこそ、その大きさを感覚で掴めるものだと思いました。
違いは、白い体に、所々黒い模様が入っていたところ。
そして、生きていくために何でも食べているのか、おもちより少しふっくらしていました。
後から仲間が来るのか、群れから離れて一羽だけで行動しているのかわかりませんが、カラスが去った後に、残り物にありつこうと待っていたのでしょう。
車でその場を通過したので、ほんの数秒の出来事でしたが、その光景が目に焼き付いてどうも気になり、あの鳥はどんな鳥なのだろう、と帰宅後に調べてみました。
定かではありませんが、見た目と大きさからして、おそらく「セキレイ」ではないかと推測しました。
写真は、Pixabay(ピクサベイ)というサイトからダウンロードさせていただきました。
私が目にした小鳥は、写真よりもう少し白みがかっていました。
おもちが我が家に来るずっと前、スーパーの駐車場の歩道で、人の往来をうまく避けながら、落ちている食べ物を悠然と啄む小鳥を見かけたことがあります。
綺麗な鳥で、とても人に近いし、もしかしたらどこかに飼われていたのだろうかと気になったので、記憶に残っており、その時に出会った鳥に近いような気がしました。
ネットで調べた特徴の一つに、「人を恐れない」というのもありました。
ペットではなく、野鳥だったのだ、という事実が今になってわかり、またカラスやスズメ達以外にも人の生活に溶け込んだ鳥がいるものだし、思い込みで彼らしか視界に入っていなかったのか、ということにハッとしました。
あの時のセキレイと、先日出会ったセキレイも、随分たくましく生きているようですが、自然界では、とても小さな存在で、先ほど見た光景のように、大きなものに気を使いながら、うまく共存しているのでしょう。
太陽が顔を出す日中と言えども、東北の真冬の昼間は、5度を超えることはありません。
日が落ちた後、あの子は、どこでどう過ごしているのでしょう。
我が家のおもちは、少しづつ行動範囲を広げ、最近はテレビの上から私達夫婦を見下ろすことも増えました。
飛行中に、天井に頭をぶつけることも、数回ありました。
おもちの中の野生が目覚め、私はもっと、高くて広い場所を飛べるはず。
そう思っているかも知れません。
そうかと思えば、私の洋服の袖や、両手を組んだ時に出来た、わずかの隙間に、ふわふわの小さな頭を突っ込んできます。
愛らしいしぐさを見せてくれているなと思えば、次の瞬間は何故か、顔や首を嘴でつつき、メルヘン気分を一気に覚ましてくれたり。
相変わらず人間に対して、自由すぎるほど自由行動をとるおもち。
おもちよ、不思議な話なんだけど、
おもちが見せてくれた世界に、どうしても連れていくことは出来ないのだよ。
君が自力で食べ物を探したり、大きな動物とうまくやっていけるのか、とてもじゃないけど、そんな大変なことが出来るとは思えないし、そんなことをさせたくもない。
私からおもちへ、おもちから私へ、お互いに、それぞれの言葉で、毎日思いを伝えあっています。
だけど、お互いを介する共通の言葉というものがなく、どこまで本当にわかりあっているのかどうか。
毎日の触れ合いの中で、少しづつ、伝えていくしかないのでしょう。
おもちは、旅行にも興味があるようです。
テレビの上が、最近の定位置です。
オリンピック期間中は、ゲレンデを走行する選手をつっつきながら、おもちなりに応援?をしておりました。