悔しくて大泣きした日
わたしが文章の道を志したのは、言葉の力に何度も感動させられたからだった。
大好きなアーティストの曲の歌詞を反芻して感動したり、本の中の一文に感動したり…
書き言葉でも話し言葉でも、言葉選びが丁寧な人、美しい言葉を紡ぐ人に会うとすごく感動するし、自分もそういう人でありたいと思う。
言葉の意味を細かく調べることも大好きだ。
一つの言葉に対して、いろんな辞書を引いて調べることで、より鮮明にその言葉を理解することができる。
その言葉の持つ色、雰囲気、柔らかさや鋭さ。
こちらが知ろうとすればするほど、言葉も歩み寄ってくれて、その言葉が表す世界を見せようとしてくれる感じがする。
それだけ言葉が好きで、魅了されているのに、(だからこそなのかもしれないけど)時々言葉に向き合うのがしんどくなる。
自分の心の中にある風景を、言葉で描きたい。
でも、今ある言葉だけでは、描けない。
もしかしたら、今でも十分なのかもしれない。わたしが使い方をわかっていないだけかもしれない。
心の中に確実に見えているものがあるのに、形にして外に出せないことが、とてももどかしく、歯痒く、悔しい。
昨日までは、そもそも言葉に限界があるからだよと、言葉のせいにして片付けていた。
でも、違った。単なるわたしの力不足。
大切な人を喪った、大切な友人にかける言葉を紡ぐことができなかった。
想いは溢れていたのに、どんな言葉を当てはめても、そのままを描くことができなかった。考えても考えても、気持ちを言葉で表せない。
悔しくて悔しくて、涙が止まらなかった。
まだ駆け出しとはいえ、言葉を扱って生きているのに。言葉の力を一番引き出したい時に、あまりにも無力すぎてそれができなくて。
大切な友達だからこそ、もっと大切に言葉を紡ぎたかった。
もちろんわたしの言葉でその人の気持ちを癒せるなんてことはないだろうけど、それでも、自分ができる一番の形で、言葉を送り出したかった。
それができなかったのは、紛れもなくわたしのこれまでの怠慢だと思う。
しかも、それを言葉のせいにしていたなんて。
自分の傲慢さ、逃げ、努力不足が悔しくて仕方ない。
でも、だからもう逃げるのは止める。
もっと書いて、もっと言葉を使って、もっと吸収する。描く。
多分、その度に同じような悔しさを感じるんだろうけど、それでも逃げたくない。
言葉が大好きで、その力に何度も救われたからこそ、今度はわたしがそういう言葉を描きたい。
もう、その気持ちからは逃げない。